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“初めて漫画を描いたあの夏”を掘り起こしたこの夏

金曜ロードショーで『千と千尋の神隠し』をやってたので、久しぶりに見た。

いやぁ、よい映画だ。

この映画を見ると、公開当時18歳だった夏を思い出す。

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当時、私は高専3年生で、夏休みをかけて漫画を描こうとしていた。

実は夏休みのたびに、「この夏は漫画を描こう!」と決意しており、でも全然描けないまま夏が終わって落ち込む、というのを1年と2年の夏休みに繰り返していた。

なので3年目の夏は、今年こそ!という気合を入れて取り組んでいた。
目標は8月末締め切りの漫画賞に応募することだった。

夏休み入ってから何を書くか考えたのでは間に合わないということをこれまでの経験から学んでいた私は、夏休み前までにある程度話の筋を決めておいて、休みに入るあたりからネームに取りかかっていた。

18歳のこの夏、運転免許合宿にも行くことになっていた。
早いうちに免許は取っておけという親の勧めもあったからだ。
(今思うと大変ありがたい)
これにより、約20日間家を離れなければならない。
場所は山形県。

ネームは合宿先でもできるかなと思っていたが、結局ほとんどできなかった。
合宿が終わった時点で、ネームは8割程度描けてる感じだった。
(あくまで当時の自己評価)

山形からの帰路、早く帰って漫画を書かねばという思いもあったが、このときは解放感のほうが強かった。

ちょっと寄り道して映画でも観よう。

そう思って、秋田市の映画館に行って観たのが、公開されたての『千と千尋の神隠し』だった。

映画はすごくおもしろくて、すごく引き込まれた。
そのときの自分の状況や心境と重なる部分が多くて驚いた。
そして何より、自分が今まさに書こうとしている漫画で書きたいと思っているようなことをやられてしまった!と思った。
もちろん何百倍も良くして。

こうしちゃいられない。

残りの休みは、漫画製作に本腰を入れて取り組んだ。
スケジュールを考えると、ノートにネームを描いている場合ではないので、さっそく原稿用紙に下書きに取りかかる。
とりあえず描きやすい人物と資料のある背景とセリフを描いていく。

好きな先生の漫画を教科書にしながら、もう全部必死で、描いていった。
描けない絵とか、どう描いたらいいかわからないとことか、まだどうするか決めてないところは全部飛ばして、とにかく描き進めた。
かなり白い原稿用紙だったけど、ある程度決まった絵があるやつはペン入れも進めた。

そうして夏休み最後の週末、まだ半分も原稿は仕上がっていなかった。
というか、1枚でも仕上がったものはなかった。

このままじゃまずいと思い、友人2人に声をかけて、原稿を手伝ってもらうことにした。

ただ、自分でどう書いたらいい変わらないところを、「なんかこんなかんじで!」とふわっとしたオーダーで描いてもらう。
描いてもらったものの、なんか違う…と思い、没にする。(ヒドイ)
他に、ベタとか消しゴムかけとかやってもらっただろうか。
前提として自分の出力が上がってないので、生産性としては焼け石に水だった。

というわけで、今にして思うとそりゃ完成するわけないわと思う進行だったけど、それでも当時の自分にしては必死で描いた漫画原稿は、その夏も結局完成はしなかった。

夏休み終わってからでも続きやればいいじゃんと思われるかもだが、描き進めながら、もっとこうしたほうがよかった、このほうがおもしろいかもという誘惑がわきおこり、一から新しいの描いた方がいいじゃんと判断し、結果完成させることはしなかった。
(ほんとは意地でも完成させるべきだったと、今は思う)

******

そんな漫画あったなと、金ロー見て思い出したのだった。

……思い出したら掘り返してみたくなるわけで。

で、ちゃんと出てきた。他の描きかけの漫画もあわせて。

お、おぉ……

例の漫画は、30ページの作品で、1枚目の表紙は最後に描こうと思って描かずじまいだったので白紙だ。

内容はと言うと――

これを書いてた当時、同級生にぽろっと“今漫画を描いている”ということを話したことがあった。
当然その同級生は、「どんなジャンルの漫画描いてるの?」と聞いてきた。
それに対し、その頃既にひねくれていた自分は、安易にジャンル分けされるのをよしとしておらず、もちろんそんな安易なものを書いているつもりもなかったのでこう答えた。
「え~、まぁ、しいて言えば、ジャンル『俺』かな」
そうなんだーという反応で会話は終わった気がする。

……

ていうか!
なんだよ!ジャンル『俺』って!
痛い!恥ずかしい!死ぬ!!

(はぁ、はぁ……)

という回答からわかるように、この漫画は思いっきり「雰囲気漫画」だ。
特に内容なんてない。

でも、当時の自分の考えとか気持ちとか、好きなモチーフとか展開とか、雰囲気とか。
あのときにしか描けなかった粋がここにはある。

ものすごく幼くてみっともなくて、恥ずかしい。
けれど、ものすごく愛おしくもある。

少なくとも、「黒歴史」とレッテルを張って、自分から切り離して、笑うことはできない。

でもやっぱり恥ずかしいけど。

うおーうおーと己の青臭さに身もだえながら原稿を掘り起こしている夫の姿を、うちの奥さんは傍目で見ていたはずなのに、何も声をかけてこなかった。

「うわーちょー恥ずかしいわー。こんなんとても人には見せられないよ。……え、なに?気になる?じゃあしょうがないなぁ、見せてあげるよ」

と、地獄のミサワばりのウザさで私は奥さんに自分の原稿を見せてあげた。
奥さんは(しょうがねぇなぁ、見てやるよ)という感じで見てくれた。
ただ、鉛筆書きのセリフがほとんど見えづらくなっていたので、必然的に音読して漫画を見せることになった。
(どんだけマゾなんだ自分)

読み終わった奥さんは、私らしい作品だと言ってくれた。
あと原稿用紙でネーム描いている状態だったので、紙がもったいないとも。
それから、徳永英明の壊れかけのRadioを歌ってくれた。

思春期に少年から 大人に変わる
道を探していた 汚れもないままに

そう、これは道を探し求める話だったのだ。

この漫画を描いた翌年、おんなじようなテーマで16ページの作品を描こうとしている。(もちろん未完成)

道を探し求め、完成を夢見ている。

”処女作にその作家の本質が全て表れている”とよく言われるが、
たしかに10代のあの頃から未だに本質は変わっていない気がする。



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