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冬をまといながら探す春の気配

天気が晴れなことを確認し、新井からバスへと乗り込む。小室山の桜が咲き始めていると知り、見に行ってみることにしたのだ。伊豆の春は早い。小室山には15分ほどで行ける。新井経由での直行バスがあるからとても便利。

バスを降りると、少し肌寒い風が頬を伝った。でもそんな寒さは一瞬のことで、山頂までの登り坂で一気に身体がポカポカと温かくなる。犬と散歩している人からすれ違いざまに、こんにちは~と笑顔で挨拶されて、私もこんにちは~と返した。お散歩コースが観光地の小室山ってなんだかすごい。正面には少ししんどそうに登る人の姿が見える。私も息切れせずには登れないほどの傾斜だ。少し登ったところで後ろを振り返ってみると、富士山が見………えなかった。さっきまではいなかったはずの雲が富士山の頭に覆い被さり、雪がかった下半身をチラ見せしている。本当に山の天気は変わりやすい。


でも山頂では伊豆大島と共に、太陽の光を浴びながら神々しく輝く海と、群れを成すように流れていく雲が、伊豆半島の大地を美しく囲っていた。この景色が自宅からバスで15分の近所にあるのはやっぱりすごい。

私が伊豆半島を好きなのは、地球に生かされていることを実感できるからだ。都会は土をコンクリートで埋めたり、自然との調和などと言って申し訳ない程度に木を植えたりする。その環境下では、自分が人間の力だけで生かされているとつい勘違いしてしまう。もっとたくさんの、様々な生物や環境によって生かされていることを自認するのはとても難しい。そしていつしか自分は何かをコントロールできる、支配できると思い込んでしまうのだ。この世界で思い通りにできることなんてほとんどない。なのにコントロールできる支配できると思っていると、こんなはずじゃなかった、もっとああなるはずだった…、みたいに思い通りにならないことが多すぎて生きるのが苦しくなってしまう。今、何をするのかという一秒先の未来だけが委ねられていて、あとは自分以外の存在が全てを決めていく。それを感じ取れると、むしろ安心して今の自分だけに集中できることを、私はここで実感している。


反対側の道から下っていくと、桜がちらほら咲き始めていた。こちら側の方が日当たりがいいのかな。春の陽気をじっと待っている蕾たちと、もう我慢できないよと両手を大きく広げ、太陽を燦々と浴びている花びらたちが入り混じっている。とても大寒波が来ると予報されている日とは思えない光景。桜の淡いピンクは優しく、時に切なく日本の風景を彩る。日本人が桜に対して特別な意識を持つのは、入学や卒業といった青春時代の思い出とリンクするかららしい。

霜が降りてた。
ここだけめちゃ春。


バスを待つ時間がもったいないため、歩いて川奈の街へと向かう。初めてのお店「そば・うどん勇吉」でお腹を満たし、今日の本命の川奈港へ。以前から港辺りをゆっくり見てみたいと思っていたのだ。約3kmほどの道のりをのんびり歩いていく。


109号線から伸びているながーい階段を降りて行くと、斜面に沿って古い家が建っていた。車も通れなさそうな細い道や急な坂道は、私が暮らしている新井とよく似ている。色あせた屋根や錆びついたトタン、出しっ放しの掃除道具、壁をつたう配管、ベランダで揺れる洗濯物。いつも目に止まるのはそういった何気ないもので、どうやら私は人の生活を感じられる風景が好きらしい。綺麗に整われているよりも、ちょっと散らかってるくらいがいい。積み重ねられた時間の中には様々なストーリーがあって、それらを想像し、勝手に感じ取って解釈するのを一人で楽しんでいる。


港まで下ると、猫が鳴きながらすり寄ってきた。かなり人馴れしている。それは新井と違う部分だ(笑)撫でてあげると、ゴロゴロと言いながら喜んでいる。またねと言って離れると、再び近寄ってスリスリしてきた。持って帰りたい。

くつろぎすぎな猫。


もっと色んなエリアを見たかったけれど、小室山を登り、さらにそこから歩いてきているため流石に足が疲れてきている。伊東駅からここまで直通のバスがあるのも知れたから、今度は川奈の街だけを散策しに来よう。そのバスはしばらく来ないため、今度は下ってきた坂道とながーい階段を登り、電車の駅へと向かう。今日だけで一体何キロ歩いたのだろうか。伊東駅へと戻ると、雪がチラチラと降り始めた。雲の隙間から顔を出している太陽に照らされ、まるで天から星くずが降り注いでいるような、とても美しい光景だった。

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