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四国の風⑥(過去ブログ記事転載)(2005年12月)

今から25年ほど前。19歳の夏と20歳の夏の2回に分けて、四国八十八箇所を歩いて回りました。43日間。自分の人生の基点になったとも言える一人旅。過去のブログ記事にも残っていますが、こちらにも念のため、お遍路を回りながらつけていた日記を、アーカイブとして残しておこうと思います。誤字脱字もありますがそのまま掲載しておこうと思います。


「1999年3月20日」の日記

昨日の根香寺からの一気の下りはさすがに厳しかった。時間が遅くなり、日没も迫っていたために少し急いでしまったのが失敗だったかもしれない。
靴擦れを少し起こしていた。
朝七時にみゆき荘を発つ。家の前にて写真を一枚とって下さる。
後にこれを遍路旅の思い出ということで送るということである。
後日、メッセージとともに贈られてきてその時のことを思い出す。
道が少し錯乱しているようであるので分かりやすい道をそこの女将さんが地図に書いてくださった。最後の最後までいろいろしてくださって感謝してそこを出発した。

天気のほうは少し愚図ついてはいるが雨が降りそうな気配は感じない。
天気予報を見ても30%ほどであったのでそれほど心配はしていなかった。
指示されたとおりに進めばやがて大きな河についた。ここをずっと、南下していけば第八十三番の一宮寺である。距離はそこから4キロほどであった。京都の鴨川に少し似ている。いや鴨川というよりは桂川に似ているのかもしれない。少し寂しげに鳥たちが轟いており、草木たちが囁き会っているようだ。
旅人は自然と一体化することは可能である。人間は本来自然の中の一部である。
いつしか人間は傲慢になりそれを超越するものとして自らを位置付けている。
旅をしない人は自然の力を信じようとしないだろう。
人は何事も可能とさえ思っているに違いない。
経済至上主義あるいは科学至上主義といった西欧近代主義の流れにこの世界は埋没しつつある。人はいつか知るかもしれない。
いや、気付く時にはもう遅いのである。その大自然の脅威を。

雨が降り出してくる。それほどきつくならないだろうと思っていたが、そううまくはいかなかった。雨は意に反して相当きつくなってくる。雨具を着用せざるをえないほどまでになってきた。少し腹がたってくる。なぜだろう。誰に対してこんなにも腹が立つのか。
それから急ぎ足で歩いて第八十三番一宮寺についた。
その頃は雨も本降りになっており、これからの行程に暗雲が立ち込めてきた。
今日はまた山を登らねばならないのだ。それほどの山ではないだろうという考えもあった。一宮寺で納経を終えて、少し考えている時、タクシーの運転手と思しき方が声をかけてきた。昨日、五色台で自分を見たという。
この方は去年歩き遍路をされたという。しかも、一切宿は使わずに、野宿ですごされたようだ。すごい人もいるもんだ。確かに野宿は大変だろう。
宿に困るよりも何よりも衛生面と栄養面からみてである。

この寺を発つ。今日は少し急がないと第八十六番の手前までという計画は達成できないかもしれない。この少しいたみ始めた足には。
雨が津々と降りつづける中を凡庸な人間なのであろうか、自分だけが周囲からの注視を一身に受けながら進んでいると思っている。
香川県の県庁所在地の高松市に入る。こんな街も松山付近から久しぶりである。雑踏がやたらに耳に取り残されていつまでも障害となって脳裏に残ってしまう。すべての人の存在は形骸のように感じてしまうようにさえなるこの空間にいることはどうやらいけないようだ。
芸術至上主義というのもこうしたことから生まれ出るものであるのかもしれない。僕は視野を大きく持てるような人間になりたい。

