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ロベルト・ベルガンディ「突破するデザイン」(2017年)を読んで。

良書だ。おそらくこれまで読んだ本の中で5本の指に入っているといえば、おおげさだろうか。いや今のところそんなことはないと考える。

デザイン思考のフレームワークは、IDEOなどによって提唱されるようなユーザー中心主義による問題解決のスキームが一般的だが、本書ではもう一つのスキームというべきか、新たな概念を紹介する。「意味のイノベーション」というものであった。

翻訳者の思いもこもっているように思われ、表現もわたしはすごく気に入った。原書のタイトル、「OVER CROWDED - designing meaningful productsin a world awash with ideas」というのが、本書の内容を言い得ていると考えます。私たちはアイデアの群衆で溢れた世の中に棲んでいる。そしてそこからは新しいイノベーションは生まれない。イノベーションを生み出すと考えられてきた従来の考え方は新しい意味を生み出していない。私(たち)が目指すべきは、意味のイノベーションなのだと気付いたのでした。

この数ヶ月、デザイン思考について本を読み漁ってきたのですが、ようやく起点になりうる一冊に出会えたと感動しています。

これまでのデザイン思考、イノベーション手法について、疑問を感じられるようなことがあれば、この本を読むことをお勧めします。以下、私が付箋を貼った個所を備忘録として掲載していますが、全文を通して読まないと、この本の価値は分からないかもしれません。美術館で飾っている絵を一枚、二枚だけ抜粋して見ても意味がないのと同じかな。

▮ 付箋を貼った個所

意味とは、贈り手であるあなたと、あなたがつくりだしたモノゴトを受け取る相手をつなぐものなのだ。
(p5)
 
本書では、人々に愛され、意味のある贈り物を創造するためには、デザイン思考の原理がうまく機能しないことを説明する。(中略)デザイン思考とは別の次元のイノベーションを目指すのであれば、批判精神が基礎的な考え方になることを説明する。私は彼らのデザイン思考のコンセプトの幾つかを拡張し、問題解決と意味のイノベーションの両極性を創造するが、もちろん現実は白黒はっきりするものではない。
(p8)
 
モノゴトや世界をがらりと変える急進的なイノベーションは、ユーザーから生まれるものではない。
(p17)
 
本書の要点
1.現在のイノベーションの主流な方法では、アイデアに埋もれてしまう。どれだけたくさんのアイデアを持ったところで、ビジネスと顧客にとって取るに足らない価値を増やすだけである。多くのアイデアを区別できなくなり、モノゴトが曖昧になることで、価値を把握していますことになる。
2.モノゴトの価値は、どの方向性がより意味を持つかというビジョンから生まれる。多くのアイデアは必要とせず、意味のあるビジョンが1つあればいい。モノゴトをいかに改善するかではなく、なぜ私たちがそれらを必要としているかが重要だ。勝者は既存の問題を過去のものにし、シナリオを再定義する。そして、よりよい何かではなく、「より意味のある何か」を提供することで顧客をほれさせるのである。
3.意味のあるモノゴトをつくりだすには、近年のイノベーションの議論において人気の、外部から多くのアイデアを得る方法論とはまったく反対の原理を持つプロセスを必要とする。それには「批判精神」と「自分自身から始めること」が必要だ。
(p17-18)
 
意味のイノベーションはイノベーションのレベルを一段階押し上げる。新たな「どのように」だけでなく、新たな「なぜ(why)」を追求する。
(p20)
 
意味のイノベーションをつくりだすことは、顧客との交流をより高いレベルに引き上げる。人々が本当に価値を感じていることは何なのかに焦点を当てる。人々が優れた性能に対して愛着を持つわけではない。それは時代遅れだ。人々が愛着を感じるのは、対象が人であっても何であっても、「意味」から生まれる。
(p21)
 
変わり続ける世界の中で、絶えず人々は変化する。よって、意味のあるモノゴトも変化する。永遠の愛を人々と築く唯一の方法は、企業が提案するモノゴトに「意味のイノベーション」を起こし続けることしかない。
(p23)
 
意味は問題解決とは異なる性質を持つ。
(p28)
 
