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僕が写真を撮る理由

お久しぶりです。
本業が忙しすぎて長い間noteから離れてしまっていましたが、再開します。

写真を撮る理由について、今の自分が思うことを取り留めもなく書いていこうと思う。
あとで見返せるように言語化しておきたいということでまとめるのでかなり駄文になると思いますが悪しからず。

※前提1:あくまで自分の中で感じた思いや感覚なので超主観の考えです。異論は受け付けません。
※前提2:私は生業としての撮影と趣味としてのスナップ撮影の2種類を普段行っていますが、今回はスナップ撮影に絞った考えをまとめていきます。

主に3点にまとめられそうである。

肉眼では流れてしまう映像の記録

人間というものは自分の眼を通してでしか脳で映像として変換できない。そして肉眼のみに頼って映し出された世界は、いかなる場合でも時間ともに変化していき、絶えず流動的に移ろいでいく。
わざわざ言葉にするまでもなく誰でも知っていることであるが、こう文字に起こしてみるとそこはかとない恐ろしさも感じる。

「時間は有限である」とか「今は二度とやってこない」という言葉が示す通り、こうやって私が5.5畳の書斎にあるデスクに向かってnoteをしたためている時間も既に過去であり、二度と戻ることはできない。
「今日はnoteを更新しよう」と思った自分は過去の自分として消滅しており、本文を書き終えるという未来に向かって目の前の世界はどんどん私の背中を突き抜け消え去っていく。

加えて、私は裸眼での視力が両目0.3とそこまで良くないのだが、日常生活でメガネやコンタクトをすることがほとんどない。
体にアクセサリーをつけることが得意じゃないため、メガネが邪魔になったりコンタクトも乾燥して嫌いだ。いけるところまでは裸眼で過ごしたい。

そんな謎なプライドを抱えているため、基本的に今見えている世界は若干解像度が荒い。
その生活に浸かりきっているため普段そんなことを思わないが、写真を通すと日常の鮮明さに改めて気付かされる。

恐らく今日の投稿で一番理解してもらいにくい点だと思うのだが、普段の解像度の低さと写真の鮮明さのギャップを楽しんでいる部分isあるのです。
「じゃあ普段から解像度高く見えるようにメガネしろよ」と思われるかもしれないが、困っていないからいいのです。あとメガネが似合わない。

話は逸れたが、抗いようもなく流れてしまう目の前の世界を美しく撮っておける。カメラというデバイスの力を借りることによって達成できる安心感と楽しさを写真を撮ることによって感じることができる。と私は思っている。

精神統一

皆さんは焦っている時にこれをやると落ち着くという所作はもっていますでしょうか。
手のひらに人を書いて飲み込むとか、そういうやつ。
私は写真を撮る時、それも物撮りしている時は写真を撮る以外の雑念が消えて心地のいい集中力を感じることができる。

最近はF14~16あたりまで絞り、シャッタースピードを1/5とかかなり遅めに設定しながら、ボディ内手ブレ補正を存分に頼り撮影することが多いので、腕をがっちりホールドし呼吸を止めて撮影したりする。

呼吸を止めるというのが個人的に結構みそだと感じており、人は脳に酸素が回らなくなると思考の幅が狭まり、情報処理能力が落ちる。
そうなると撮影前に決めた構図をずらさず、かつ手ブレを起こさないように撮影することにしか意識が向かなくなるので写真のことしか考えなくなる。
繰り返し撮影すると疲れはするが、時間をキュッと縮めたように集中することができる。
(これもデジタルカメラだからできるかもしれないですね。)


精神統一という観点で考えた場合、何を撮影するかが大事なのではなく、撮影すること自体に意味があると言えるかもしれない。
釣りをする人が考え事する時に釣り針に餌をつけずただ川に竿を放っておくみたいな。釣りしないからそんなことやるか知らないけど。

というわけで、撮影する時の集中力を味わいたいために撮影するのが、理由2つめ。

写真の勉強

言語化しようと意気込んだものの結局これかよと自分でも思ったが、もうシンプルにこれに尽きる。安西先生写真がうまくなりたいです。。

うまくなりたい目的は、写真を褒められたいという承認欲求もまああるっちゃあるけど、突き詰めると自分との戦いだと思っている。
もちろんSNSにあがっている死ぬほどうまい写真をみて落胆する時もあるが、比較するのは過去の自分だと納得することができるようになった。

先週自分が撮影した写真よりも良い構図、良い光の捉え方、良い色合いで撮影できるようになること。
そして何をもって良いと捉えるか自分の言葉で言語化し、言葉にした表現を次の写真に落とし込むこと。
これを繰り返すしか写真がうまくなる道はないのであろう。

手順としては、
撮影→撮影した写真を見返す→現像、レタッチを追い込む→現像後に自分が良しとする結果を蓄積していく→現像後をイメージして撮影…
を繰り返してブラッシュアップしていくのがYoutubeやブログで先人の素晴らしいご意見を聞いて感じたローテーションである。

そういった「素振り」を繰り返すため、夜な夜なばかでかいレンズとカメラを抱えて徘徊する怪しい人間が生まれるのである。

以上3点が私が写真を撮る理由だが、あくまで2023年5月時点の考えである。
今後考えが変わったり、アップデートされる可能性もあるので、その際はまたまとめ直したいと思う。それではまた。

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