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四国の風①(過去ブログ記事転載)(2005年12月)

今から25年ほど前。19歳の夏と20歳の夏の2回に分けて、四国八十八箇所を歩いて回りました。43日間。自分の人生の基点になったとも言える一人旅。過去のブログ記事にも残っていますが、こちらにも念のため、お遍路を回りながらつけていた日記を、アーカイブとして残しておこうと思います。誤字脱字もありますがそのまま掲載しておこうと思います。

三好邦男 様

拝啓 
虫の音に深まり行く秋の気配を感じる今日この頃、お変わりなくお過ごしのことと思います。先日は、写真を送っていただき、ありがとうございました。
さて先の手紙において、旅の記録らしいものを送るといっていたのですがなにぶん学校などが忙しくて、執筆の時間がとれなかったのですが、今回ようやく、完成に至ることになりました。拙文ですが、少しでも今後の旅の役に立つことができるように祈っています。
今年の夏に第60番の横峰寺から出発されるとおっしゃっておられていましたが、今ごろはどこまで進んでおられるのでしょうか。一応、横峰寺以降の旅程の記録を同封しておきました。そこを過ぎるとすぐに雲辺寺があり、そのすぐあとには善通寺があります。ここまで繰れば旅もいよいよ哀愁の感が漂い始めますが、最後に大窪寺があります。
ここにいたるところで女体山という岩山があるのですができることなら車道をとることをおすすめします。
末筆になりましたが皆様のご健康と旅の安全をお祈りいたします。
                               敬具
                        1999年9月吉日
                             藤井哲也   

道中ご一緒した三好さんから送って頂いた写真。
自分が写っている写真はあまり残っていない。

「1999年3月14日」の日記
あの横峰さんと畏怖される第60番横峰寺が目前に迫っていた。
先に61番から64番をうってからそちらにいくことにする。
遍路の厳しい道を越えるよりも64番のほうから行ったほうが道路が舗装されており順調にいけるという考えからである。

朝、朝食を食べた後に7時笑福旅館を発つ。福山市からの遍路の方とも途中まで一緒に進むことにする。今日はかなりの寺を回ることになるであろうと予測できた。明日に横峰寺にのぼりたかったからその直前にある京屋旅館に着くことが最低条件だったからである。56番の泰山寺。ここまで広島から来られた方と一緒に歩いた。そこまでにいろんな話をして楽しめた。その方は建築の関係の仕事をしておられるらしくて屋根の瓦について四国のことについて説明してくださったし、その方は仕事の関係で今日を最後に一回戻ってまた今日終わったところから再開するということらしい。泰山寺に到着。

女の方が2名おられた。どうやらかねてより噂にあったあの女の方なのであろう。そこで広島からこられた方と一緒に写真を撮らせてもらうことにした。3つのショットを撮った。そこで一応その方たちとは離れて先に進むことにする。

しかし次の第57番の栄福寺までの道を間違えたらしくて、相当に時間を食ってしまった。境内に入ってからも1回納経所など本道の場所からさらに何百メートルを上ったところまで行ってしまってようやく本堂に着いた時には広島から来られていた方のほうが先に到着されていた。
女の方2人はもう読経を終えて、寺を去ろうとしているところであった。汗をだらだらと流して要らぬ体力を使ってしまったことを恥じ入りながら納経を終えて、少し休んでから出発することにする。

次の58番仙遊寺までは、約2.5キロほどであった。
その間に遍路ようの道を通り少しずつ坂を登っていった。
大きな池を越えると蛇のようにうねうねと登り坂が続いていくのが眺められる。気を引き締めてそれに立ち向かう。
ようやく上りきったかと思ったのもつかの間。山門を通り過ぎてもなおさらに急な坂が眼前にたちふさがっていた。このような坂は短いとわかっていたのでやたら二時間をかけて慎重に上るよりかは一気にかけあがって体力の消耗を最小に抑えておかなければならない。
精神的な疲れを克服するためにもここでやたらと時間をかけることができなかった。仙遊寺の本堂に到着。

しかしここで不愉快な思い。納経所の方がなにやら効用があるという掛け軸やらを持ち出して客相手に商売に夢中になっている。まったく遍路の者には興味がないようであり、眼中に入っていない。その客のほうも次第に嫌気が指してきているのが目に見て取れる。客のほうが10分くらい待ちぼうけしている自分に気づき、納経を進めてくれて助かった。とても不愉快で、寺の本質を見てしまったようでどっと疲れが込み上げてきた。
ベンチに腰掛けて休憩を取る。
広島からのあのお二方が少し遅れて到着されたようだ。
少し休憩を取ってあせのほうもあがり、疲れも取れていたので僕は先に進むことにした。ここでのこの方たちとは最期になった。

寺の裏手から下りるところがありそこから下りる。
登りもたいそう急な坂であったが下りもそれに劣らない。
くだりのほうにより注意を払うのは当然である。
足の負担を考えてのことだ。再び、国道に出る。
ずっとまっすぐの道を進み右折する。
少し道に間違えたようであるが歩行距離に変わりはない。
第59番国分寺に到着。

