Kei Fujita_奇跡講座を生きる

2018年から奇跡講座を手に取り勉強を始めています。 2019年から奇跡講座の概念を実…

Kei Fujita_奇跡講座を生きる

2018年から奇跡講座を手に取り勉強を始めています。 2019年から奇跡講座の概念を実践して、兄弟との関わり合いを中心に学び合う「真我なるハート」の勉強会に参加しています。 【真我なるハート ブログ 】 https://note.com/shingaheart/

最近の記事

聖フランセス・シュー

02月18日に書いたブログ 数日前からフランセスの事が心にあった。 そのタイミングでのり子さんのブログを見るとフランセスの事が書かれていた。 その翌日、ラファエルが中国の話を始めた。 その次の日、ラファエルとミーティングで出かけ、そこでも相手から中国の話が出た。 その次の日、キッチンで料理をしているとラファエルが来て、別な件で中国についてのミーティングがあると話し立ち去った。 料理を中断し、 フランセス(中国)がシンボルを使ってサポートしているのを感じるなとキッチンで

    • ドネーション(寄付)について

      私はあなたのものです。 という言葉が徐々に心から祈れる準備が整えられている気がしている。 今まで大事に握りしめていた仕事、お金、家族、慣れ親しんだ生活、功績やプライドを優しいやり方で、少しずつ手放す以外になくなってきた。 共同生活する事で毎日感じる深い恐れと浄化。 生活する資金もほとんど底をつくところまで来ているが、外に出て働くガイダンスは感じず、無数のファンクションが与えられていて、それを共同でやっていく方が心の通りがよく、ガイドされているように感じている。 常識

      • コミュニオン

        というわけで1月13日から現在まで共同生活が始まり、5人と生活を共にしている。 今まで激しい抵抗感があったものの、共同生活が始まるという数日前、同じ時間、同じ場所を共有しなければ自分はどうにもならない地点に自分がいることに気づかざるを得なかった。 なので決断する時にはすでに他の選択肢はなかった。 そして毎月開催される献身滞在の参加や継続的に続くファンクションで連日ラファエルと二人で過ごす日々など、少しずつ慣らしてもらえた部分があったように感じる。 そんな優しいやり方で

        • 今後出会う可能性のある私である兄弟に💖

          いつもブログを見ていただきありがとうございます。 フジタ コウスケといいます。 真我なるハートのWEBサイトが新しくなり、ブログで紹介したいと感じたのですが、それだけでなく学習グループの一人の参加者として僕の参加の経緯を少し書くのが良い感じがしました。 約3年前に毎日当たり前のように働いていたのですが、仕事を離れることになり北海道の実家に住んでいました。そこの実家を離れ奥さんの生まれたベトナムハノイの実家に住んでいましたが、さらにそこも離れ関東で車中泊とキャンプ泊の生活を

        聖フランセス・シュー

          無知で気楽で養われる

          以前から、あり得ない奇跡の連続の結果で、ここまでこれていると時折感じる。 関東に来てからも、いろんなファンクションをさせてもらい、そのお礼の様に色々なところからドネーションをいただけたりする。 来月の食費はわからんけどファンクションはやる感じがして続けていると、色んなところからドネーションを与えてもらった。 食事は2ヶ月は大丈夫な気がする。 ご近所さんとの交流もでき、草刈りを手伝ったり絨毯を移動させるのを手伝ったり、認知症の旦那さんの朝のトイレ、ベッド介助を手伝ったり

          無知で気楽で養われる

          愛に心が開き始めた

          真我なるハートの学習グループに関わり続け約4年。 その4年の内コース学習は約3年。 奇跡講座ワークブックは心の平安を保つために2周した。 奇跡講座テキストは学習グループで話されていた内容を探して読む程度で、それ以外はほとんど読んでいない。 だけど真我なるハートに関わり、たったの4年で私は「幸せ」を時折感じている。 無邪気な子供の頃を除くと、僕の人生の大半は幸せを感じてこれてなかったことは事実だ。 20歳の頃一時的に経験した完全幸福(愛)を探し求めて、ある時、出会った奇

          たくさんのサイン

          5月のGWから5月9日頃までのこと どんなに混乱状態でパニックだったとしても、助けとサインが毎瞬差し出されていた。聖霊、イエスからたくさんのサインを与えてもらっていた。 5月のGW前からパニックに陥り、のり子さんに個人セッションをお願いしたら、個人セッションではない形でzoomをしてくれた。 僕のパニック状態を話すと、のり子さんから 「大丈夫だよ」 と言ってもらい、家に3日間泊まらせてもらった。 のり子さんから 「食べたいもの、飲みたいもの、チョコレートとか買ってから

          バックラッシュと救いの手

          4月からの怒涛のファンクションと4月献身滞在が終わり、GW辺りから1週間程度、絶望の淵にいた。 いくつかの請求書が来て生活ギリギリに追い込まれ自分を責め続けた。 「関東に来たのは身勝手な判断だった!」 「俺は完全に間違った選択をした!ガイダンスなんかじゃなかった!」 関東にさえいれば、兄弟との関わり合いが継続できる。 リアル献身滞在に定期的に参加できる。 そのような期待を胸に関東に向けて車を走らせて、車中泊、キャンプ泊を始めて生活を切り詰めてたが、あっという間に期待が

