軽薄探偵ヘッダー

軽薄探偵 第二章 事件(2)

「どうよ? スターバックス。悪くないっしょ。なんと驚くべきことに、全席禁煙! 女王ちゃんにはつらいねえ」
「あの、私、タバコは吸いません」
「えええ、普通、女王さまって、長いキセルみたいなのでタバコ吸って、下僕の顔にプーとか煙を吹きかけるんじゃないのお?」
「真面目にやらないんだったら私、帰りますけど」
「ままま……、実は、ここ、入江佑司、つまり入江百合子の旦那が女と密会してた現場なんだよ」
「五人全員ともですか?」
「ノンノン、さすがにそんなに危ない橋は渡らないよお。ここで会ってたのは、えーと、この女、水島結花って女だね。で、この女が杉並事件の犯人さ」
 安野の唐突な決めつけに綾子は驚いた。
「は、犯人ですって? 何の確証が!」
「ひらめき、ひらめき~、確か女王ちゃんの得意ジャンルじゃなかったけ〜」
 女王ちゃんと呼ぶのだけはやめてくれと綾子は言いたかったが、いちいち訂正を求めていたら話が進まない。それよりも安野が水島という女を「犯人」と決めつけたのは根拠は何なのだろう?
「安野さんは、どうして水島結花が犯人だと思うんですか?」
「うーん、その前に女王ちゃんの『ひらめき』を聞かせていただきたいなあ。スターバックス、おしゃれだし、ひらめきまくるでしょ」
 綾子はまだ、何もひらめいてはいなかった……。
「現在、捜査本部は、101号室の『入江家』、102号室の『杉浦家』、そして103号室の『田中家』の住人たちの人間関係を調べています。通り魔的な犯行とは考えにくく、この三家族に共通の知人がいたのではないかと、そこが捜査のポイントです」
「いや、だから~、それは捜査本部の方針でしょ? 女王ちゃんはどう思うわけ? 犯人は三家族共通知人説なわけ?」
 そういわれれば、綾子には何か別の可能性の方が高い気がしてはいるのだが……。
「入江百合子だけが井の頭公園に遺棄されていたのが気になりますね……だから、私は入江家の担当を……」
「ほら~、ひらめいちゃってるじゃん。答え出ちゃってるじゃん、女王ちゃん」
 そう言われても、安野の口調のせいなのか、水島犯人説にまるで裏付けがないからか、綾子にはピンと来るものがなかった。
「入江百合子が根拠なんでしょうか……」
「だね。つまり女の犯行なのさ」
「あのですね、九人もの人間が惨殺されてるんですよ! 水島という女がひとりでやったというんですか? 私は納得できませんね」
「今、『惨殺』っていったね、女王ちゃん。じゃあ、どこからが『刺殺』でどこからが『惨殺』なのよ?」
「それは……九人もの命が……」
「でもひとりひとりは刺殺だよね。『惨殺』なんてメディアが作った言葉にイメージ操作されてると本質は見えないよ~」
 確かに女でも人ひとりを刺し殺すことはできるだろう。しかし九人となるとどうなのだろう……。
「よーし、ではでは、103号室の田中家の被害者見てましょうよ、女王ちゃん。田中信夫80歳、田中ゆうこ77歳。田中真一53歳、田中裕美55歳。あまりタフネスとは思えない一家だねえ。この中で一番強そうなのが一応田中真一だけど、この人は糖尿病がかなり進行していて、目がよく見えなかったらしいと書いてあるよ~」
 安野が見ている資料を覗き込むと、それは捜査本部だけが持っている資料の一部だった。部長が渡したのだろうか。なぜ、こんな男に大事な情報を……?
