「バイきんぐ」と名付けたあの日の話

藤井ペイジの思い出100円
第2話

今やバラエティ番組に欠かせない芸人となった小峠と、その変人ぶりが明るみになって、小峠とは違う角度で脚光を浴びだした西村のコンビ「バイきんぐ」。

今回は「実は『バイきんぐ』と名付けたのは僕・藤井ペイジやで」という、軽く自慢めいた話を。
(最初は『バイキング』でしたが、ここではややこしいので『バイきんぐ』に表記を統一します)

95年から97年頃にかけて。
NGK(なんばグランド花月)の横にあるテレビ収録用のスペース「NGKスタジオ」が、ライブスペースとしても使用されていたことがあった。
舞台を建て込み、ひな壇型の客席を設置して、客席数は恐らく80〜250人。(可動式なので)

95年3月にNSCを卒業した我々NSC13期生。
まず目指すべきは、「心斎橋筋2丁目劇場」か「梅田花月シアター」のレギュラー出演。
そのためには、各劇場のオーディションライブを勝ち抜かねばならなかった。

しかし、それぞれの劇場には、すでに芸人があふれ、先輩である10〜12期生の方もまだたくさんオーディションライブに挑戦しており。
我々13期生は、そのオーディションライブさえ、思うように受けられないような状態だった。

その受け皿となってくれたのが「NGKスタジオ」。
我々13期生
(次長課長、野性爆弾、満(超新塾 溝神)、ツインテール(ブラマヨ吉田)、関西キング(ブラマヨ小杉)、トライアンフ(現俳優の三浦誠己)ミシマフジイ(僕の当時のコンビ)など)を中心に

半年後輩の14期生
(エレキグラム(フットボールアワー後藤)、ドレス(フットボールアワー岩尾と現漫画家のカネシゲタカシ)、市川塾(ロッチ小門)など)

1年後輩の15期生
(チャイルドマシーン、ランディーズ、マジェスティー(現吉本新喜劇の清水けんじと麒麟・田村の実兄のコンビ)など)や、
まだ在学中のNSC生を出演者としたお笑いライブを、月に2〜3回催してくれたのだ。

そのライブの名は「ドゥービー」(初期はドゥービードゥービー)。
MCが1組、ネタの出演者が8〜10組という、シンプルなスタイル。
養成所を卒業して間もない、どこの馬の骨とも皮とも分からない我々にライブのMCもやらせてくれるという、とても貴重な場だった。

ここからが本題。

96年だったか97年だったか。
僕はその「ドゥービー」にネタ側の出演者として出ていた。
MCは同期のツインテール。

その日の出演者の中に、NSC17期生の「町田・村田」というコンビが出ていた。
町田というのは今、福岡を中心に活動し、「ゴリパラ見聞録」という冠番組が全国的な人気にもなっている、下さい下さいピン芸人のゴリけんだ。

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