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軽薄探偵02 「AKB」vs「えんま女王」

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 新宿、歌舞伎町界隈のとある雑居ビルの前に、綾子は立っていた。ビル風は、綾子の長い髪をサラサラとなびかせる。そして、それとともにこの界隈に常に漂っている不快な匂いを綾子の鼻に運んでくる。
 よりによってなんでこんな場所に事務所を……そしてよりによってなんで私は受諾書を発見してしまったんだろう。早く要点だけ伝えて、どこか違う場所に移動したかった。綾子は雑居ビル内に足を進め、エレベーターに乗り「4」のボタンを押した。
 扉が開いた正面の部屋には、前に見た時と同じく、遠慮しているかのように小さく白いプレートが貼ってあった。「安野探偵事務所」。
 綾子はドアの横にあるチャイムを鳴らした。はーいという男の声が聞こえた。ドアが薄く開かれ、顔を覗かせたのは「安野」だった。
「あらららら、女王ちゃん。いったい何事~」
 安野は驚いたような顔をしている。「嘘」ではない。今日、綾子がここに来ることは予想外だったのだろう。この男と、初対面の時、おかしないたずらをされたので、綾子は内心警戒していたが、今日はその必要はなさそうだ。
「女王ちゃん。もう大丈夫なの? 腕の方は? 今日は部長からの事前告知がなかったねええ。うーん、ということは、今日はデートの誘いにきたのかなああああ」
 だめだ。この男の軽薄で間延びした口調にはまだ慣れない。というか永久に慣れたくもないが……。
「今日は安野さんに確認したいことがあってきました。とりあえず中に入れてもらえませんかねえ」
「おっとととっと、大歓迎。さあ、カモン、女王ちゃん。見て驚くなよ~」
 安野は、初めてこの部屋を訪れたときと同じく、ドアを大きくあけた。綾子は、二、三歩後退せざるを得なかった。
「え? 何これ?」
 前回、綾子がこの部屋を訪れた時は、正面に見えるデスクと、左側にあるファイル格納用と思われる本棚しかなかった。殺風景だと綾子は思った。それが今は、デスクの左右に、巨大なサボテンが四本置いてある。そして、右側の壁にはフランスの古い城を描いたものだろうか、絵画が一枚飾ってある。
 綾子は驚くよりも唖然とした。なんだこの無国籍な部屋は。
「いやいやいや、僕ねえ、最近、バイトなんかしちゃったりもして。うーん、ちょっと小金がたまったんで、事務所を飾ろうかと思ってねええ」
「なんでサボテン?」
「おややや、愚問だなあ、女王ちゃん。サボテンといえば荒野。荒野といえばテキサス。探偵にはねえ、テキサスカウボーイの血が流れているのが必然ってもんなんだよ。わかる~、女王ちゃん」
 分からねーよ!
「しかし~、僕ったら不幸にしてガンを持てない切ないカウボーイなのさ。なんと、歌舞伎町という荒野はガンは御法度なんだとさ。だから、たまには女王ちゃんのガンを貸して欲しいのよねえ」
 綾子は無視した。じゃあ、右にある絵画は何だろう?
「すいません。右の絵画は?」
 綾子は尋ねてからしまったと思った。ひとつ何かを聞けば、おかしなことが十は返ってくる男だった。
「ああああ、あれ。あれはなんだろうね。多分フランスあたりの古い城なんじゃないかなあ。うーん、でもね、それはどうでもいいのよ。城の下に湖が描いてあるでしょう。だからタイトルは『湖上の古城』っていうんだよ。ぐっとくるでしょ、女王ちゃん。あ、ちなみに、これ、印刷物だけどね」
 あのねえ、この部屋に必要なのは、そんなだじゃれみたいな絵画じゃなくて「ソファ」。依頼人が座るための「ソファ」なの!
 綾子はイラつく一方で、無邪気にはしゃぐ安野の姿に、不思議と好感のようなものも感じていた……あっと、いけない。ここへ来た用件を早く切り出さなくては……。
「先ほど、大田区で爆破事件がありまして……」
「また爆破事件かい~。こりゃ日本が荒野になる日も近いねえ。女王ちゃんも今のうちにサボテンと戯といた方がいいよ」
「爆破されたのは『須藤産業開発』という工場です。で、その工場の経営者である須藤一郎宅から、これが発見されました」
 綾子はそういってポケットから出した青っぽい紙を安野の前で振った。
「わわわわ、これは……たしかに僕の事務所の受諾書だねえ。案件は、須藤一郎のひとり息子、須藤透の捜索依頼と書いてある……」
「というわけで、須藤透の行方を教えて欲しいんですが……」
 安野は、困ったなといった顔で顎のあたりをなでながら、
「実は……なにも調べてないんだよ……」 
と、つぶやくように言った。
 安野の表情に緊張は微塵も見られない。本当なのか……。
「いやああ、実はねえ……ほら、個人情報がどうのとか、いろいろ規制が厳しくなったでしょう。人探しなんて個人事務所じゃ難しいわけ。だから、依頼は受けたけど動いてないわけさ。探偵業もいまや大変なのよ。今の探偵って、みんな心の中は、荒野を吹きすさぶからっ風にさらされてるんだよね~」
 無駄足か……。ではさっさと退散しよう。
 綾子がドアの方に振り向いた時、
「女王ちゃんは『須藤産業開発』が何作ってたか分かってるのかい?」
 背後で安野の声がした。しまった。慌ててここに来てしまった。「須藤産業開発」については情報を持っていない。
「すいません。慌ててたので……」
「オーマイガー、イッツ・ア・ダイナマイト! ……というわけで、ダイナマイトを製造販売していた工場なのさ」
「ダイナマイト?」
「そう。まあ、日本列島改造のころは、それこそ列島が揺れるくらい山だの川だのをぶっ飛ばしてたから、ダイナマイトのニーズはあったろうけど、今はねえ……。『C-4爆弾』みたいなプラスチック爆弾もあることだし……。だからあの工場、新しい爆薬を開発してたんじゃないかと思うよ。今回の爆破は『事故』によるものだね~」
 綾子は、またしても何の根拠もない安野の妄想が始まったと思った。しかし、以前はこの男の妄想が事件の本質だった。耳を傾ける価値があるかも知れない。でも、この部屋ではいやだ。第一、私の座る場所がない……。
「おおおお、興味もったみたいだね、女王ちゃん。うーん、んじゃ、こんな荒んだ荒野には別れを告げて、いけてるサルーンでテキーラでもあおりながら話そうじゃない~。あの、ちゃんと西部にあるような、観音開きの扉をバーンって開けて入ってくようなサルーンだぜ。女王ちゃん、刑事なんだから、どっかいいとこ知ってるっしょ」
 知らねーよ!!!

(つづく)

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