「まあ、確かに田中家の場合、女でも犯行が可能かも知れませんが……」
「女王ちゃんならわずか二分で済む仕事じゃねえ?」
 綾子はつり上がった目で安野をキッとにらんだ。そういう冗談はやめていただきたい……。
「わお、怖い~、えんま様、すいません……で、次は102号室いってみましょうか、読むの面倒なんで女王ちゃん、読んで。同じもの持ってるでしょ?」
「いや、実は……今は持ってないんです」
「オーマイジーザス! 捜査資料も持たずに僕のとこ来たの? コンビ組むのにそりゃやるせないぜ……フィール・ソー・ブルーだなあ」
 まさか、お前とコンビ組まされることになるなんて知らなかったんだよ!
 綾子は、安野がテーブルに開いた捜査資料を手前に引き寄せ、杉浦家のページをめくった。杉浦和也40歳、杉浦真由美29歳、杉浦美優3歳……。
「3歳の娘さんは論外として、和也と真由美だなあ、問題は……。殺された順番分かってるの?」
 論外とか、順番とか、被害者に対してデリカシーがない……いや、そういう「情」を排除せよと、警察学校で教わった気が……。
「和也さんは玄関先で、奥さんの真由美さんと美優ちゃんは奥の部屋で倒れてましたね」
「倒れてた? 死んでたんだろ~。まだまだアマちゃんだなあ。やっぱり女王さまじゃなくて女王ちゃんだな~」
 悔しいが、安野は事件の「検証」をしている。情を交えてはいけない。正論だ。ただ口調はなんとかならないのだろうか……。
「うーん、和也が玄関先ってことは一番最初に刺されたんだろうね。あとは女対女、子供は論外……女にも可能な犯行な気がしてこねえええ」
 こうやって「可能性」を検証するのは間違っていないと思う。しかし、安野は「水島」という女を犯人と決めつけている。それは危険ではないのか? もっともやってはいけない「見込み捜査」ではないのか……。
「女性にも犯行が可能かどうかを検証するのは悪くないと思いますけど、その水島という女性を犯人と決めつけるのは早計ではないですか?」
「早計? 速く動かないと犯人逃げちゃうよ。女王ちゃんは何が欲しいのよ。指紋かい? 引っ越し屋、宅配屋、知人、どんな家もいろんな人間の指紋だらけだぜ~。目撃者かい? 事件からすでに3日よ? 現時点でいないってことは永久に出てこないよ~だ」
「動機がわかりません!」
 綾子は、安野の話の中で、一番のウイークポイントと思われるところを、多少声を荒げていった。
「僕と向かいあったレイディーはみんなときめいちゃうんだよね。でもそれを自分から店中に向かって公表することないじゃーん」
「その動悸じゃなく……あああ、じれったい。安野さん、10分でいいから真面目になって下さい! 動機です。犯人が九人を殺した理由です」
「おやおや、太陽がまぶしいから人を殺すのが人間なのに、動機ですか、女王ちゃん。そういうのは、犯人を捕まえたとき、犯人が自ら教えてくれるものだぜ。今、ここで、僕がいきなりナイフで女王ちゃんを刺し殺したら、動機は何ってことになる?」
「そういう、非現実的な議論をしている場合ではないんではないでしょうか?」
「非現実的? ほんとにそうかな?」
 安野はそういうとポケットを探り出した。まさか、ナイフが……。しかし、安野がポケットから取り出したのはタバコとライターだった。安野はそれに火をつけた。
「ちょっと、安野さん、ここ全席禁煙なんですから」
「違法かい? 女王ちゃん刑事だろ、逮捕するかい? うまいねえ、タバコは」
 当然のごとく店員が走ってきて、お客さん、困りますと注意を促した。
「あ、そうか、ここ、ドトールじゃなかったんだ。んじゃ外で吸ってきまーす」
 綾子は、お得意の、右手の平でテーブルを「バン」と叩きたい衝動にかられた。あんな男と組んでいたらまともな捜査はできない。私は入江百合子の夫の浮気調査のデータが必要なだけだったのに……。
 安野の事務所に立ちこめていた嫌な匂いがよみがえってきた。綾子は、すでに冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?