軽薄探偵ヘッダー

軽薄探偵 第三章 事件(3)

 安野は外に出て行ったきりなかなか戻ってこなかった。もうタバコは吸い終わっている時間だろう。綾子は気になって店の入り口を見た。外で安野が「おいでおいで」といった風な動きをしている。綾子は外を指差して、もう一方の手で自分を指差した。安野が大きくうなずいている。
 綾子は、安野がテーブルに広げた捜査資料を小脇に抱え、レジで、自分の分と安野の分を支払い、外に出た。
「安野さんのコーヒー代、あとで請求しますからね!」
「まま、固いこといいっこなし子ちゃんで。これより隣のビルを御覧よ、女王ちゃん」
 綾子は言われる通りに、隣のビルに視線を移した。赤杉商事の杉並支社だった。
「大手だよねえ。赤杉商事。僕なんか、絶対にやとってくれないだろうなあ」
「赤杉商事が何か?」
「おいおい、おいおい、女王ちゃん。捜査資料ちゃんと読み込んでる? 101号室の被害者、入江佑司の勤め先だよ~」
 そうだった。失念していた。私が自分で101号室の被害者の調査を願い出たのに……。綾子はしまったという表情を浮かべた。
「うーん、気にしない、気にしない、女王ちゃん。女だって30も過ぎれば、健忘症にもなるさ」
 綾子は今年で32歳になる。私の歳まで調査済みか……。しかし、健忘症って……。
「すいません、捜査本部が動き出したばかりなので……」
「そんなことはどうでもいいのよ、女王ちゃん。なにか感じないかい?」
「……会社と、密会の現場が近すぎますね!」
「おお、匂ってくれたかい、女王ちゃん」
「でもなんで、被害者の入江佑司は、勤め先からこんなに近いところを密会の場所に選んだんでしょう」
「多分、水島結花に押し切られたんだろうねええ」
「押し切られた?」
「うーん、女王ちゃんにはまだ情報が足りないか~。水島結花、37歳独身、中野区に住んでいて、スーパーの店員をやってる。あまりグレードの高くないアパートに住んでるけど、なぜかクルマを持ってるんだよ~。ほら、ピンピン、来たでしょ?」
「……なにも来ません……」
「まだ小娘の女王ちゃんにはわからないか……あはは」
「失礼な!」
「まあ、僕と甘くてすっぱい恋愛でも経験すれば、女王ちゃんにもわかることかも知れないねえ」
 綾子は恋愛経験がないわけではなかった。しかし「嘘」を見破る能力は恋愛にはマイナス効果だった。綾子は男の嘘が分かってしまう。そのため、恋愛関係が長続きしたことはない……。
「あなたは、恋愛対象から言ったら、私から最も遠いところにいます!」
「ほう。知ってる? なんと地球は丸いんだよ。最も遠いと思ったら、実はすぐ後ろにいたりしてえ」
「あの、お願いですから、事件の話だけしてください!」
「コンビってのは、ときに雑談も楽しむ間柄じゃないとねえ」
 今すぐ本部に電話して、この安野という男とのコンビ解消を願いでたかった。
「そうそう、入江佑司が関係していた、他の四人について説明するよ。どこか場所を変えて。タバコが吸えるところがいいなあ」
 安野が事件に関係ある話に戻ったので、綾子はポケットに手を入れようとするのをやめた。安野が手をあげてタクシーを拾った。西荻窪の駅に近い「ドトール」で二人は降りた。
「うーん、やっぱタバコが吸えるっていいねえ。喫煙ルーム最高! タバコ税を払っている甲斐があるよ~。おっと浮気相手だね。まず、誰から行こうか。松下順子、43歳。専業主婦。夫は銀行員だね。この順子は、佑司との関係は、あくまでアバンチュールと割り切っていた様子だったよ。有閑マダムってやつだね。僕が見たときは、新宿の駅周辺に立っていて、そこに佑司が会社の営業車で彼女を拾って、近くのラブホテルに入っていった。なんと、あの会社の営業車には社名が書いてないんだよ~。営業マンが浮気するには格好の会社だね~。僕も入りたいもんだなあ」
「どうでもいい話はいいから、次の浮気相手を……」
「うーん、ま、カリカリしないで。えっと、この女にしようか。山口晴子、39歳。彼女も専業主婦。夫は学習塾を経営している。住まいは成城。やはり有閑マダム系だね。佑司とは吉祥寺あたりでよく会っていたみたい」
「ちょっと待ってください、引っかかるものが」
 綾子は「吉祥寺」ときいてピンと来るものがあった……。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?