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茜染野中の隠井(あかねぞめのなかのこもりいど) [現行上演のない浄瑠璃を読む #11]

初演=元文3年[1738]10月 大坂豊竹座
作者=原田由良助 添削=並木宗輔

世話物。
当時有名だった丁稚殺害事件に題材を得ているらしい。

備前児島の武士、唐琴浦右衛門は、主人から預かっていたお家の重宝である刀を紛失。(頼むALSOKと契約してくれ)

浦右衛門の妻・お吉は、その詮議のため大坂で仮住まいをする。刀を盗んだ犯人は、実はお吉の兄だった。お吉の兄はただのチンピラだったが、お吉が武家の妻になったことで取り立てられただけのならず者である。

大坂の新町、お吉の家には、染物屋の由兵衛という男が出入りしていた。あたかもお吉のダンナのように振舞っていた由兵衛だったが、それは世間をはばかる芝居。彼はかつては唐琴家に仕えていた武士だった。酒に酔って事件を起こし、お手討ちになるところをお吉に助けられ、大坂で町人として新しい人生を歩ませてもらったという過去があるため、恩返しとしてなんとしてでも刀を取り戻したいと、お吉を匿っていたのだった。
そんなこんなをしていると、前々から話を回していた刀研ぎから、紛失した刀と思われる品が持ち込まれているという情報が入る。なんとかして代金50両を揃えてそれを買い取り、お吉ファミリーに類が及ばないようこと穏便に済ましたいと思う由兵衛だったが、そんな金はない。

由兵衛は可愛がってくれている伯母の家を尋ねるも、伯母の夫はひどいケチのため、伯母にそんな大金の工面はできない。しかし伯母は、夫から預かったわずかばかりの講中の金を由兵衛へ渡す。帰りの大雪の中、悪人と喧嘩した由兵衛はせっかく伯母が渡してくれた金を落としてしまう。ところがその金は、由兵衛と入れ替わりに帰宅した伯母の夫の下駄の歯に挟まり、叔母の手元へ戻ってきていた。事情を聞いた叔母の夫は、金はもう預けておけないとして懐にしまってしまう。が、雪の中、落とした金を必死に探す由兵衛の姿を見て、叔母の夫は彼に金の包みを投げつけて与える。

一方、由兵衛の家には、妻・小梅の弟である長吉が遊びにきていた。長吉はわりと小さい子供で、喋り方がたどたどしい。小梅は奉公に出ている長吉に、「主が大事」と言い聞かせる。その長吉は、奉公先の金100両を集金してきたところだという。大金を持っての立ち寄りは番頭の許可を得ており、今日は日も暮れたので姉のところに泊まるつもりだ。
そこへ由兵衛が帰宅する。小梅は由兵衛に長吉の持つ金のことを話し、酒を買いに出る。ところが彼女が徳利だと思って持って出たのは花瓶だった。いつにない間違いに、小梅は徳利を取りに戻るか、酒屋で借りるかを迷う。が、そのころ由兵衛は、長吉を刀で斬りつけ、金を奪っていた。
帰宅した小梅が最期に長吉と話したいと言うと、死に瀕した長吉は意外なことを言い出す。持っていた100両の金は預かり金ではなく、店から盗み出したもので、姉夫婦が金に困っているのを見て盗んだのだという。長吉はこの罪のために、姉に金を渡したら、下見をしておいた井戸に飛び込んで死ぬつもりだったと語り、息を引き取る。二人は長吉に白い帷子を着せ、商売道具の渋桶に入れて、長吉が言っていた井戸へ遺骸を沈めに向かう。

長吉から奪った金で由兵衛はやっとのことで刀を取り戻し、お吉も喜ぶが、悪人たちの密告によってお上からの手が回る。由兵衛は捕らえられるが、同時に悪人たちの悪事も露見し、捕らえられる。
めでたしめでたし。


