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これでいいの、これがいいの

部屋の片隅に黒いベースケースが立てかけられている。
黒いケースには白いほこりがうっすら積もっていて、誰にも触れられず、ただじっと壁に寄りかかっている。
この子に触れなくなってもう半年になる。

ケースの中にはもちろんベースが入っている。
私が一目惚れして買った、深い茶色の木目が綺麗なベースだ。
身長も手も小さい私は、少し小さめの大きさというところにも惹かれた。
ベースを形づくる曲線はとてもなめらかで、木目といい、丸みを帯びたフォルムといい、なんだかやさしい雰囲気を持っているベースだった。
中古品で傷が少し入っていたけれど、店頭にあったどのベースよりも私には魅力的に映ったし、今でも自分のベースが一番綺麗だと思えるくらいに気に入ったものだった。

この子をお家に迎え入れるきっかけとなったのは、軽音楽サークルに入ったことだった。
当時大学2年生だった私は、このサークルに入っていた仲の良い友達に誘われて、サークル主催のライブに何度も遊びにいっていた。
好きな音楽も苦手な音楽もあったけれど、ライブハウスに鳴り響く楽器の音やサークルの人たちの活気に胸がドキドキした。
音が鳴っている間は、飛び跳ねても、体を揺らしても、腕を振り上げてもなんでも良くて自由に楽しんでいいという雰囲気が、初めは戸惑ったけれど非日常的に感じられて良いなと思った。
この私にとっての非日常的な空間を味わえるライブが楽しくて、サークルに入っていなかったけれど、何度も遊びに行っていた。
そんな中、いつのまにか顔を覚えてくれたサークルの先輩に「入りなよ。」と言われたことがきっかけでこの軽音楽サークルに入ることになった。
大学2年生の夏だった。

そんな簡単なきっかけでサークルに入った私だったけれど、不安な要素はたくさんあった。
まず、私は楽器経験が全くなかった。
あるのは小学校でやったリコーダーくらい。
音符も線を数えないと読めないし、両手を別々に動かしきれなくて、何の楽器ができるのかまるでわからなかった。
それに一番の問題は、私はバンドの音楽を聴くのが好きだったのであって、バンドをしたいと思ってサークルに入ったわけではなかったということだった。
この問題に、私はサークルを卒業するまで何度も苦しめられることになった。

「入りなよ。」と言ってくれた先輩が「簡単だよ。」と言ってくれたことが理由で私はベースをはじめることにした。
ギターとベースの違いも、ベースの音も役割もよく知らないのに。
ベースを心から愛しているベーシストたちに申し訳ないくらいに軽率な考えでベースに手をつけてしまったのであった。

そんな私だったけれど、心やさしいサークルの人たちが誘ってくれてバンドを組んでもらえることになった。
学年が一つ下の後輩ちゃんたちで、みんなとてもやさしい子たちばかりだった。
そんなやさしい子たちに申し訳ないくらいに私はベースが弾けなくて、たくさん迷惑をかけてしまった。
迷惑をかけるたびに、ベースを弾きたくなくなったし、私じゃなくて上手な人がベースを弾いて、そのライブを聴く方がずっといいと思った。
私はバンドをしたい側ではなく、バンドが奏でる音楽を聴きたい側の人間だったのだ。

その後も心やさしいサークルの人たちに何度か誘ってもらえて、何回かバンドを組んでもらえて、下手なのにライブに出させてもらった。
バンドをするのが楽しい、ライブに出るのが楽しいとみんな言っていたけれど、私はその気持ちが全然わからなくて、いつも苦しみながら練習をし、ライブに出ていた。
バンドに誘ってもらえたり、曲決めをしたりするときは楽しいのだけれど、結局私はその曲たちを聴きたいのであって、奏でたいのではなかった。
そのため、練習と、下手な音を奏でる私が出るライブが本当に苦痛だった。
他の人たちが奏でる音楽を聴く方がいつも楽しかった。

こうやっていつもバンドを組むたびにサークルをやめたい、ベースをやめたいと思っていた私だけれど、大好きなバンドがあって、弾いてみたいと思う曲があった。
1つは、2016年に解散してしまったGalileo Galileiというバンド。
いつからGalileo Galileiが好きなのかよく思い出せないけれど、気づいたらはまっていて、Galileo Galileiの奏でるさわやかな音色と情景が目に見えるようなきれいでやさしい歌詞が好きだった。
好きな曲がありすぎて困るのだけれど、一番好きだったのは「ハローグッバイ」という曲だった。
2つ目はBUMP OF CHICKENというバンドで、バンド好きの人もそうでない人も、たぶん一度は耳にしたことがあるんじゃないかなと思われるほど有名なバンドだ。
こちらは私が持ち合わせているような言葉で語ってはいけないのではないか、というより語りたくないバンドなので、私の言葉で語るのは遠慮させてほしい。
そのくらい素敵なバンドだ。
この2つのバンドは、彼らの曲を弾けたらどんなに楽しいだろう、弾いてみたいなと思った。
だからか、苦しみながらもサークルをやめずに続けていた。

大学4年生の夏、就職活動を終えて、サークル活動も残り半年になっていた。
私はまだベースの練習が苦痛で、ライブに出るのが嫌だった。
けれど、残り半年と聞くと、まだやってみたいバンドのコピーをしないと後悔するのではという考えがうまれた。
こうして初めて自分からバンドを組みたいという気持ちが出てきたのであった。

