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飛騨高山に1週間住んでみた⑤分水嶺の神はまつろわぬ山岳民族

ゲロのバター、ゲロの牛乳……

室町時代の禅僧・万里集九や江戸時代の儒学者・林羅山が、有馬と草津(群馬)とならんで「日本三名泉」とよんだ下呂温泉をたずねることにした。
 ゲロという名の印象で、子どものころから興味があったが、町をあるくのははじめてだ。

 高山から南へはしり1時間ちょっとで、飛騨川沿いにひらけた温泉街にはいった
「さるぼぼ黄金足湯」には「さるぼぼ」の絵や人形が無数にかざられている。

「かえるの滝」や「かえる神社」はゲロゲロというカエルの鳴き声から創作されたようだ。でも、「ゲロゲロ バタースタンド 」「GEROGEROみるくスタンド」にはギョッとした。カエルよりも「吐くゲロ」をイメージしてしまう。

 温泉街は、飛騨街道と南北街道(中津川から飛騨へ向かう中山道の脇街道)の分岐にあたり、昔ながらの街道の雰囲気も一部にのこしている。長い石段をのぼった温泉寺からは町全体をみわたせる。
 公衆浴場の白鷺の湯(400円)は定休日だから、クアガーデンの露天風呂(700円)にはいった。温泉であたたまると、ながびく風邪もなおるような気がする。

太平洋と日本海の境

 飛騨川は南にながれて木曽川になり伊勢湾にそそぐ。高山の宮川は北にながれて神通川になる。おなじ飛騨国なのに太平洋と日本海の分水嶺をこえていたことにきづいた。
 高山から下呂にいたる分水嶺の峠は比較的なだらかだが、高山から富山にむかう峠は急峻で高速道路は長大なトンネルが連続する。急峻峠で国をわけるほうが理にかなっている。

 分水嶺の峠をこえて高山側にくだると飛騨一宮の「水無神社」がある。「水」の名は分水嶺と関係があるはずだからたちよった。
 神社の説明によると、「水無」は「水主」を意味する。南西に位置する位山(1529メートル)の尾根は、南にくだる飛騨川(木曽川)と、北にながれる宮川(神通川)の分水嶺で、古代から水源である位山を霊山とし、山頂近くには奥宮がまつられてきた。水にかかわることから、農耕や養蚕・畜産、健康長寿の神として信仰されてきた。

 15分ほど車をはしらせ、位山のふもとの「モンデウス飛騨位山スノーパーク」というスキー場へ。秋のスキー場はススキがおいしげり、白波のたつ海のように波うっている。

 スキー場の下の苅安湿原という小さな湿原は「位山分水嶺公園」で、林のなかに「分水嶺太平洋」「分水嶺日本海」という標識がたっていた。


 山頂まで5.5キロを登山する余裕はない。とりあえずスキー場のわきを2キロほどのぼる。スキー場の上は広葉樹林で、栗やドングリの実があちこちにころがる。栗は生でも甘みがあっておいしい。標高1200メートルのスキー場のてっぺんからは、北アルプスの山々が眼前にたちあがった。左手の日本海側は剱岳や立山、南にむかって、編み笠の形をした笠ヶ岳、槍ヶ岳、穂高、乗鞍……と屏風ようにつらなる。南の太平洋側をみると木曽の御嶽山が噴煙をあげている。
 さすが分水嶺。北も南も眺望が抜群だ。

日本書紀にしるされた凶賊は飛騨の英雄

水無神社の公式サイトにこんなことが書いてあった。
「位山の主の宿儺(すくな)が雲の波を分け天船に乗って位山に来たという古伝説もあり、位山が古代において何か宗教的な神秘性を持ち、位山の神秘性が宿儺という人智を超えたものに凝固したと見る説もあります」
「両面宿儺」は、ひとつの胴体にふたつの顔があり、手足が各4本ある怪物とされ、「日本書紀」では、人々をしいたげる凶賊として武振熊命に討たれたことになっている。でも飛騨では英雄としてあつかう伝承が多い。
 高山市丹生川町の「飛騨千光寺」という山寺は、1600年前の仁徳天皇の時代に、乗鞍山麓の豪族である両面宿儺が、古代信仰の場として開山したとつたえられている。
 出雲には、大国主命が大和王権の祖先である天孫族に国をゆずった、という神話がある。これは最後まで抵抗する古代出雲王国を大和王権が屈服させたことをしめしている。飛騨にも同様に「まつろわぬ山岳民族」の国があったことを両面宿儺の伝説はしめしているのだろう。(つづく)

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