軽薄探偵ヘッダー

軽薄探偵 エピローグ

 綾子は警察病院で目が覚めた。かなり大量に出血していて、適切な処置を行わなかったら、危なかったという。安野のおかげか……。
 しかし、あの男は何者なのだろう。話をしていると、軽薄で、饒舌で、妙にイライラさせられるが、水島を押さえ込んだ時の俊敏な動き。犯人・水島を使っての私への止血。ただ者ではないことは綾子にも分かる。命の恩人でもある。
 たった一日過ごしただけなのに、綾子の心にざっくりと刻み込まれた男、安野ジョー。また、コンビを組むことがあるだろうか。そうなったら、鬱陶しい気もするし、嬉しいような気もする。
「安野ジョーかあ……」
 綾子は、「ジョー」のカタカナ部分を、カタカナで呼ぶにはどうしたらいいのか、真剣に考えている自分に笑えてしまった。
 そのとき、ドアの向こうから「うーん」という、どこかで聞いた声が聞こえてきた。「うーん」、また聞こえた。部屋に入るのをためらっているのだろうか……。
「誰ですか、どうぞお入り下さい」
「おっとっと、ではお言葉に甘えちゃおうかな~」
 すでに綾子には、外にいる人間が誰だか分かっていた。遠慮がちにドアを開け、入ってきたのは安野だった。
「おおお、女王ちゃん。なんとこの世にいたのね~。『えんま女王』だけに、今頃地獄で取り調べでもしてるかと思ったよ~」
 その軽口は、綾子には不快ではなかった。むしろ懐かしさすら覚えた。分からない涙が溢れてきた。
「え~、実はねえ……」
 安野は自分が流している涙のことには触れずに、子供がいたずらをするときのような表情をしている。
「探偵ってのは因果な商売でさ。ときには『見舞い』なんてのもしなくちゃいけないんだよ~。まいっちゃうよね」
「……安野さん……」
「でもさあ、うち、貧乏探偵事務所じゃーん。だからマネー問題がね……。女王の見舞いに行くんだからさあ、本当は部屋いっぱいを花束で埋め尽くしたいくらいゴージャスに行きたかったんだけど……これだけなのよね」
 安野は後ろ手に隠していた一輪の真っ赤な薔薇を前に突き出した。安野らしいと思った。そう思うと、綾子の目から、新しい涙が流れた。
「うーん、一輪でもゴージャスっていったら、やっぱ深紅の薔薇っしょ。女王ちゃんにお似合い……。え、あれ? この部屋には花瓶がないわけね。あららら。んじゃ、その辺に置いとくから」
 安野は薔薇を窓辺に置いた。
「じゃあ、女王ちゃん。早く元気にな~れ」
 そういうと安野は逃げるように部屋を出て行った。綾子はもっと話をしたいと思った。いろいろと聞きたいこともあると思った。……でも、あの人は、何を言ってもはぐらかすだろう……。綾子は分かった。安野は照れ屋なのだ。だから、おかしなことばかりいってその照れを隠しているのだ。年齢不詳な男だが、少なくとも自分よりは年上だろう。にもかかわらず、ベッドの中で、綾子は安野のことを、なぜか「可愛い」と思った……。

 窓からの日差しは強かった。その日差しが、安野が窓辺に置いていった薔薇を真っ赤に照らしていた……。       

(終わり)

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