この寺は人波でいっぱいだった。ちょうどツアーの人たちが集まる時間帯なのであろう。また納経で待たされる時間があったがそれを済ませてベンチに腰掛けた。女性の方が近寄ってきて200円を接待してくださった。
そしてその方の息子が結婚するらしくてなにやら結婚についていろいろ教えをいただいた。再び足を進める。
国分寺の前で売店があった。そこで歩き遍路の方だけにアイスクリームを接待しているということだったのでありがたく頂戴することにする。そこで以前出会っていた福島県からこられていた年配の方に再び出会った。
本当に足が丈夫だなあと感心しつつ、その方たちは今日はそこから20キロほどの地点まででとめるということであり、自分はさらに進むため先に出発した。
やはり若いからよく足が動くと逆に感心された。
国分寺を出て数キロしたところで昼食を摂った。うどんが大層おいしい。ご飯を接待してくださった。少し休憩したあとにまた進む。国道沿いを進み、みちもしっかりしていおり歩きやすい。
何回も踏み切りを横断することがあり、電車で移動したい欲求に刈られながらもその衝動を押さえつけてどうにかすすむ。案外早く61番に到着した。

第61番札所香園寺。寺までの標札がなかったため、通りすがりの方に道を尋ねたが、方言が激しく聞き取れなかったが、ジェスチャーでなんとか方角だけは掴めた。
そちらのほうにいくと第61番香園寺があった。境内に入るとびっくりした。
これが寺かと思うほどの豪華絢爛とした建物である。
なんとコンクリートで作られている。寺の外装はずいぶん重厚であり、見るものをある意味において圧倒させる力を持っている。
今まで見てきた寺の風景とまったく違っていたので戸惑ってはいたが、とりあえず本堂といってもコンクリートの建物であるのでまったくそんな気持ちになれないのであるが、そちらにいって教本を読む。
ここは別の名を子安大師というらしくて子どもに縁があるらしい。
そういう関係で赤ん坊を連れた人たちが多く見られた。みんな顔には笑みがみえ、幸福そうな人たちでいっぱいだった。
そんな中に疲労困憊で足を引きずって頭にはかさを被り、杖を持っている自分の姿はどのように映っているだろうか。
遍路の人はまったく人影もなく、観光客でにぎわっているのである。納経所といってもここもコンクリートでつくられており、案内所から事務所みたいな感じなのではあるが、一応中で仕事はされている方は剃髪されたしっかりとした僧の方たちである。

納経を終えて、このまま横峰寺に向かうか、あるいは64番から回ってそちらから登るかを相談した。東からまわってもそんなに距離はかわらないということなので、自分の計画に確信を持って先に63番までを回ることにする。至って親切に答えてくださったので大変気持ちがよかった。たいてい、このように観光客目当てのような寺には厚顔な人たちで一杯なのであるが、ここはそうではなかった。
四国を歩いていると僧の人たちの本性が見えてくる。僧というのは名前だけで実態は俗にまみれて金のことしか考えずに生きているような人たちがたくさんいるものだ。

そこからまもなくのところに宝寿寺があった。
すぐ横を電車の線路がとおっている。まるで電車のプラットホームのような寺である。
小さな寺であったが、そんな寺にいつものようにツアーの人たちがいたので、大変になりそうであったが、先に納経を勧めてくださったので助かった。
御礼を言って先に納経を済ませてしまう。

感心そうにツアーで回られている方々は声をかけてくる。
またすぐ歩いたところに63番吉祥寺があった。
ここに寺の方も親切であり、道を教えてくださったり、歩き遍路の方にはお菓子を下さったりした。雲行きが怪しくなってきた。急に雨が降り出しそうである。
吉祥寺をたち、今日の宿である横峰寺登り口にある京屋旅館までいかなければならない。吉祥寺を超えて2つ目の信号を右折する。
なだらかな坂道が視界一杯に続いている。
地図には距離がかかれていなかったので、およそどれくらいの距離なのかわからなかったが、それほど遠くはないという感じであったのでとりあえず急ぎ足で行くことにした。
約15分ほど歩いたところから人家はなくなり、山道に入っている。
車がこんなところにも多くはしっており、不思議な気持ちもしたが、どうやら高速道路を上が走っているらしい。
急に雨が降り始めた。レインコートを装着する。
雨に打たれながらの行軍はやはり厳しいものがある。
山の上に行くほど気温も下がっていき寒さを感じるまでになってきた。

雨が降る日は靴にできるだけ染み込ませないようにするためにかなり歩行進路に注意を払ってしまう。荷物をおろして休むこともままならないために肩の荷物がやけに重く感じてきてしまう。
徐々に坂は急になってきた。途中に大きなクレーンらしきものがあり、威圧感で足がすくんでしまったが、ようやくそこを切り抜けられた。
約1時間ほど進んだであろうか、交差点に差し掛かる。
どちらにいけばよかったか分からなかったが、地図を見るとどうやら右折するらしい。右折して数分歩くとマイクロバスの運行所が目に入ってきた。さらに進んで京屋旅館があった。
京屋旅館にはいって部屋に案内された。ここは本来ツアーで来られる方が多く利用される旅館のようで、一人用の部屋は少なかったが、一番浴室に近い角の部屋を用意された。食事のほうはとても満足できるものではなかったが、なんと行ってもこの旅館の浴槽が今までの中でも最高によかった。すでにかなり遠いところまで登ってきており、寒さを感じていたのであるが、ここは温泉があった。
それも白くにごったとても良い温泉である。
夢心地を味わってまるで全身の疲れがまっしろになってその木彫が頭の中を掃除してくれているみたいだった。
旅館の方も親切でまだ20歳である自分に母親のように世話をしてくださった。ここには歩き遍路の方があまり来られないからであろうか。それはよくいろいろとして下さった。


◇筆者プロフィール
藤井哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/SOCIALX.inc 共同創業者
1978年10月生まれ、滋賀県出身の45歳。2003年に若年者就業支援に取り組む会社を設立。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地域課題・社会課題に取り組む。3期目は立候補せず2020年に京都で第二創業。2021年からSOCIALXの事業に共同創業者として参画。
京都大学公共政策大学院修了(MPP)。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。著書いくつか。
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