私が夜中に出ていく人を嫌う理由

今夜も弟は夜中に出て行った。
両親が寝静まり、私がお風呂に入っている間に、こっそりとドアを閉めて出かけて行った。
毎度のこととはいえ、多少の後ろめたさがあるらしく、家族のほとんどが寝静まったころに、物音をあまりたてないようにして出かけていく。
それがなんとも悲しくなる時間だ。

いつも家族の誰かがこっそり出て行くときは夜遅い時間だった。

お兄ちゃんが恋人に会いに行くのも夜中だったし、弟がどこかへ出かけていくのも夜中で、お母さんがお父さんと喧嘩して出ていったときも夜中だった。

今でもよく覚えている。
幼いころ、私と弟がリビングの横の和室で寝ていたときに、リビングから両親の喧嘩する大きな声が聞こえてきたことを。
眠っていたはずなのに、その声に目が覚めてしまって、でも大きな怒っている声が怖くて眠っているふりをすることしかできなかった。
しばらくすると大きな怖い声は聞こえなくなって、ガチャンというドアの閉まる音と一緒にお母さんはいなくなっていた。

お母さんは?と家に残ったお父さんに何度聞いてもわからないの一点張りで、もう家に帰ってきてくれないかもしれないと不安で悲しくてぎゃんぎゃん泣いた。
お母さんは次の日の昼ごろ、ごめんね〜と何事もなかったかのように帰ってきたけれど、覚えている限りこんなことが3回はあった。
毎度毎度不安で泣いた。

今はあの頃より少し大人になったし、夜中に誰かが出て行ったからと言ってぎゃんぎゃん泣くことはなくなったけれど、やっぱり悲しくなる。
夜中に出ていく人たちはみんな多少の後ろめたさがあってか、気を使ってか、できる限りのやさしさなのか、気づかれないように出ていこうとしてくれているのだろうけれど、なんだか卑怯だなとも思ってしまう。
顔も見ないでこっそりと。
そんなの悲しい。ずるい。

私は今のところ夜中に家を出て行ったことはないけれど、これから先なにか居心地が悪かったり、誰かに会いにいきたくなったり、家を出て行きたくなったりして、夜中にこっそりと家を後にすることがあるのだろうか。
あるいは一緒に住んでいる大切な誰かに夜中に出て行かれるようなことがあるのだろうか。

だとしたら、私はお昼間の太陽が高く昇っているころに出て行こう。
そうすれば残された人たちだって太陽の明るさに元気をもらえたり、外の緑の香りで気持ちを切り替えられたり、納得いくまでお酒に溺れるたっぷりの時間だって、友達を呼んで慰めてもらう十分な時間だってあるだろうから。
お昼間ならこれから洗濯を取り込まなくてはならないし、晩ごはんの準備だって皿洗いだってしなくてはならないから、あれこれしていると気持ちが紛れるし、時間も経つだろう。

もしも夜中に出ていかれたら、そんなことは考えたくないけれど、夜中に出ていくような人とは一緒にならないでおこうと見切りをつけよう。
出ていくなら堂々とお昼間に出ていく人の方が正直で好きだ。
どうか大好きな人たちには夜中に出ていかないでほしいな。
夜中に家に残されるなんて、ただでさえ暗くてさみしいもの。

これが、私の夜中に出ていく人を嫌う理由。

#エッセイ #夜中のエッセイ

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