クリエイティブな問題解決は、アイデアづくりを基盤とする。一方、意味のイノベーションは「批判精神」を必要とする。
(p31)
 
「批判(criticism)」という言葉はギリシア語の「Krino」が語源で、「判断し、評価すること」を意味する。英単語としては、しばしばネガティブな印象を与えるが、実際にはネガティブでもポジティブでもない。むしろ、モノゴトを解釈する時に、より深く考えて実践することを意味している。
(p32)
 

バラエティーの少ない世界では、より多くのソリューション、より多くの方法をつくることが賞賛される。一方、より多くの選択肢がある世界では、妥当な方針、妥当な理由、言い換えれば、意味の重要性を見いだすことが賞賛に値するのである。
(p67)
 
(問題解決のイノベーションと意味のイノベーションという)2つのタイプのイノベーションは、供給面で大きな違いがある。新たなソリューションの提案は十分に間に合っている一方で、新たな意味の提案は需要に追い付いていない。
(p80)
 
新しい意味を描くべきタイミングはいつなのか。それを見極めるために最初に問うべきことは次の通りである。
・市場の動きに大きな変化はあったか?
・自分の業界で重要な問題解決のイノベーションが起きているにもかかわらず、製品に興味を失っている顧客の不満を感じたことはないか?
・市場で新しい動向を見せ始めている分野があるか?
(p87-88)
 
新しい意味を描くタイミングを見定めるために、あなたが問うべき3つ目の問いは、以下の通りだ。
・新しい技術は単に、既存のスペックをアップするだけのものか?
・そこに隠れている本質的な意味はないか?
・その新しい技術は、人々にとってより価値のある、新しい意味深い体験をつくり得るのか?
(p103)

意味のイノベーションは自分自身から出発し、その後、外部者を巻き込んでいくことになる。
(p127)
 
私たちが意図的に注意深く集中している時も、多くのことを見逃すというのだ。注意を払うことは強力なメカニズムである。私たちは不要と考えるものを除外することで、何かに集中する。(中略)私たちは、自分が見たいものだけに注視するのである。そして実際には、私たちが見ているものはさらに少ない。場合によっては、見たいものすら気づくことができないのだ。
(p130)
 
新しい意味をつくりだすに当たり、第2の点に焦点を当てなければならない。さまざまな方向を示す多数の何気ない兆候を捉えることである。それは結局、私たち自身が解釈をしなければならないということである。
(p136)
 
人間中心デザインの草分けの1人であるノーマンも、急進的なイノベーションはユーザーからやって来ないという同じ結論に達している。ユーザーが急進的なイノベーションにとって役立つかどうかにかかわらず、結局のところ、ユーザーの意見はどうしても私たち自身で解釈しなくてはならないのである。
(p137)
 
自分から始めることには幾つかの利点がある。第1に、論理的かつ実践的である点だ。私たちは相対化することなく学習することはなく、差異や比較から学ぶのである。モノゴトを見るためにはコントラストが必要である。自身からスタートするに当たり、影をつくるのである。外部者がもたらす見識という光に対する何かとしての影である。
(p140)
 
私たちは、MacbookAirの美しい曲線や、iOSのフォントといったアップルの細部へのこだわりに、同様の愛のにおいを嗅ぎつける。そこにデザイナーやマネジャーが愛するものから始まる企業の香りを感じるのである。
(p146)
 
「イノベーションを起こしたいのならば、あなた自身が触発される必要があり、同僚が触発される必要があり、最終的には顧客が触発される必要がある。」(ゲイリー・ハメル)
(p150)
 
意味のイノベーションが内から外へのプロセスで生じることを学んだ。それは「私たちが人々に愛してほしいものは何か」という前提からなる。
(p151)

しかし新しい意味を探すとなると、ちょうどその反対であることがわかる。アイデアづくりよりも、批判精神が重要なのである。もちろん、それは特別な種類の批判である。古典的なイノベーションで研究で記され、禁止されてきたような否定的で破壊的な批判ではない。それは、より深く進み、立ち止まり、振り返る能力である。
(p159)
 
意味のイノベーションでは、アイデアづくりは重要な要素ではない。私たちは、これ以上アイデアを必要としていない。私たちはよりよい解釈を必要としており、批判精神はそこに到達するための方法である。
(p164)
 
