退職して、進学した

2年と9ヶ月働いた仕事を退職して、専門系の大学に進学することが決まった。
その経緯とそのときの手続きなんかについて書きたいと思う。のちのち、退職して進学しようかなと考えている人の助けになればいいなと思います。前置きが長い。ごめんね。

(※これは2019年2月22日にtumblerに投稿したものです。利用サービスの変更に伴い再掲載しています)


■進学に至るまでの経緯(長い前置き)

飛ばしてくれていいです。
実は、高校を卒業してから就職するまでに、私は一度専門学校に行っている。看護の専門学校だ。人を助けたいという思いはあったが、一番はお金が欲しかったからである。地元から出たこともなく、夢らしい夢もなかった私にとって、一番稼げる仕事のトップイメージが看護師だった。そして、なんだかんだで高校三年の4月に看護専門学校へ進学することに決め、勉強を始めた。
専門学校にしたのは、3年で修了だったからだ。あと大学はお金がかかる。早く就職して自分が自由に使えるお金が欲しかった私は、そういう短絡的な思考で専門学校に進学した。結果、色々あって半年で休学してさらに半年後には退学していた。
休学してからの半年間、私はコンビニのバイトとスーパーのレジ打ちバイトを掛け持ちしていた。コンビニのバイトは、学生時代に元々働かせてもらっていた早朝バイトを、時間を延ばして6時間入らせてもらった。そのあと三時間後にはスーパーで24時までバイトをしていた。単純に計算すると一日11~13時間働いていたことになる。週5で、とくに休みの希望も出していなかったので、片方が休みのことはあっても丸一日オフの日はなかった。家で過ごすのは、風呂と睡眠の5時間ぐらい。食事はコンビニで食べた。それで、給料は14万程度。退職予定の仕事の手取りよりも少ないし、年金や保険の支払いもある。けれど私は、とても嬉しくなっていた。今思うと気が狂っていたのだと思う。月3万程度のバイト収入からいきなり10万以上増えたのだから当然だ。
3月。正式に退学して、このままではダメだと思った。看護師になるための道を失って、漠然とした不安が重くのしかかった。将来に対しての保障がなくなって、とにかく不安で仕方がなかったのだ。そんな私は、色々なサイトや求人雑誌を見て就職活動をした。医療系から離れようと思ったが、受けた面接はことごとく落ちた。
最終的に私は、三ヶ月後に介護士として就職した。古くからの友人の紹介だった。正社員雇用がいい、と図々しくもお願いし、私は正社員で雇ってもらえることになった。それが今回退職することになった職場だ。この職場は、私がバイトで働いてきた職場を含めて一番いいところだった。一日8時間働くだけで手取りがバイト時代を上回ったことが衝撃的だった。保険も年金も、半分は会社が負担してくれる。自分で支払いに行かなくていい。とても幸せだった。医療の仕事に携われるのは、やはりとても楽しかった。私は、看護専門学校を中退したことを少し後悔した。
色々な患者とのふれあいを経て、就職し一年経つころには進学を視野に入れていた。ST(言語聴覚士、口周りのリハビリの専門家のこと)になりたいと思い始めていたのだった。そうしてようやく去年の秋、その専門大学を受験して合格した。春から晴れて大学生になる。

長くなったが、最後にこれだけ。
現役で看護専門学校に入学するまで、私は「現役進学でなければ価値がない」と思い込んでいた。それが何故なのか、どんな根拠を持っていたのかは未だにわからない。将来に対する不安の表れだったのかもしれないし、私の頭がずっと狂っていただけなのかもしれない。看護学校で20代~40代の元社会人が同級生としていてくれたから、私はこの決断が出来たのだと思う。
社会人から学生になることは、悪いことではない。その考えを持つことが出来たから、専門学生時代も悪くはなかった。と、今は自信を持って言える。


■退職前にしたこと

備忘録がわりに、私がしたことを書いておこうと思う。

①有給の確認
有給の残り日数を確認した。二週間分くらいあったけれど、有給消化は出来なかった。どちらかといえばさせてもらえなかったに近い。まあ人数も少ないし、昔からの暗黙の了解のようなものだった。辞めていった先輩たちも有給は消化出来ず、買い取りもなかった。権利があるはずだが無の圧力があった。そんな中でも有給を消化しきって退職した先輩はいたが、他のスタッフからは少なからず疎まれていた。どうせ籍を置いておくなら休まず最後まで働けよと言うことらしい。残っている有給を消化してから退職する、という職場でバイトをしてきた私にとってはわけの分からない言い分だった。まあ円満に退職したいので使い切れないことはもう承知の上だ。有給の話は口にするだけで睨まれる。わけがわからない。
出来る人は是非消化してから退職してほしい。ちなみに、基本的に学籍と被らせることは出来ないはずである。学籍は、通常4月1日からだ。入学式の日からではないので注意が必要である。

