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四国の風②(過去ブログ記事転載)(2005年12月)

今から25年ほど前。19歳の夏と20歳の夏の2回に分けて、四国八十八箇所を歩いて回りました。43日間。自分の人生の基点になったとも言える一人旅。過去のブログ記事にも残っていますが、こちらにも念のため、お遍路を回りながらつけていた日記を、アーカイブとして残しておこうと思います。誤字脱字もありますがそのまま掲載しておこうと思います。


「1999年3月15日」の日記

遂に横峰寺に登る日がきた。
かねてより歩き遍路の人たちからそのすごさを聞いてきたその山である。今まで聞いてきた情報によると鶴林寺、太龍寺のような坂が延々と続くらしいということである。ガイドブックにも四国随一の石鎚山の山腹にあるその寺までの急な坂と距離を述べている。
どれほどのものであろうか。
まだ天気のほうは完全にははれていない。
少し畏怖するものを感じながらも、マイクロバスがとおれるくらいの道であるので人がとおるのは易いと楽観視してそこから登っていくことにする。
朝、7時過ぎに京屋旅館を発つ。出発しようとお金を払おうとすると、そこの店員の人がお金は要らないという。接待ということらしい。
しかしながら、それには少し戸惑った。あれだけの食事と寝所とお風呂を頂いておきながら接待としてご馳走になるわけにはさすがにいかなかった。
しかし、どうしてもということで僕は深い感謝をしてそこから立ち去ることにする。朝食前におかさせてもらっていた荷物をそのままにして身辺に必要な荷物と納経帳を持って、第60番横峰寺に向かう。

道に間違えたかと思い、引き返すこと2度。
大きな時間のロスとなった。約1時間同じルートをいったりきたりすることに結果的にはなってしまった。ここはバスがとおるだけで、歩きの人はほとんどとおらないというから標識がないというのも仕方がないことなのであろう。しかし、山腹からみるその景色はすばらしいものがある。
あいにく、雨が降りそうであり、まわりにはもう雲の中にいるようであり、一面にしろい霧がかかっている。一枚の標札を見つけた。
ここを右折するとどうやら横峰寺につくらしい。
しばらくするとバスの検問所のようなものがある。料金所のようだ。
そこから坂が一気に傾き始める。

ホントにこんなところをバスが通ることができるのだろうか。
すごい坂道である。雨が降り始めるが歩いているうちに次第に緩くなっていき、しまいには雨はやんでしまった。
どうやら雲の上についたようだ。
もう白い霧がかったようなものもなくなり、確かに眼下にくもの群れが多く見ることができる。寒さのためか暑さを感じず、疲れもそれほどにはたまらない。あるのは急な坂だけであり、それは登っていくにつれてその厳しさを増していった。
一台のバスが通過する。再び引き返してくるまで約30分から40分くらいである。それから計算しても、あと1時間くらいで到着できると考えた。
どこまでも厳しい坂は続いていたが、なにやらわけのわからない数字が登るにつれて減っていくことに途中から気づき始めた。
始めに気がついたのが「6」あたりであり、15分あるくたびにその数が減っていく。おそらくこれが「0」になった時に、横峰寺につくことができるのであろうと思い勇気付けられた。

ますます坂は傾斜を強めていき、もう足が登りきれないと思いはじめる頃にバスの停車場があった。
そこからツアーの人たちが下りて横峰寺に向かう地点であろう。
そう察知して京屋旅館で聞いていた話を思い出し、その地点からおおよそ30分くらいで到着することができるということらしいことであった。
舗装された道はそこで途絶えており、石で作られている道がそこから始まっている。

終わりが近づくとやはり気力も回復してくるもであり、調子のほうもどんどん良くなってくる。そうこう思っているうちに横峰寺にあっという間についてしまった。
変な林道を越えたところに横峰寺の寺の瓦屋根が見える。
また雲の下にきたらしい。雨が降り始める。
納経を済ませて、横のベンチに座り、休んでいると夫婦で回っている方が来られてお経を読んでおられる。
自然の中でその読経の声が響き、なんとも壮言な響きを呈している。
雨が降りこんな山奥にも都会にいる時と同じ雨が降っているのにもかかわらず、その感覚はまるで違う。

再び、きた道を引き返す。
今度は下りがずっと続いていたのでいつものように足の負担になることだけを注意して下っていた。
途中からまた雨が降る。雲の下についたということだ。
横峰寺にいた時は標高750メートルほどであったが坂が急すぎるので1時間ほど歩くとおよそ平坦な道に出る。
先ほど通ったバスの料金所のところである。1時間半ほどで京屋旅館にたどり着く。
京屋旅館に着いた時にはレインコートもかなりぬれていて、靴にもかなり雨が染み込んでいたのでそこで少し休ませてもらうことにした。

預けていた荷物を手に持ちしばらくして礼を述べて下山する。
下り坂になるとやはり登り坂よりも気は楽でありしかも、一度通った道であるために不安感はなく少しずつ近づいてくる町の光景を頭に浮かべてなだらかになりつつある坂を下っていった。
氷見というところに出て、そこから右折する。
もう信号機もあるし車も普通に走っている。
後ろを向くと壮大な石鎚山が聳え立っている。
畏怖さえ感じていたあの山を上りきり今、こうしてそれを下山して満足感で一杯になる。西日本一の山を見上げる時、不思議と自らの存在をいや応なく感じる。やけに高揚感が高まってくる。
第64番前神寺までも距離はもはやそれほどなかった。
地図上で見るとその地点から3キロほどである。
雨がにわかに強くなる。
前に進むことも容易ならぬ状況に陥ってきた。
集中豪雨のようなその雨は徐々に疲れてきた足を絡ませてスピードを奪っていった。靴の中に水が浸入して靴下もドボドボになってきた。水溜りがいく手をさえぎり、一度そこらへんの民家のガレージに雨宿りをさせてもらうことにしてしばらく休憩を取る。だが、一向にやむ気配がなくて、仕方なく前に進むことにする。四国山地からの影響であろうか、これほどの雨もまた珍しく感じる。床下も浸水しそうなほどである。

時間を取られつつ、ようやく前神寺につくことができた。
そこで納経を済ませて、今日は早めに宿に入ろうと思い、数キロ先の伊予西条というところで今日はとめるようにする。
やはり山を登った日は自分ではそう感じていなくても無意識で相当疲れているのは当然であろう。山を登った日には早めに休憩を取るのが以後の影響を及ぼさないための定石である。
途中で弁当屋で昼食を購入する。
雨の中いくつもの橋を渡り市街地に入る。
駅の近くに先ほどの寺で予約を取ったホテルがあるため、道を尋ねつつ近づいていった。

ようやく宿についた。ビジネスホテルニュー日吉屋というところ。
自動ドアであるがどうやら電源が入っていない様子。
気付けば張り紙がしてある裏口から入るとのこと。
やけにホテルという名前の割には汚いがとにかく、そこにはいる。誰もがいないが奥のほうから誰かがでてきてその方が案内してくださった。部屋の中は狭いがそれほど悪いところではないのでまあ安心した。ビジネスホテルのため夕食は出ないので外で食べようとしたが、周辺の食べ物やも休みのため、仕方なくコンビにで食べ物を買って宿で食べる。


◇筆者プロフィール
藤井哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/SOCIALX.inc 共同創業者
1978年10月生まれ、滋賀県出身の45歳。2003年に若年者就業支援に取り組む会社を設立。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地域課題・社会課題に取り組む。2020年に京都でパブリック Xを第二創業。2021年から東京でSOCIALXを共同創業。
京都大学公共政策大学院修了。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。著書いくつか。
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