ブレない3人の同期

漫才コンビ・飛石連休の藤井ペイジです。
気づけば僕も芸歴25年。
華々しいテレビ業界のことはあまり分かりませんが、それなりにいろんな事がありました。

そんな思い出をnoteに綴っていくことにします。
かなりのお笑いマニアしか興味がないかもしれませんが。
ちなみに、生意気ながら有料記事です…

題して

『藤井ペイジの思い出100円』

第1回「ブレない3人の同期」

1994年4月、僕は吉本総合芸能学院・NSCに13期生として入学しました。
東京にNSCができるのは翌年なので、まだ「大阪NSC」という言い方はなかった頃。

当時の大阪は、雨上がり決死隊さん、ナインティナインさんを擁する吉本印天然素材や、千原兄弟さん・ジャリズムさんを中心とした心斎橋筋2丁目劇場のメンバーが、女子中高生を中心に、若者たちに大人気。
必然的にお笑い芸人を目指す人間も多かったのです。

入学式で言われたのは、「1000人受けに来て、300人が合格した」と。
その半数くらいが女子。

ケチで有名な吉本興業が(失礼)なぜ全員合格にして授業料で儲けなかったのか?

答えは簡単。

使用する教室が狭かったから。(本当)

普通に使うなら50〜60人、頑張っても80人の教室に100人詰め込み、A・B・Cの3クラスに曜日時間を分けて授業が行われました。
(その年には、あぶれた人の受け皿として、秋入学のクラスが作られました)

元の人数が多かったのもあってか、僕の期は比較的残っている芸人が多いのです。

M-1チャンピオンとなったブラックマヨネーズ。

同じくM-1王者・チュートリアルの徳井。

同期の中ではいち早くメジャーになった次長課長。

独特の芸風でついに頭角を表した野性爆弾。

他事務所に移籍した組では、クワバタオハラのくわばたりえ。

超新塾の溝神、安富、タイガー。

大川興業に移籍し、長年のフリー生活を経てまた吉本に戻ったチャンス大城。
(彼はNSC 8期生でもあるが、その話はまた今度)

芸人以外にも、放送作家になった桝本壮志、オパヤン、和田義浩(ブラマヨ吉田の元相方)。

俳優に転身した三浦誠己。

フジテレビに入社し、今もBSフジでバラエティ番組などを手がける谷口。

女子プロレスラーに転身した藤田愛(引退)。

などなど。

他の道に進んだ同期はさておき。
お笑いを続けているメンバーの中で、僕がNSCで出会った当時からずっと、お笑いに対して「ブレてない」と思う人間が3人いる。

それは…

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