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軽薄探偵02 「AKB」vs「えんま女王」

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 飯田橋にある「横溝忠男調査員専門学校」の建物の二階の教室で、ある男が講義を行っていた。
「……まあ、というわけで、『個人情報保護法』が生まれて以来、例えば電話番号を調査をしてくれなどの依頼があった場合、調査される側……え~、なんだ? つまり調べられる側の人間の許諾も必要となっているわけでして……つまり、情報開示を要求しなくてはならなくて、さらに『ストーカー規制法」が……、あれ? これなんて読むんだっけ?」
 男はまだ、この講義に慣れていない様子だ。それよりも驚くのは男の風貌である。とても講師には見えない。よれたワイシャツにブラックジーンズ、腰までありそうな長い髪を後ろで結わえ、顔には丸型の薄いサングラス、そして、決しておしゃれからではないとわかる無精髭をはやしていた。
「え~と、つまり。今日のまとめとしてはアレだね。調査の対象者となった人間を決して『先入観』では見ては行けないってこと……」
 そこまで言って、男は頭をかいた。
「ま、例えば、浮気調査を依頼されたとしましょうか。うーん、あんまり最近浮気調査なんてないけどねえ。妻が調査に来たとすると、対象は『夫』なわけなんだけど、『こいつ浮気をしている』という先入観で動いてはいけないわけ。例えば女とラブホテルに入って行ったとしても、もしかしたら中でビジネスの打ち合わせをしている可能性だってなくはない。先入観を持たないってのはそういうことで……。うーん何がいいかなあ。シャケだ。いや鮭か。鮭が故郷の川に戻ろうとしているとしましょ。泳ぎながら二股に別れたところに来たとしましょう。左側の川は水が少し汚れている。右の川は水が澄んでいる。『俺の故郷は美しいところなんだ』と、この鮭は右に泳いでいった。知らない川の上流にきてしまった。さあ大変。本当は彼の故郷は左の川の上流だった……くらい、先入観は危険なものでして~……」
 講義終了のチャイムが教室に鳴り響いた。男は安堵のため息をついた。そして男は、どの生徒よりも早く教室を飛び出し、一階への階段を駆け下り、この建物の隣にあるビルを目指した。そこには大きく、「横溝リサーチ・カンパニー」の看板があった。
 男はビル内に入り、ある一室を目指した。ドアをノックする。どうぞという声が聞こえる。男はドアを開けた。部屋には60歳くらいと思われる、恰幅のよい男がひとりと、その隣には飾り物のように立ったまま微動だにしない女がいた。ドアから入ってきた男は、まるで立っている女は見えないかのように、六十男の座っているデスクに歩いていった。
「いやあ、横溝先生。探偵って難しい仕事ですねえ~。講義の内容がどんどん難解になってきて、僕にこの仕事が務まるのか不安になってきましたよ~」
「安野さん、なにを言ってるんですか。あなたも立派に探偵事務所を経営してるじゃないですか」
「いや、それが立派じゃないから、こうして、先生に講師の仕事をいただいて、やっと食いつないでいるんじゃないですか~」
 さっきまで講義を行っていた個性的な男の名前は「安野ジョー」。一応新宿歌舞伎町で探偵業を営んでいるが、依頼人がめっきり減ったため、調査会社の大手である「横溝リサーチ・カンパニー」が経営する「横溝忠男調査員養成学校」の講師を週に2回努めることで、なんとか暮らしている状態だ。
「しかし、起業、設立から4年ですか~。順風満帆って感じですねえ。今じゃ業界大手の部類に入るんじゃないですか?」
「ははは、ラッキーだったんだよ。私は最初から多角経営を念頭に置いてたんでね。学校部門とリサーチ部門。しかし、我ながらよくここまでとは思うよ。何せ起業したときは資本金が100万近くしかなかったんだから……」
 そういうと、横溝はデスクの引き出しを開け、葉巻を取り出した。飾り物のごとく動かなかった女……多分秘書だろう……が、その葉巻に火をつけた……。

(つづく)

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