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伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)[現行上演のない浄瑠璃を読む #8]

初演=安永8年[1779]3月 江戸肥前座
作者=達田弁二・吉田鬼丸・鳥亭焉馬

今回は、並木宗輔作品以外から。

伊達騒動+累伝説をマッシュアップした内容で、同名の歌舞伎の浄瑠璃化。
時は室町時代、足利家のお家騒動として設定しなおされている。伊達騒動を軸にしているため『伽羅先代萩』とストーリーが近しいが、現行「御殿の段」にあたるエピソードはない。

隠居したがる将軍義満、傾城高雄にうつつを抜かす弟頼兼によって、幕府の内情は不安定になっている。彼らは仁木弾正ら計算高い佞臣たちに取り巻かれ、陥れられようとしている。やがて頼兼は寺院に押し込められ、若君・兼若が家督を相続する。
幕府には将軍家を助けようとする善臣もいて、それは井筒外記左衛門というジジイ。彼の娘・月岡は若君の乳人をつとめており、息子・女之介は頼兼の小姓として働いている。ほかに長男がいるが、他家へ養子に行っており、まもなく実家へ帰ることになっている。外記左衛門はだいぶ最後のほうになるまで出番がないが、この一家をめぐる動きが浄瑠璃らしいドラマになっている。



伊達騒動部分では、有名キャラ・有名エピソードはひとまず盛りこまれている。いろいろ盛っているためか話運びがやや煩雑で、登場人物がやたらと多く感じられる。実録等を読んで伊達騒動物を知っていれば「ああ、あれが元ネタね」とわかるが、そうでなければ、人の出入りが唐突すぎて、めちゃくちゃ複雑。最近、偶然ながら実録関連の本をいろいろ読んでいたので、だいぶ内容が理解できて、助かった。

クライマックスでは、善臣vs悪臣が裁判で直接対決する。実録の伊達騒動物(『仙台萩』など)の目玉シーンになっているものが流入しているのだろうが、浄瑠璃の『伽羅先代萩』では存在しない部分だ。まあ、裁判とか言っても、最後は悪臣が逆ギレして斬りかかってくるんだけど……。しかもそれを善臣が命と引き換えに斬り殺す突然のパワー解決で、実録を踏まえている展開とはいえど、唐突感がすごい。
現状の文楽では、このような裁判パートは間持ちが難しいだろうなと思った。裁判そのものはドラマ性が低いので、見所たり得ない。実録は講釈(講談)のネタ本として用いられることも多かったようだが、話芸でなら、面白い場面だと思った。

現行『伽羅先代萩』の政岡にあたる若君の乳母は、「月岡」という名前で登場する。幼い若君から慕われており、若君は月岡を責め苛む佞臣たちから彼女を守ろうとする。若君の膳に毒が仕込まれているエピソードや、スーパーでっかいネズミが御殿を駆け回っている点は『伽羅先代萩』と近しい。また、本作で月岡が失うのは父と兄であり、父の遺骸を抱いて嘆き悲しむ場面で、現行「御殿」の政岡のクドキと近しい文章がある。
ただ、おもしろさは現行『伽羅先代萩』のほうが圧倒的に上だなと思った。本作や実録『仙台萩』系列作を読むと、『先代萩』の整理のうまさ、完成度の高さがわかる。


話としておもしろいのは、累伝説のほう。こちらのほうが、浄瑠璃としてははるかに完成度が高い。

頼兼に従う関取・絹川は、かつての主家の娘・歌潟姫と頼兼との祝言の邪魔となる傾城高雄を密かに殺害する。その後、悪臣らに追われたおり、絹川は偶然、高雄の実家である豆腐屋に駆け込んでしまう。絹川は高雄の葬儀を営む高雄の兄・三婦と妹・累に出会い、事情を知った三婦から許しを得る。そんなドタバタの中、累が絹川に惚れたと言い出し、絹川もそれを受け入れる。三婦が頼兼の保護を引き受け、累は絹川とともに彼の故郷へ向かうことにする。ところがそこに絹川に強い恨みを持つ高雄の亡霊が現れ、累の容貌を醜く変える。絹川と三婦は驚くが、絹川はそれでも累を絶対に見捨てないと誓う。さらなる高雄の呪いで累は足を悪くしてしまうが、絹川は彼女を連れて上総・埴生村へ向かう。
時が流れ、絹川と累は埴生村で仲良く幸せに暮らしていた。ところが村へ歌潟姫がやってきてしまったことで、大混乱が起こる。

と、なんか聞いたことあるなこの話。と思ったら、本作の累と絹川の夫婦愛の悲劇の物語は、現行『薫樹累物語』とほぼ同じ。というか、本作の累伝説パートを抜き取ったものを、現在『薫樹累物語』という題名で上演しているということのようだ。
全段になると絹川の前歴がはっきりするのかといえばそうでもなく、『薫樹累物語』以上のものはほとんどない。オプション要素は「累は以前に絹川と会ったことがあり(直前の外出中に見かけたってことっぽい)、その時点で恋をしていた」という設定くらいかな……。

ただ、絹川がもともと思いつめすぎでくそやばいヤツだとわかっていると、絹川が累を殺した後、彼女の首を主家の姫君の偽首にする展開にある程度の納得がいくようになる面はある。
ただ、現行上演のように、そこをまるごとカットして終わらせたほうが、絹川と累の悲劇は劇的になると思った。『摂州合邦辻』や『傾城恋飛脚』同様、全段上演しないがゆえに、観客自身の想像力による面白さ(の幻想)を生んでいる演目だろう。


読む方法
田川邦子=校訂『叢書江戸文庫 15 江戸作者浄瑠璃集』国書刊行会/1989
内山美樹子・延広真治=校注『新日本古典文学大系 94 近松半二江戸作者浄瑠璃集』岩波書店/1996

画像出典=『伊達競阿国戯場』東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵

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