          バックラッシュと救いの手

          CORRECT(正しい)という励まし

          4月献身滞在が終わってすぐの雨の日。 海岸で車中泊でもしようかと向かう途中。 運転中ずっと前を走っているトラックの英語とゾロ目が気になり写真を撮った。 「777」のゾロ目(こんな意味らしい) 時たま 「俺は車中泊とテント泊で本当にいいのだろうか?」 と疑いが出たりしていたので、 「それでいいよ。正しく進んでるよ。」 と聖霊から励まされている様に感じた。 どんな人生であっても感謝し、信頼していられますように🙏

          CORRECT(正しい)という励まし

          非日常とありがたい機会

          今日が何日で今が何時でどこにいて何をしているのか。 ほとんど理解できないまま過ぎた2週間。 毎日、毎瞬その瞬間に兄弟と祈り、コラボレーションし、何時に食べ何時に寝るも全てお任せする毎瞬だった。 朝8時から深夜1時まで朝から晩までファンクションを続け、約2週間のり子さんの家に泊まらせてもらった。 2週間だったかさえも正確じゃない感じがする。 毎瞬心を見つめる機会となり、 心身ともに限界まで追い込まれ、 自我は 「俺はこんなにやってる!少しは休ませろ!」 「当然こうであ

          非日常とありがたい機会

          ハートに従う❤️‍🔥

          激しい悲しみはあったが喜びに従い始めた。 3月にベトナムから日本に帰ってきて、自由の兆しと喜びを感じながら飛行機で東京に降り、東京で一泊してから北海道の実家に帰った。 実家に帰ってきてから、慣れ親しんだ家の懐かしい空気に触れ、さらに開放感があったが、翌日、喜びの感覚が閉じはじめているように感じた。 小さな箱に自分を幽閉している感覚がしてきた。 せっかく感じられるようになってきたこの心の広がりを留めておけなかった。 ようやくつ付き始めた火種を消したくなかった。 「も

          ハートに従う❤️‍🔥

          激しい欠乏感

          3月10日~3月20日頃 ベトナムから戻り仕事で東京に居る時のメモ 寂しさ、欠乏感が込み上げてくる。 今まで、大丈夫なフリをして隠し続けて生きていただけだと、奥さんと距離が離れてハッキリ見えた。奥さんがきっかけには見えるがそれではない。 大丈夫だと思っていたのは全く大丈夫じゃない。 絶えない欠乏感がある。 この絶望的な悲しみを何とかして、この世界を利用して隠すために、今まで仕事に没頭したり将来に想いを馳せたり、仕事仲間と語り酒を飲んだりして気を散らしていただけなのか

          聖霊がすべてを手配する2/2

          <聖霊がすべてを手配する1/2>の続き 地べたに頭と鼻を当てて、降参して深く懇願した。 すると徐々に道がハッキリと見え始めた。 数日後、奥さんとエクスプレッションをして、お互いの感じているものを打ち明けあった。 その後すぐ、僕は来ると思わなかった過去の仕事の修正要望が来て、データが北海道にあったため帰る時期は未定だが、確実に北海道に帰ることになった。 奥さんはベトナムで日本の商品の輸入販売を始めた途端に仕事が順調に進み、ベトナムで出店の準備もしたいということで、僕1人で北

          聖霊がすべてを手配する2/2

          聖霊がすべてを手配する1/2

          1月中旬ごろベトナムにて 僕の今の状況(仕事)について兄弟に相談してみたいことがあり、1月中旬になおちゃんに繋がってもらった。 その時は、今後の仕事の選択肢AorBについて聞きたかったのだが、僕の期待していた仕事の答えではなかった。 奥さんとの間に感じているものをエクスプレッションした方がいいと思う。 という話しと 何もかも聖霊に預けて「見せてください。」と祈り、信頼する。 という事についての話だった。 どちらも聞く必要があることだと感じて翌日から祈り方を変えた。

          聖霊がすべてを手配する1/2

          打ち明け続けてよかった

          この道を隠しながら歩む方が都合が良かったように感じていたが、反対するように見えていた奥さんに少しずつ真我なるハートの学習グループについて話していた。 合宿に行った何度目かに、 「神とか愛とかいい加減にしろ!」と激しくキレられて、 それがトリガーになり無価値さに触れ絶望感から、死んで償っても償いきれない感覚を感じたりした。 学習グループの話をすると、そんな感じがある一定時期続いていた。 数週間前にベトナムで、奥さんがやりたい仕事が見つかり 「目的を明確にして、あとは手放すだ

          打ち明け続けてよかった

          平安へのツールの凄さに触れる

          先月くらいから、 兄弟と繋がってもモヤっている感覚。 ファンクション中もモヤっている感覚。 エクスプレッションした後もモヤっている感覚。 日常もモヤっている感覚。 一向にモヤから抜けられる気配がなく、 兄弟の助けをかりて平安へのツールをやる感じがしてケンタさんが浮かんだ。 すぐに日程を調整してくれてzoomで繋がった。 準備ワークなのか平安へのツールなのか、 その両方なのかが分からないと伝え、 まずは最近感じていることについてエクスプレッションさせてもらった。 自然と

          平安へのツールの凄さに触れる