批判とは「より深くモノゴトを解釈していく取り組み」を意味している。
(p165)
 
最も興味深いのは、この相互批判の方法は特別なテクニックでなく、適切な人間との出会いに依存している点である。ポイントは、批判のやり方を練習することではなく、誰と行うか、である。
(p177)
 
最も尊いものは目に見えない。ラディカルサークルの主目的は「同じ方向を見ている精神的励み」と、「建設的な批判を受けること」である。
(p181)
 
批判は初期の個人的な直観を、新しい堅固な共有される解釈に変えることができる原動力だ。解釈は大規模な組織や外部の専門家と共有されると、より過酷で疑い深い批判に立ち向かうことになる。個人は批判によって命を落とすが、サークルは逆にそこからエネルギーをもらうのである。
(p185)
 
ラディカルサークルでは、信頼はそれとは異なるところから得られる。それは、画期的な新しいビジョンを構築するための変化を志向する、共通の意志である。(中略) 他人からの批判を信頼できるのは、よく変えていこうとの同じ意思をもっているからだ。この「変化の意志」は、現在の状況に対s知恵の共通の違和感からきていることが多い。
(p187)
 
私たちは共通の答えを持っている人よりも、不思議の感覚を共有する人とつながる傾向にある。
(p189)
 
ラディカルサークルは次のような暗黙のルールを持っている。
「このサークルで活動を続けるのは、現状を嫌い、新しい方向を見つけ出したいからです。そうでなくても、それは構いません。ただ、ここから出て行ってください」
(p190)
 
組織の中には、現状に対する違和感や、表には出していないが変化への意志を誰よりも早く持っている者が常に存在し、彼らは私たちが考えているよりずっとたくさんいる。彼らは普段は沈黙しているが、役に立つ親密性のある状況になると途端に解き放たれる。(中略) ラディカルサークルメンバーは、ずけずけ言う革命家ではないということである。彼らの目的は破壊ではない。目的は、組織が成長するのを助けることである。
(p190-191)

これまで意味のイノベーションが批判精神に基づいていることを見てきた。この技法は、具体的なツールやテクニックではなく、誰と行うかに依存している。批判には、「自分の立ち位置」を要する。そしてそのような立ち位置を持つためには、初期段階の仮説を衝突させることを厭わず、画期的なビジョンとして融合することを望む異なる視点を持った他者を必要とする。加えてこのプロセスは、私たち自身の内から外へ向かっていくものであることを見てきた。
(p194)
 
解釈者やユーザーの参加は、オープンイノベーションやクラウドソーシングツールの目的とは大きく異なる。意味のイノベーションにおける外部者は、慎重に選ばれる。彼らの主な役割は、意見や考えを提供することだけではない。むしろ、私たちが提案するイノベーションの方向に挑戦し、それを強く深くすることである。ここで部外者がもたらすべきであるのは、よいアイデアではなく、よい質問である。言い換えれば、彼らはアイデアづくりではなく、批判に寄与する。
(p197)
 
そこに愛が見えなければ、単にそれはまだ早過ぎるということだ。その場合、私たちはさらに深く掘り下げて、何がうまくいかないのかを理解する必要がある。そしてビジョンを明確にし、批判によって新たな解釈をつけ足していく。新しい衝突と新しい融合を経て、意味が現れるまで、このプロセスを繰り返す。
(p202)
 
「以前にあった散在するアイデア」と「プロセスを経て最終的につくられたビジョン」の間には、2つの大きな違いがある。
1つ目に、これらの個別のソリューションは無数の選択肢の中で溺れているが、今はその代わりに方向を持っている。
2つ目はさらに重要なことだ。私たちはそこに意味をみることができる。単にその兆候を見るのではない。私たちはすでに、個々に散らばったソリューションを新たな視点に置き換えるための新しい解釈を得ている。意味を持たず、散らばったアイデアとして見えていたものは、今や必然的なシナリオに見える。
(p203)

ビジョンをつくりだすための最初の段階では、個人的な仮説をさらけ出すことが重要である。そこでカギとなるのが次の問いである。
「自分が人々に愛して欲しいものは何か」
(p212)
 
