軽薄探偵ヘッダー

軽薄探偵 第一章 事件(1)

「た、種明かし……?」
 綾子は驚いた表情で、安野の顔を見た。
「いや~、うーん、そのね。タネなんて分かっちゃうと簡単なものよ。実はさあ、あなたと同じく『微表情』を読み取って嘘をあばく『ライ・トゥ・ミー』って海外ドラマがあるんだけど、その主人公のライトマン博士に、表情を読み取られないようにするにはどうしたらいいかって、いつもそのドラマを見ながら考え……」
「余計な話はいいから、早くタネとやらを……」
「よし、いくぜ~。昔の名探偵が変装を取るときをイメージしてくれよ~」
 そういって、安野は、顎のあたりを爪でかいていたが、裂け目ができたのか、顎の辺りから、まるで顔の皮膚をはぐように、いや、まさに昔の名探偵が変装を取るように顎から、唇、そして鼻、額と薄皮をはいでいった。
「ふふ、薄いコーティング剤を顔に塗っていたのさ。女王さまが観察するのは『微表情』、つまりちょっとした顔の動きやゼロコンマ単位の『一瞬』の顔の動きでしょ? 生まれ持った高速動体視力の賜物だと思うけど、それを見えにくくすることはできるわけね。それがこれ。ふふふ」
 安野は、はがしたコーティング剤、顔の形をした薄皮をペラペラを振りながら嬉しそうに笑っている。
 綾子は唖然とした。安野が仕組んだ仕掛けよりも、わざわざこんなことをする安野という人間に唖然とした。
「よし、これで表情が読めるだろ? じゃあ、いくぜ〜。僕はおたくの部長から電話をもらっていた。さあどうだ?」
 そういいながら、再び安野は顔を近づけてきた。
 ……本当だ。顔のどこにも「緊張」の動きは見られなかった。つまり「嘘」をついていないことになる。ということは、浮気調査のデータも持っているのか……。

「では浮気調査のデータを貸してください」
「おお、女王さま、いいじゃん、いいじゃん。見抜いてるじゃない~。えっと、調査データね……。あ、うーん、そうだ。もうひとつ言っておかなくちゃ……。この事件、女王さまは僕と組むことになってるんだよ~」
 表情に筋肉の緊張は微塵もない。安野は本当のことを言っている。え? なんで、こんなのと私が組まされる……? 綾子は携帯電話を取り出した。
「おっと~、ヤボはやめましょう。女王さまは、僕が今、本当のことを言ったって分かってるんでしょ?」
「分かってます。ただ、理由が知りたくて……」
「理由? それこそヤボだよ、女王ちゃん。上司の命令に『理由』を問うなんて。警察機構は『縦割り』だからいいのよ~。ま、とにかくコンビなんだから、僕たちは。『女王ちゃん』『安野ちゃん』のノリで、いいグルーヴ出して行こうねえ」
「ふざけないで下さい。せめて「伊藤」と呼んでもらえませんか!」
「そういう高圧的な態度がよろしくないのよ、女王ちゃん。部長も言ってたぜ。鼻っ柱の強いのが行くからよろしくって。だから、僕は~、あんなことして驚かしてみたわけ? わかる? 女王ちゃ〜ん」
「すいません。調査データを……」
 綾子は努めて冷静に振る舞っていたが、今日、拳銃の携帯所持が許されていたら、この場でこの男を撃ち殺していただろう。
「これ、杉並区マンション連続殺人事件の手掛かりとして使うんだよねえ?」
「そうです」
 杉並区マンション連続殺人事件とは、杉並区にあるマンションの101号室の住人、102号室の住人、そして103号室の住人が全員、会わせて九人が惨殺された恐るべき事件である。被害者は全員刃物で刺されて殺されており、そして何故か101号室の入江百合子の死体だけが、マンションから離れた「井の頭公園」で発見されている。その残虐さ、不可解さが話題を呼び、メディアではこの事件を毎日のように報道している。
「うーん、えっとねえ、一応アイウエオ順に並べてあるんだけど……」
 安野は部屋の左側にある本棚のようなファイルケースのあたりでうろうろしている。
「あった。入江百合子の旦那、入江佑司には、確認できただけでも五人の愛人がいるね」
「五人! ……とりあえずその調査データを……」
「まあ、あわてなさんな、女王ちゃん。いっちょう現場近くのイケてるカフェーでカプチーノでも飲みながら事件を検証してみちゃおうじゃん。この街はあまり快適ではない。頭も働かないっしょ」

 こんな男と一緒にいるのはまっぴらごめんだが、この街の匂いはもっとごめんだ。二人はタクシーで杉並区に移動した。

(つづく)

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