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軽薄探偵 第五章 真相(1)

 安野は飛び上がらんばかりにはしゃいでいる。しかし、綾子は違う。探偵なんて仕事は、適当に想像を巡らせていればいいのかもしれない。しかし警察は違う。誤認逮捕を極力排除し、えん罪が起こらないように、慎重に物証を集め、目撃者を探し、裏付けをしっかりと取った上で「容疑者」を逮捕しなければならない。安野の話には物証もない、裏付けもない……。ま、とりあえず上司に「コンビ」を組まされた手前、しょぼくれた探偵男の妄想につき合ってやるか……。
「なぜ、犯人が水島結花と言い切れるんですか?」
「おやおやおや~。状況証拠はすべてそろったのに、何いってるのさ、女王ちゃんは」
「探偵はどうか知りませんが、警察機構は状況証拠だけでは動けません。誤認逮捕の恐れもあるし……」
 すると安野は目を見開いていった。
「わかってないなあ。女王ちゃん。君に限って『誤認逮捕』はあり得ないんだよ。『えんま女王』は真偽を見抜く『目』を持っているんだろ? それは『取調室』だけで使うものじゃない。あたりをつけた人間と話せばいいんだよ。そいつが『嘘』を言っているか『真実』を言っているか、女王ちゃんはわかるんだよね。君の才能は『捜査』の場でこそ使うべきだと思うけどな~」
 ……確かにそうなのだ。「聞き込み」等でも自分の才能は発揮される。しかし、綾子は一日に何人もの人間に接触し、話をすると、その多くの人間がどこかで「嘘」をついていることが分かってしまう。そして、それは、綾子を精神的に非常に疲れさせる。だから、そのことを上司に告げ、今や綾子は、会う人間を最小限におさえようとしている。そのためには「ひらめき」が必要なのだ。現場検証と捜査資料から何かをひらめき、実際の捜査は仲間に任せている。
「単独捜査」も実はそのためでもある。組まされた相棒の「嘘」が見えるときほど嫌なものはない。だから綾子が最大に「目」の力を発揮するのは「取調室」だ。綾子の才能は、誰かが逮捕してきた容疑者に対してのみ使われている。「えんま女王」という嬉しくないあだ名も授かった。警察に入って10年近く、自ら逮捕した人間はひとりもいない。
 今、目の前にいる安野ジョーという男、あのおかしなコーティング剤をはがしてから、この男の表情にとくに嘘は感じなかった。しかし、男の話は別だ。突拍子もなさすぎる……。
「よーし、女王ちゃん。僕が今から、完璧に練り上げた推理をひけらかせちゃうから、あああっと、驚くなよ~」
「安野さん、水島結花犯人説は『推理』ではなく『憶測』、いや、あなたの『妄想』ではありませんか? なんの裏付けもないんですよ?」
「あらららら、『妄想』と来ましたか~。一応それなりの根拠があるにはあるんで、それは却下ね~。じゃあ『推理』と『憶測』がどう違うのか、この僕に50字以内で説明してくれるかな~」
「いいでしょう。『推理』は、それなりの物証なりを根拠にくみ上げるものです。『憶測』は、単なる想像です。いかがでしょうか?」
「うーん、数えてないけど、多分50文字以内なんじゃないかな~。ブラボー、女王ちゃん。じゃあ、『推理』に想像は微塵もはいらないのかい?」
「そ、それは……」
 今、目の前で人を刺した男がいたら、即「現行犯逮捕」だろう。しかし今回のように「犯人」の分からない事件の場合「推測」で捜査をせざるを得ない。でなければ一歩も動けない……。綾子は、この男のへりくつにうんざりしてきた。
「せめて、何か根拠をあげてください。安野さんが水島が犯人だと思う根拠を」
「コンビなんだから、ビビビっと感じて欲しいなあ~。説明すると長くなるじゃなーい」
「私は警察の人間です。単なる憶測だけでは動けません!」
 綾子はつり目ぎみの鋭い眼光で安野を見据えた。確かに「現場」で自分の才能を使うのは悪くないと思う。でもそれは自分が納得してからだ……。
「うーん、じゃあ、質問形式でいこうよ。入江佑司の浮気相手五人の中で、最も異質なのは誰?」
 綾子は頭を巡らす。異質? そういえば、水島結花だけが独身、しかも佑司の会社のすぐ隣の「スターバックス」で密会している……。
「み、水島結花……」
 綾子は、安野にしてやられたような気持ちになって、小声で答えた。
「ね、そうなるでしょ? じゃあ、あとは簡単じゃない~」
「……水島が、入江佑司に結婚を迫ったと考えてるんですか?」
「もちろん。水島結花はスーパーの店員、独身、安アパート住まい。歳は37歳だから『結婚』を焦っている。で、入江佑司は大手商社マン。メルヘン発動するでしょ?」
「でもあえて会社の近くのスターバックスで会っていたというのは……」
「うーん、そうだったね。女王ちゃんは実際に『密会』の現場見てないからね。五人の中では、水島が一番積極的だったし、僕が調査を開始してから、一番多く佑司が会っていたのも水島なんだよ~」
 綾子は、この男が何をいおうとしているのか、次第にわかってきた。「ひらめき」がついに訪れたのだ。
「つまり、こういうことですね。佑司は水島を一番気に入っていた。一方、水島の方には結婚願望があり、たびたびその件で佑司に迫っていた。佑司も水島を手放したくないので、心にもない『結婚』をちらつかせた。自分が本当にそこまで考えているというアピールが『スターバックス』での密会というわけですね」
「そう。まったくの『憶測』だけどね。『憶測』『推測』『推理』……どれが一番偉いのかな~。あ、ちなみに水島が一番美人なんだよ~。強面えんま様のあなたは傷つく言葉かも知れないけど~」
 もはや綾子には、安野の軽口はどうでもよかった。綾子の思考は「ひらめき」によって高速回転を始めていた。おそらく佑司は、未婚の水島にのみ「結婚」をちらつかせてつき合っていたのだろう。101号室から自分が発見した「安野探偵事務所」からの受諾書。あれを見る機会は佑司にもあったはずだ。身を案じた佑司は、女達との関係の「清算」を始めた。四人の女との縁を切るのは容易だっただろう。お互い「遊び」と割り切っていたに違いない。しかし、水島は違う。佑司との結婚を夢見ていた。その佑司に裏切られた。
 安野は、佑司は会社と家が近いと言っていた。実際、あの「スターバックス」は、杉並殺人事件の現場に近かった。水島が佑司の住んでいるマンションを知り得るチャンスもあっただろう。さらに、水島はクルマを所有している……。死体を運搬することも……。

(つづく)

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