新しい意味をつくりだすために、ソリューションから考え始めることをお勧めしたい。これまで私たちは、意味レベルの議論を常に続けてきており、ソリューションの議論はしてこなかった。しかし、抽象的な意味よりも、製品やサービスという実用的なものの方が把握しやすい。まずソリューションのビジョンをつくってみることは、意味をつくるためのよいアイスブレイクになる。しかし、これはあくまで「うまく始動させること」に重点をおいたものであって、アイスブレイクに過ぎないことを忘れてはならない。ソリューションを考えた後で、どんな意味がそのソリューションを支えているのかを深く問う必要がある。さらに、なぜ人々がそれを愛するのかについて、自分の仮説を問い、他者にさらすことが求められる。ソリューションからはじめるが、それを意味にまでストレッチすることが重要なのである。
(p219-220)
 
「用事」という言葉よりも「日常的な経験」の方が、人々がどのように考え感じるかに近いため、より親近感を持って考えることができるだろう。人々は用事という「しなければならない」という観点からは考えておらず、どちらかというと生活の中で日常的に何が起こるのかという経験的な観点から考えている。
(p221)
 
ストレッチにおいては、「ソリューション→日常的な経験→意味」という3ステップを踏むことになる。まず、製品、サービス、ビジネスモデル、コミュニケーションの方法など、それぞれが頭の中に持っているソリューションを表現することから始める。このレベルは「どうやって(How)」である。
そこから一歩引いて、生活の根底にある経験を振り返る。このレベルは「何(What)」である。顧客が達成しようとしているより幅広いタスク(ジョブ)は何か? このソリューションはどんな経験に貢献できるのか?
それからさらにもっと深く、その経験を支えている意味を考える。このレベルは「なぜ(Why)」である。なぜ顧客はそうするのか? なぜその経験はその人にとって意味があるのか? なぜその人はそれを愛するのか?
このストレッチをよりよく理解するためには、次の文章を使うとわかりやすい。
私は「○○○(意味)」という理由で、「△△△(経験)」することができる「□□□(ソリューション)」が好きである。

ソリューションから意味へのストレッチでは、「ユーザー」から距離を置いて「人々」を見ることが最も重要である。ユーザーを見ることと、人々を見ることは同じではない。
(p227)

新しい意味を創造するためのラファエロの熟考の過程は、歴史上の最も大きな文化変革の1つ(中世から近代への移行)の時期に6年にも及んだが、現在の私たちにはそれほどの時間は必要ない。1カ月で十分である。人は眠っている時も熟考していると考えると、720時間である。
(p239)

スパーリングパートナーとして、互いに深い問いを投げかけ合うのである。ここで重要なのは、批判的になることである。
(p249)
 
異なる方向を比較し衝突させることで、緊張感を生み出す。ペアは「役に立つ親密さ」が核となっていたが、ラディカルサークルは反対に「対立」を核とする。よって、そこでの批判はとげとげしいものとなる。(中略) 衝突はどちらの方向が正しいかを選択することを目的になされるのではない。それは異なる2つの方向を新しいものへと融合することを目的に行われる。融合のためには、異なる方向の背後に存在するものを明らかにして、なぜ方向が異なるのかを理解することが求められる。(中略) ここで注意して欲しいのは、融合とは2つの異なる方向の中間をとることではない。それは妥協ではなく、1つの方向性により深く舵を切ることである。
(p252)

カルテットをつくるためには、すべてのペアに対して、自分たちとは他の方向を示すどのペアと一緒に衝突と融合の作業を実施したいか尋ねることから始める。ここで重要な点亜h、自分たちとは大きく「異なる方向」を示すペアを指定することである。(中略) その方向に自分たちの方向を融合させたら大きな変化を生むかもしれないと感じられ、大きなインスピレーションを受けると思えるものである。
(p259)
 
(p261) 図
 
アリストテレスは、メタファーが「直感的であること」について次のように強調している。「よいメタファーは、異なるものの間になる類似性について、直感的な認識を与えるものである」
メタファーは他の誰かのコンセプトを直接的に攻撃することなしに、批判を容易にする。もし、問題解決のイノベーションにおいて、ポストイットが基本的なツールだとしたら、メタファーは意味のイノベーションのポストイットである。(そう、私はここでメタファーを使っている・・・)。
(p263)