ずいぶんと雨が冷たく感じる。ここのところ太陽が降り注いだという日は少なく、しかもまだ季節は三月であり初春にもいたっていない。
寒冷前線が南下してきているそうだ。道に迷いそうになるが、工場の方に道を尋ねて指差された山がかの屋島寺である。平家物語に出てくる屋島の合戦が行われたところ。
平地の中に大地のようにぽつんと屋島寺の丘がそびえている。
登り口についた。雨がとめどなく降り注ぐために坂を下る雨水が激流と化している。一応、観光名所ということで遍路道でさえも綺麗に自然との調和を生かして道路がつくられている。山の上に行くにつれ、雨が異常に冷たくなってきた。やがて雨は大きくなり、それは服の上に残るようなものに変わっていきつつある。
しばし雨は雪になる。容赦なく雪が降りかかる。雪は服を浸透してくるので厄介だ。雨具の中にも入ってきてそれだけで精神的にも肉体的にも疲労を感じる。それほど坂は長くは続かない。寺に着いて、高台から普段は瀬戸内海が一望できるというその場所にたって景色を眺めてみると雪でまったく何も見えない。吹雪というのにふさわしい。しかし寺の屋根の上に白い雪が積もって居るコントラストはなんともいえない。寺に一番似合う季節は冬であろう。それも誰も居ない、寒村とした寺である。また早朝であるならばいうことはないであろう。そんな感嘆に長い時間ふけっているわけにはいかなかった。
この寒い空間を早く抜けることが先決であった。
何しろ防寒具なんて用意しているはずがない。雪が三月の四国で降ることなんて予想出来ないことなのであるから。山を下る。
再び雪は雨に変わっていった。登り口についたとき宿で一緒だった少し年配の方が重そうな荷物をひいてあがろうとしていた。この方は登ることができるのかなと思いながら、雪が降っていることだけをのべて次の寺に行く。

次の寺は第八十五番八栗寺。屋島寺の登り口からおよそ6キロほど。
歩くにつれて雨がやんでいった。州崎寺という有名だという寺を経由して八栗寺の登りに着く。そこからケーブルカーがでているようで、遠くからも目印として良く見えていた。その麓にうどんやがある。
香川県に入っているのでうどんやが非常に多い。またこのうどんがおいしいのである。ずいぶん昔に家族で四国に来た時に食べた讃岐うどんの思い出がふつふつと蘇ってくる。
そこで昼食を頂いて、足を休め体を温めてそこをでた。
この寺は本当に坂がきつい。それでも車が通れるようにはなっている。
民宿伏見屋という看板が見えた。地図で確認すると少し位置関係が狂っており、間違ったところにでてしまったのかなと少し不安になってしまったがそんなことはなかった。
そこから1、2分進んだところで早くも第八十五番八栗寺につくことになった。

この寺も霧の中に存在しており、深いその濃艶の奥に寺がある。
まるで廃墟のようにその建物群はあり、静けさの中におどろおどろしさが混在している。
人はいた。納経を済ませる。少し休んでいる時に一人の歩き遍路の方がこちらに向かってこられた。こんなところまで遍路をできる人は最初にはじめたときのおよそ10分の一になっているという。最近では歩き遍路の姿は皆目みなくなっていた。いても、年配の方で電車を使って回っておられる方とか、ツアーと変わらないような人たちである。その方を待たずに一足先に山を下山する。

時はすでに2時半をまわっており疲労もだいぶたまっていた。
足の調子は雨の中を歩いたために急激に悪化してきている。
琴電電車の横を通り抜けていき、ずっと進んでいく。予約した宿にはなかなかつかない。足が本当に痛くなってきた。雨はすっかりやんでいたが、時はすでに遅かった。車どおりの多い道の横をまっすぐに突き進んでおよそ2時間ほどであろう。
志度町についた。

トイレに急に行きたくなったが駅も周りになく、こんな街で野外でようを足すわけにはいかなかったので苦労したが道に迷いながらも駅に着くことができたのでよかった。
体調のほうも少し悪いと思い始めたのはこのときであったろうか。
そこから僅かのところで今日の宿があった。冨士屋旅館という。
この宿の料理はかなりおいしい。一階で料理屋もかねていて部屋まで仲居さんが料理を運んできてくださる。しかもその豪華さといったら比類しようのないほどである。お腹いっぱいになって満足している。
お風呂に入っている時に頭がボーっとしてきた。
疲れだろうと気にもとめない。知らぬ間に眠りに入っている。


◇筆者プロフィール
藤井哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/SOCIALX.inc 共同創業者
1978年10月生まれ、滋賀県出身の45歳。2003年に若年者就業支援に取り組む会社を設立。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地域課題・社会課題に取り組む。2020年に京都でパブリック Xを第二創業。2021年から東京でSOCIALXを共同創業。
京都大学公共政策大学院修了。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。著書いくつか。
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