………………どう反応したらいいの!?!?!?!?!?!?!
「お家の重宝の刀紛失」という、「今日は天気がいいですね」レベルの「芝居あるある」発端から急転直下。
金がない、金がない、金がない、金がない、金が欲しい、金が欲しい金が欲しい金が欲しい金が欲しい欲しい欲しい金が金が金が金が金が金が金が金金金金金金金金金金金金金金金金殺。
みたいなやばい話。
金のために幼い子供を惨殺するのは『傾城阿波の鳴門』十郎兵衛住家と似た展開だが、本作では、子供は元から姉のために死ぬつもりだったという設定。確かに「子供はこっちが思っている以上にこっちのことを理解していて、空気を読んだ行動をする」というのはわかるが、怖いがな。

事件そのものは実際に起こったものをモチーフにしているそうだが(先行作あり)、話運びにヤバみがかなり炸裂している。
由兵衛は本物のサイコパスなのが本当にやばい。
いかにもしょぼそうな伯母にない金をねだるシーン(そして少額を渡されて逆にそれを断れず持ち帰るシーン)、雪の中で落とした金を探し回るシーンが惨めすぎて、いたたまれない。
そして、長吉を殺す場面の異様さ。十郎兵衛住家のように事故で偶然殺してしまうのではなく、確信的にやっている。妻の弟とわかっていて躊躇なく殺すのは、さすがに怖すぎではないか。文章に暗く異様な雰囲気が漂う。
小梅も、間違いなく弟が殺されようとしているのに、すぐに家に戻らないのはなぜなのか。そもそも、なぜ夫に「弟が金を持っている」という話をしてしまったのか。殺させようとしたのか。
クライマックスで鳴り響く「長吉返せ」の声と鉦太鼓の音の恐ろしさ。

ある著名研究者の本作に対する評で、「由兵衛を、出来心から長吉を殺し、罪業の深さに悩む人として、同情的に描く」としているものを読んだが、私にはとてもそうは思えない。
元来ヤバさのポテンシャルはあるが、なんとなく流れで真面目風に生きてきた人が、「忠義」という大義名分のために狂っていく異様さを描いた話のように思えた。本人は真面目なはずなのに、外野から見たら動機から行動まですべてが完全異常者の「寺子屋」の源蔵、「長町」の団七と同類の気配がある。
同題材でも歌舞伎『隅田春妓女容性』だと、妻の弟と知らず殺したという設定で、ちゃんと同情ポイントを作ってあるようだ。でもまあそれだと普通か。

なんとも不気味で、田中登監督の『人妻集団暴行致死事件』に近い後味の悪さを感じる作品だった。
原作として松田和吉(文耕堂)の『梅屋渋浮名色揚』という作品があるようで、それも読もうと思う。


はじめのほうで、由兵衛の妻・小梅が、由兵衛は妾を囲っていると金貸しに吹き込まれ、彼にくっついてお吉の家へ偵察に行く場面がある。その際、小梅は金貸しの着物の裾に入って、縁の下に隠れる。趣向が『曾根崎心中』の天満屋と同じ。
まあ、そりゃ、こちとらお人形さんだから、大道具の隙間に物理的に詰め込めば入るんだろうけど、話が至極シンプルな『曾根崎心中』はともかく、リアリティが高いこの話だと、「入られへんやろ、どんな小柄な奥さんやねん」感が強かった。
現行文楽の『曾根崎心中』も、徳兵衛が縁の下に入ると、「おお、入った、入った(ホッコリ)」みたいな気分になりませんか? 動物が用意してあげた巣穴に無事入ったのを見届けたかのような安堵感を覚え、そのまま帰りそうになる。

しかし、お吉が元遊女というのは一体なんのための設定だったのか。現行文楽で復活されたら勘彌さんにやってもらう役ということでここはひとつ。


読む方法
桜井弘=校訂、義太夫節正本刊行会=編『義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成 55 茜染野中の隠井』玉川大学出版部/2020

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