メタファーはイノベーションを促進する。それらは不完全であるがゆえに、あるコンセプトの新しい次元と新しい特徴を捉えることを助けてくれる。
(p265)
 
ラディカルサークルで生み出された幾つかのビジョンのうち1つを選択(または、他の方向を持った強いビジョンとさらに融合する)ためには、外部の者による新たな洞察が必要になる。
(p270)
 
多くの人は、新しいことに気づくために、観察が強力で客観的な方法だと無邪気に信じている。現実には、私たちは見たい(見える)ものしか見ない。道にはみ出した屋台が歩行者を妨げていることに対し、人々は歩く速度を落とさざるを得ず、抗議する者もいる。その観察から導かれるデザインは、カートをスリムにすることだ。これが、私たちがよく目にするソリューションだが、それは必ずしも意味ではない。
(p279-280)
 
解釈者と出会うまでには、自分の中に彼らの考えと比較できる仮説を持っていることが重要で、それらの違いと対比から学ぶのである。
(p281)
 
私たちは既存の行動パターンを変えてくれる人を必要とする。新しい解釈を提示してくれる人だ。ユーザーはこの点でほとんど助けにならない。
(p281)
 
時々、今まで話したことのない外部者と話すことが有効だと信じている組織に出会う。(中略) 単純に遠く離れたところから専門家を選べばよいというわけではない。選別には基準が必要である。
(p284)
 
解釈者には、私たちの生活の中で、同様の体験に焦点を当てている専門家が適している。
(p284)
 
役に立たない解釈者ただ役に立たないのではなく、悪い方向に向かわせてしまう。こういう解釈者たちはたちが悪い。解釈者として適切な人を選別する時に考えるべき重要なことは、その人自身が現場で意味を調査したことがあり、そしてその人自身の解釈をつくりあげた経験があることである。そこから得られる新しい解釈は、人々の実際の生活の中で最新の変化を捉えたものである。
(p291)
 
「研究者」といっても、博士の学位を持った人を示しているわけではないことにも注意が必要である。むしろ、意味の調査研究をしている専門家のことを示している。
(p292)

贈り物は人々のためであるが、贈り物を作る行為は私たちのためだ。
(p306)
 
リーン開発プロセスを利用して、このアイデアの過剰生産に取り組んでみようか。(中略) モノによってもたらされる物理的な汚染ではない。アイデアと情報によって生み出される記号の汚染である。(中略) 人々はもはや生活にアイデアの量を必要としていない。必要なのはより高い質だ。そう、意味にあふれた質である。
(p324)
 
――
イノベーションは何かをゼロからつくりだすことだと思い込んでいると、なかなか一歩を踏み出せない。意味のイノベーションはゼロから1だけではなく、1をゼロにリセットしてから1にすることでもある。(中略) そもそも人とはいったい全体、何に対して喜ぶのか。ここから出発する必要がある。ユーザー中心設計やデザイン思考で「ユーザー中心」「お客さま重視」と言うが、人はまず人であり、次にユーザーやお客さまという役割がつく。従って、基本作法として、ユーザーでもお客さまでもなく、人間存在そのものの意味を問うていかないといけない。
(p333)
 
「教養」の価値を再評価すべきだ、との議論である。教養の定義を一律にはしづらいが、「深く考える」ことがその根底にあるのは確かである。その意味で教養の再評価は、ベルガンティの「個人の熟考がすべてのスタート」の土壌をつくることになる。
(p335)

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◇プロフィール
藤井哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/SOCIALX.inc 共同創業者
1978年10月生まれ、滋賀県出身の43歳。2003年に若年者就業支援に取り組む会社を設立。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地域課題・社会課題に取り組む。3期目は立候補せず2020年に京都で第二創業。2021年からSOCIALXの事業に共同創業者として参画。現在、社会課題解決のために官民共創の橋渡しをしています。
京都大学公共政策大学院修了(MPP)。京都芸術大学大学院学際デザイン領域に在籍中。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。著書いくつか。

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