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「親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞─生涯と名宝」で、浄土真宗=プロテスタント=火葬、という妄想三昧

 「親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞─生涯と名宝」(京都国立博物館)へ。
 手紙やらなんやらの地味な展示だろうから当初は興味をおぼえなかったが、福島の浜通りや北関東に、北陸や新潟の真宗門徒が大量に移民したという歴史を知って、親鸞の教えがムラにもたらしたものを知りたくなった。
 浄土真宗の門徒は勤勉で、間引き・堕胎をしなかったという。二宮尊徳の地域おこし「報徳仕法」が成功した地域の多くに真宗移民が入植していた。真宗移民の気質が報徳仕法の基盤のひとつになったらしい。
 そういえば全国で活躍した近江商人も浄土真宗の門徒だった。
 浄土真宗は資本主義を生み出したプロテスタントのような役割をはたしたのだ。
 そんな話のヒントになる展示があるのだろうか?
 親鸞自筆の文書類がいくつも残っているのは驚きだ。教行信証などは、親鸞が推敲した跡も残っており、親鸞の思考の揺れをおうことができる。
 比叡山で修行したが、法然の弟子になり、比叡山や興福寺などの攻撃によって越後にながされる。その後、常陸にうつり最後は京都にもどって没する……という人生もたどれる。
 だが、真宗と二宮尊徳とのかかわりや、真宗が経済活動を生みだすメカニズムなどは見えてこなかった。
 唯一収穫だったのは、土葬が多かった時代に、親鸞が火葬されたという記録だ。
 真宗移民についての本に、北陸からの移民たちは火葬の文化があり、相馬の土着の土葬文化と異なったこともあって差別された、と書いてあった。
 土葬が多かった近畿に両墓制が多いのは、穢れのある死体を居住地のちかくにおかないためだった。逆に古くから火葬中心の地域では両墓制は見られないらしい。

 浄土真宗は、カトリックに対するプロテスタントのように「合理性」を重んじる側面がある。火葬もまたその一例だったのだろう。
 ただ、真宗王国の能登半島で戦後しばらく土葬がおこなわれていたと聞いた記憶がある。あれはどういうことだったのか……

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