友達に助けてもらいながら組んでもらった、Galileo GalileiとBUMP OF CHICKENのコピーバンド。
この2つのバンドを組めたときは曲決めももちろん、家での練習も合わせ練習もライブに出るのも楽しかった。
今まで聴いていた音が少し弾けるようになるだけで嬉しかったし、初めて「ハローグッバイ」の音を奏でられたときは一人でにやにやしてしまった。
みんなで合わせて練習するときも、1曲合わせて弾くだけで思わず「Galileo Galileiだ~。」と言ってしまうくらいに、みんなで音を奏でるのが楽しかった。
BUMP OF CHICKENの方は難しすぎて、練習は正直苦痛だったのだけれど、ライブで弾けたときは言葉にできないくらい嬉しかったし、ライブが楽しかった。
今まではバンドを組んで1度ライブに出たら終わりだったし、もうライブに出たくないと思っていたけれど、この2つのバンドはできるだけたくさんライブに出たいと思えて、卒業までの半年間でGalileo Galileiの方はは3回、BUMP OF CHICKENの方は2回ライブに出ることができた。
最後まで私はベースを上手に弾けなかったけれど、どれも本当に楽しかったし、サークルに入って、ベースをはじめてよかったなと思えた。
そんな気持ちでサークルを卒業できた。
今年の3月末のことだった。

卒業してからも私のベースはベースケースに入ったまま、変わらず部屋の隅に立てかけられた。
本来ベースはベーススタンドに立てかけなければ傷んでしまうのに、ずっとベーススタンドを買わないまま3年と2カ月が経とうとしていた。
バンドを組まなければベースを触らないほど手入れもろくにせず、苦しみやめたいと思いながらベースを弾き、ベースにもバンドにもサークルに対しても、私は本当に不誠実で不真面目に取り組んでいた。
いつもバンドを組んで練習をするたび、バンドメンバーと顔を合わせるたび、ライブに出るたび、その不誠実で不真面目な自分と向き合わざる負えなくなって、自分が嫌になっていた。
私に買われたベースをかわいそうに思ったし、バンドを組んでくれたサークルの人たちに申し訳なく思ったし、なんでサークルに居続けるのか自分でも謎だった。

けれど、今日、そんなふうに思っていた自分をもう許してあげてもいいんじゃないかと思えた出来事があった。
きっかけは弟が私のベースを弾いてみたいと言ってきたことだった。
弟は私と同じく楽器未経験者で、ベースももちろん弾いたことがない。
私の部屋に立てかけられたベースが目に入り、そんなことを言ってきたのだった。

弟に言われてベースケースを開けて半年ぶりにベースを取り出し、ヘッドフォンアンプをつないで弟に弾かせてあげた。
弟も昔の私と同様にギターとベースの違いがわからないので、ベースの地味な低音にすぐに飽き、ベースは私のもとにすぐに戻ってきた。
そうして戻ってきたベースを抱え、もしかしたらという思いで半年前弾いた曲を弾いてみた。
一番大好きで一番練習したGalileo Galileiの「ハローグッバイ」だった。
いつもライブが終わるとすぐに弾き方を忘れてしまう私だったけれど、半年ぶりに弾いたのにもかかわらず、まだ指が覚えていて「ハローグッバイ」が弾けた。
他の曲は思い出せなかったけれど、「ハローグッバイ」だけは最後まで弾けた。
そして大好きな「ハローグッバイ」を大好きなベースで弾きながら、もう一度バンドのメンバーとライブがしたいと思っていた。

サークル活動をふりかえると、自分の出ないライブを見るとき以外は、ほとんど苦しみながら活動していた。
ベースを弾く自分も、バンドをする自分も、サークルに所属している自分もいつも嫌で、聴く方がいいと思い続けていた。
けれど、卒業してから半年経っている今もなお、大好きなバンドがあって、今でも弾きたいと思える曲があった。
バンドを愛するサークルの先輩や同期の人たち、後輩ちゃんに、不真面目な私で、下手なベースの音を鳴らせてごめんねと思いながら練習をし、サークルライブのステージに立ってきたけれど、これでよかったんだなと思えた。
ベースを弾く自分も、バンドをする自分も、サークルに所属した自分も好きになってサークルを卒業できていたみたいだ。
そして、またGalileo Galilei と BUMP OF CHICKENのコピーをしたいなと思えている。
これだけで十分だった。

バンドを愛する人たちに比べると今でも私は不誠実で不真面目だけれど、これでよかったんじゃないかと思えた。
もう一度ベースを弾きたいと思える日がくるなんて、少し前の私には想像もできなかったことだろう。
立てかけられているこのベースがなければ、出会えなかった人たちも、苦しい思い出や楽しい思い出たちもたくさんある。
苦しい思い出もたくさんあるし、迷惑をかけた人たちもたくさんいるけれど、これでよかった、これがよかったのだ。そう思えた。

今夜も部屋の片隅に私のベースケースは立てかけられている。
頭に積もっていた白いほこりを払ってもらえて、いつもより少しご機嫌に見えるけれど、ずっと直に立っているせいか少し足元がきつそうだ。
今度楽器屋さんに行って、今度こそベーススタンドを買おう、そう心に誓った夜だった。


今日の絵 「これでいいの、これがいいの」

これはこの前l'atelier du savonという洋服屋さんに行ったときにいただいた絵、というよりチラシです。
こういうかわいいイラストのチラシはついついとっといてしまって机のマットの下に忍ばせたりしちゃいます。

ネイルが5本ともちがう色じゃない…!なんて言わないで。
5本ちがうのがいいの。
なんて。女の子ならわかるよね。

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