②専門実践教育訓練給付金をもらえるか
これは先輩から聞いた話。専門職になるために払ったお金に対して、一部を支給してもらえる。詳しくは厚生労働省のホームページとハローワークのホームページを確認してほしい。看護師なんかは対象になる。が、指定された学校でないと支給は受けられない。ハローワークに直接出向いたが、これは学校に問い合わせてほしいとのことだった。大学や専門学校のホームページに記載してある学校もある。ちなみに私が進学した学校は対象外だったため、申請書類や時期などについては分からない。申請は、受講開始の一ヶ月前までに済ませる必要があるそうなので、合格したらすぐに確認したほうがいいだろう。

③年金と健康保険
親の扶養に入ることにした。職場の事務の人に聞いたが、収入は103万以内にとのこと。扶養に入るには、見込み計算で被保険者の半分以下の収入が基本基準らしい。この辺はこれから詳しく調べる予定である。大方大丈夫だと思いたい。


■入学してからする予定のこと


①奨学金を借りたい
日本学生支援機構で奨学金を借りたい。働いていたとはいえ、色々あったため貯金も多くはない(一番の理由は、オタクに戻ったことだ。遠征費がとにかくかかった)看護学生時代は、高校で予約採用を受けていたから何の心配もなかったが、社会人ではそうもいかない。入学してから、進学先の学校での申請になる。
それはいい。問題は、私が一度奨学金を借りており、現在も返還中であるということだ。それについて日本学生支援機構に問い合わせてみたところ、条件さえあえば貸与は可能だとのことである。ただしその条件は学校によって差があるため、やはり学校に問い合わせてほしいとのことだった。
奨学金の返還猶予手続き(看護学生時代に借りていたもの、全額返せる金額だったから繰り上げ返済しておけばよかった)は入学後になるらしい。なんでも、申請の際に学校の識別番号が必要だそうだ。

②アルバイト
携帯代、車のローンと保険料、家賃。これが、私が学生になっても払い続けなければいけないお金になる。車のローンは、二年生の終わりまで払わなければいけない。貯金と奨学金があっても払いきれないためバイトは必須だ。
しかし、アルバイトのせいで勉強が疎かになるのは避けたい。必要な金額は決して安くない。そして、103万以内にしなければならない。そう考えた私は、ひとまず休日に夜勤のバイトをすることにした。平日は働かない。働けないのである。勉強して帰ってきた日の夜はもうくたくたになることを、私は看護学生時代に学んだ。同じ轍は踏まないと肝に銘じた。その妥協案が、土曜に夜勤をするということだった。


■終わりに


まだ入学もしていないうちからこんなことをつらつらと書くことに意味はあるのかと思う。けれど、現状の整理は出来るし、忘れっぽい私にとってはありがたい。冒頭で誰かの助けになればいいとは書いたが、結局自分のための文章になってしまった。
これを書いている私は、二次創作で小説(とはいえないが)を書いており、同人誌を出すために定期的にイベントに参加したりしている人間だが、それも出来なくなるだろうことは重々理解している。ツイッターにかまけている場合でもない。でも息抜きはほしいので、最初のうちは案外いままで通り過ごしそうでもある。未来はだれにも分からない。
とにかく今は、仕事のまとめがつらい。あと1ヶ月と少しで退職かと思うと、やはり寂しいところもある。仕事をしながらハローワークに行ったり、証明写真を撮りにいったりするのは中々に厳しい面もある。事実、私はこれを書くために夜勤前の仮眠を犠牲にしてしまった。
まあとにかくなるようになるだろう。何かを学びたいと思ったときには、すぐになにかしらの行動を起こすほうがいい、というのは此度の教訓だ。貯金でも良いし、勉強の資料を手に入れるだけでもいい。普通に生活しているだけなら、興味なんてものがそもそも湧かない。それに、やってしまえば後には引けない強制力もある。私くらい怠け者の人間にはそれくらいがちょうど良い。
一度きりの人生を好きなように生きる。この歳になって、初めてその言葉の意味が理解出来たと思った。