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我、遂ニ帯刀セリ

先日、刀型の傘を買った。

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買ったものの、なかなか雨が降らなくて、使う機会がなかった。

何度か降るかも?みたいな日があったものの、
「この程度で帯刀するわけにはいかぬ…」と思い、持ち出さなかった。

やはり刀を帯びるにはそれなりの大義がないといけないのだ。

そして本日。天気は朝から雨。

とうとうこの日がきたか。
いいんですか。
刀差しちゃっていいんですか。

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(我、遂ニ帯刀セリ!)

傘としては、造りはしっかりしていて、骨も16本あるので安心感がある。
柄も手にフィットして持ちやすい。
ビニール傘と比べて軽くはないが、それほど重いわけでもなく、片手で充分持っていられるほど。

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ほんの数分だが、最寄り駅に向かうまでの間、刀の柄の感触を楽しんだ。

駅について傘を閉じる。

肩ひもがついたカバーがあるので、それに入れると忍者みたいに背負うことも可能だ。
さすがにリュックなので無理だけど。

刀を携えて電車に乗ると、ちょいちょい乗客の「えっ」て感じの視線が刀に向かうのを感じる。
そんで「あ、傘か…」みたいな心の声が聞こえるようだった。

今日一日、帯刀してみてわかったこと。

地味に目立つ。

それに伴い、己の振る舞いに気をつけねばと思うようになった。

傍若無人な振る舞いをすると、「刀持ったあいつ、何やってんだ」と言われてしまう。
刀を持ってる時点で、不特定多数の者ではなくなるのだ。

すなわち、刀を帯びるにふさわしい振る舞いが求められるのだ。
帯刀するからには、品行方正であらねばと思った。

そして、自然と背筋も伸ばして歩くようになったし、エスカレーターではなく階段を使うようにもなった。

なんだこれ、すごいな。

刀を持ったことで、己の振る舞いに己で責任を持つ、という意識が芽生えたのだろうか。

ていうか、刀って言ってるけど傘なんだよな。

普通の傘ではとてもそんな心持ちにはならない。

責任と覚悟がいる傘だ。

ちなみに、普通の傘みたいに持ち手が引っかけられないから、常に片手が塞がってしまう。
この状態でさらにスマホをいじったら両手が塞がってしまう。

危ないし、なんていうか、様として美しくないなと思った。


今日の一日で、かっこよく帯刀できるようになりたい、この刀にふさわしい人物になりたいっていう気持ちが生まれたのだった。


自分の中で、もはやこれは刀である。


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