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四国の風⑥(過去ブログ記事転載)(2005年12月)

今から25年ほど前。19歳の夏と20歳の夏の2回に分けて、四国八十八箇所を歩いて回りました。43日間。自分の人生の基点になったとも言える一人旅。過去のブログ記事にも残っていますが、こちらにも念のため、お遍路を回りながらつけていた日記を、アーカイブとして残しておこうと思います。誤字脱字もありますがそのまま掲載しておこうと思います。


「1999年3月19日」の日記

残る寺の数は十ほどになった。ここまできたら後の旅程を存分に楽しみたいと思う。七時十分七福旅館を発つ。道が分からなかったので途中まで宿の人が大きなとおりに出るまで案内してくださった。この比は雨が朝から降りそうな状態であったが宿を出た頃はまだ降っていなかった。
丸亀市の中心部に差し掛かったときに雨が本降りになってきた。
仕方なくレインコートを着用する。今日は一日雨が続くのであろうか。
雨の日はやはり相当気を使ってしまうので朝からこの調子であるとかなり嫌な気分になってしまう。まだ開店していない繁華街の中を通り抜けて学校が始まるのであろうか、学生の数が多くなってきているのでそんなところを通って納経が始まるちょうど九時に第七十八番郷照寺につくことができた。

寺の中ではまだ誰も居ずに、寺の人手さえもまだ掃除をしている段階であった。犬が激しく吠え立てる。後ろからツアーと見られる団体の人たちがきたので先に納経をしてもらうことにした。ホントに小さな寺であり、まだ本堂も大師堂も開かれていない状況であったので、お参りはせずにもう先に行くことにする。次の寺にいくまでに雨が容赦なく降りかかる。

またもや商店街の間を通り抜けていき、徐々に進むにつれて開店させる店の数が多くなってきた。雨のほうも徐々に上がっていった。
坂出市というところに入る時、公園の中を進む経路があるのであるが、その光景が周りから見たらどのように映るのであろうか。
何もない公園の中を一人の杖をついた旅人が進んでいくのである。
その前方には大きな鳥居があり、自分が歓迎されているようである。

電車の線路の脇を通っていき、少し登る。第七十九番高照院である。
この寺も神社と合わさっているらしくて、寺というよりも神社である。
その証拠にこの寺の方はすべて神社の方である。納経所の棚もやけに高いところにあるし中に居る女の方は顔を見せようとしない。巫女さんなのである。言葉もまったくなく、納経書だけが手元に戻ってくる始末である。
少しその対応に頭にくるものがあったが、それが神社のしきたりなのであろうか。
あとからこられた遍路の方もその対応に少し戸惑っていらっしゃられたようである。

このたびは途中までは自然とのふれあいを楽しんでいたのであるが、ここらへんまでくると早く八十八番までついて自分として目的を達成させたいと思う気持ちのほうが強くなってしまい、景色には目をやれなくなってしまいがちであり、自分もその例外ではなかった。早く次の寺を目指す。次は第八十番国分寺。

国分寺までの道程は凄惨を極めた。突風が吹き荒れる道を歩いた。
風がこの体を硬直させて前進も後進も容易ならない。
足腰に余計な負担が多くかかり、肩にも重さが圧しかける。
普段の距離の数倍にも感じてしまった。距離としてはおよそ7キロなので、1時間半もあればつくことができるであるが、2時間ほどもかかってしまった。
道を間違えたことも要因である。道を尋ねたのであるが、どうやらそれが間違っていたらしい。時にはこんなこともあるだろうと、自分に言い聞かせながらもやはりこの風の中を進んでいくのは疲れるものである。

第八十番国分寺。寺の中はすでに多くの人でにぎわっている。
納経所の前には列ができており、ここでどれほどの時間がかかるのだろうかと憂慮していたのであるが、係りの人が存在に気付いてくれて先に済ましてくださった。
こういう気の利く人に自分もなってみたい。
とりあえず納経を無事に終えたのでこの寺で少し休む。
次は遍路転がしといわれる白峰寺である。地図で見る限り一気に上っていくらしく手それほどの距離はない。だがここまでかなり体力を消耗していたのでこれくらいの山でも苦労するだろう。雨のほうが再び降り始める。国分寺を出る。

白峰寺までは登り口から急な坂がおよそ1キロにわたって続く。
おそらく今まで通ってきた中でも有数の急坂であろう。杖がなかったら到底簡単には登っていけないようなところである。登り終えると、そこから舗装された道に突き当たる。そこを越えると山道に再び。
下り坂が続く。雨の影響ですこぶる地盤が悪い。ぬかるんで足をとられそうになること幾度。自衛隊の駐屯地を越えて、少しのところに偏狭の寺、白峰寺がぽつんとある。
天気の影響もあるであろう。くらい影の中にひっそりと寺がある。
寺の中は意外に広くて本堂、大師堂までは更に登る必要がある。
階段が三段構えのようになっておりその一階部分に建物が、二階部分に大師堂、最上階に本堂がある凝ったつくりである。
雨がひどくなってきたので雨宿りをする。納経を終えて次の寺に行く。
また来た道を引き返していく。山の草木が足元に生えており、土と岩の部分は雨でぬかるんでいて非常に気を使う。
山道の横には木々が整然と蓋然性を伴って鬱蒼としている。
再び、舗装された道に出る。少し行くと遍路道が用意されている。
また山道へ。
急な下りが続く。途中で宿に電話しようとするが、電波状況が悪いらしくて途中で切れること数度あり。ようやくうまく繋がった時にはまた舗装道路に出ていた。そのすぐそばに喫茶店がある。そこでぬれた靴を少し乾かそうとする。道草という店名。うどんがおいしい。ご飯を接待してくださった。泥臭い今日一日の運命をのろいながらもここでの一時の休息に満足する。
また足を進める。山を延々とくだっていったら第八十二番根香寺が釈然と構えている。

第八十二番根香寺。
変わった寺である。山門を通り抜けるといったん下りの階段があり、ちょうど貯水池のような感じになっておりそこからほんの数メートルしたら再び登りの階段があるのである。本堂もその階段からすぐそばにあり、なにやら不思議な寺である。この寺は五色台の山腹にあり、遠くから見たら山肌が真っ白に見えるという。
雨がきつい。ここでも雨宿りをして靴を少しでも乾かそうと努力はするもののその甲斐なく時間に追われてまた先に行かざるをえない。
深遠な空気を感じるこの山ではさすがのこの自分も神のアニミズムの考えに納得させられる。今日はここで打ち止めにする。
少し足を傷めてしまった。やはり急いで山を下るのはよくなかった。
雨のため靴がしっかりと機能しなかったのも痛い。

道に少し間違ったが今日の宿、民宿みゆき荘につくことができた。
ここの女将さんはかなり親切であり、大層お世話になった。
洗濯もしてくださり寛ぐことができた。この方の親は遍路旅の旅館の家に生まれたらしくて結婚してからもその仕事を嫁いだ先で続けていられるそうだ。遍路旅をしてられる方が4人ほどおられて会話を交わす。いろいろと面倒をみてもらって今日はぐっすりと寝る。


◇筆者プロフィール
藤井哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/SOCIALX.inc 共同創業者
1978年10月生まれ、滋賀県出身の45歳。2003年に若年者就業支援に取り組む会社を設立。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地域課題・社会課題に取り組む。2020年に京都でパブリック Xを第二創業。2021年から東京でSOCIALXを共同創業。
京都大学公共政策大学院修了。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。著書いくつか。
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