【前編】愛とは、そこにあるということに気づくこと〜『リクと栗』〜

※この物語はフィクションです。登場する個人や団体は、実在するものと一切関係がありません。

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「このまま適当に就職すればいいと思ってる」

リクはそう言って、風になびくカーテンを見つめる。

先生との面談は嫌いだった。先生が本当に自分の人生を考えてくれているとは思えなかったし、自分の人生なんてそれほど大事なものでもないように思っていた。リクの通っていた高校は進学校ではなかったので、一定の学生が就職を選んでいたというのも言い分としてあった。

そもそも、先生という存在はずっと信用していなかった。先生が勉強のできるクラスメイトに「お前は勉強ができるからリクたちとはつるむな」と言っているのを聞いたことがあった。どうやら自分と仲良くすることは「よくない」ことのようだった。

「あんた、大学くらい行ってもええんちゃう?」

この日は祖母のハナエも面談に来ていた。リクの両親は彼が幼い頃に離婚しており、リクは父方の祖父母と一緒に暮らしていた。

参観日も運動会も少年野球の観戦も、母親ではなくハナエか父親が来ていた。だけど、それをうれしいと感じたことはなかった。むしろどこか居心地の悪い感じがしていた。

母親だったらうれしかったのかどうかはわからない。けれど、自分の知らないところで家族のかたちが変わって、自分の暮らす環境が変わってしまったことに、違和感のような、あるいは小さな怒りのようなものはずっと抱いていたのかもしれなかった。

もちろん、リクがそれを表現することはなかった。身近なハナエに言っても何も変わらないと思っていたし、傷つけてしまうことはリクにも想像ができた。

「別に、行く意味もないしなあ」

自暴自棄になっていたわけではない。だけど、やりたいことなんて何一つなかったし、自分に向いている何かもまったくわからなかった。ありたい将来像なんてものもなかった。適当に生きて、適当に死ねばいい。ただ人を笑わせることだけは、嫌いではなかった。

「まあ、働きたいわけでもないからなんでもええねんけど」

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それなりに勉強をして入ったそれなりに名の知れた大学は、だけど思っていたよりも面白くなかった。サークルに入って、適当に講義を受けて、バイトに勤しんで、夜はみんなで飲み会をする。そんな大学生の王道スタイルには何の憧れもなかった。斜に構えてみんなを見ていた。いや、嘘だ。本当は、自分もその一員に加わりたいと思っていた。だけど、どうにも性に合わなかった。みんなと同じにはなれなかった。

でも本当は、たくさんの人がいすぎて、たくさんの内容がありすぎて、自分には選べなかったというだけなのかもしれなかった。一つのことを選ぶということは、ほかのすべてを捨てるということでもある。選択肢が多すぎるということは逆に不幸なことでもあるのかもしれない、とリクは思った。

リクは、ほかのみんなと同じように自分の選択に自信を持っていなかったし、選ぶという行為がとても怖いことであるように感じていた。「選ばなかった部分に大切なことや可能性があるかもしれない。だったら選ばないほうが幸せだ」、そうやって選ばない自分を正当化していた気もする。

そんな風に生きていたけれど、ファッション系のサークルにはふらりと入ることができた。そこにはハイブランドに身を包む人や、目がチカチカするようなカラフルな装いをする人、全身モードで真っ黒な人など、たくさんの「変わった」装いをする人がいた。ここでなら自分を受け止めてもらえるかもしれない、リクはそう思った。

集まっていた人の中には、辛い思いをして生きてきた人もいるらしいことを知った。いや、むしろ、最初からそれを感じとっていたのかもしれない。衣服をまとったり装飾を施したりすることで、自分を変化させることができるし、別な自分になることができる。それはまるで、演劇であり、舞台だ。ファッションは彼らにとって、そしてリクにとっても、生き延びるための表現であったように思えた。

だけど、途中でそのサークルにも嫌気がさしてしまった。理由は「おしゃれなヤツがダサいヤツをバカにしていた」からだった。くだらない。おしゃれかどうかなんてどうだっていいのに。けれど、それは「傷ついた自分たちを守るために自分たちとは違う者をのけ者にする」ということであったのかもしれなかった。

思えば、ずっと「集団」が苦手だったかもしれない。「集団」というものは線を引いて内と外を分けてしまう。リクはそれを恐れていた。そうすることは、一方が正しくてもう一方がまちがっている、という状況をつくることでもあるからだった。内にいるときはいいけれど、外にはじかれてしまったときどうするんだろう。それは、参観日にハナエが来てくれたときに感じた「心地悪さ」と似ているような気もした。

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子どもの頃、リクは絵を描くことが好きだった。一人でせっせと絵本を完全コピーしたり、クルマの絵をたくさん描いたりしていた。自分で物語をつくることもあったし、描いた絵がコンクールで入賞することもあった。

画用紙の上は自由だった。何を表現してもいいし、何かを表現しなくてもいい。お気に入りのクレヨンで色を塗る。「だれかが決めた答えを探し当てる」という勉強も嫌いではなかったが、絵を描くことや物語をつくることの方が自由で楽しかった。

だけど、絵にも、芸術の世界にも、正解と不正解があるらしかった。

「人の顔の色じゃないからやり直し」

小学校2年生の頃、先生にそう言われた。授業で自分の顔の絵を描いていた時のことだった。どうやら「正しい色」があって、自分はそれに合わせなくてはいけないらしかった。本当にそうなのだろうか。

「せんせい、はだいろってなんですか」

リクは思った。自由に描くことができないのなら、そこに意味なんてないんじゃないか。自由な表現を奪われるのだとしたら、描くことに価値なんてないんじゃないか。

窮屈だ。

リクはそれ以来、描くことが好きではなくなった。そして、自分を表現することもやめてしまった。

「せんせい、せんせいのしごとって、なんですか」

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大学生活は淡々とこなした。だけど、積み上がるものはなにもなかった。リクは、みんな本当に大学生をやりたくてやっているのかな、と思った。でもそれは自分自身に対して思っていることでもあった。相変わらず表現をすることは苦手だった。

でも、女性と話すことは好きだった。恋愛だと思うこともやってみた。だけど、女性を好きになるということがどうも自分にはよく分からないと思ってしまった。

「あなたは人を好きになるのが怖いのね」

そう言われることもあったけれど、よくわかるようでよくわからない、そんな感じだった。心にバリアを張って人と関わっていたかもしれない。だけど、自分にとってそんなことはどうでもよかった。気づくことも向き合うことも面倒だった。ましてや、相手の気持ちなんて考える気にもならなかった。

傷つけ合う関係性も、依存し合う関係性もあった。ときに暴力的になったり、自暴自棄になったりすることもあった。その度に自分も相手も傷ついた。だけどむしろ、傷つくことによって互いの存在を確かめていたし、愛情を確かめようと思っていた。傷ついた感情は確かにここにあるし、それが自分の存在を確実にしてくれる気がしていた。

中学2年の頃、父親に「自分のことを本当に愛しているのか」と聞いたこともあった。友達とつるむようになって帰りが遅くなったり、友達を連れてきて夜中まではしゃいだりするようになった。それが原因で父親に何度か大声で怒られた。だけど、リクは父親が本当に自分のことを心配して怒っているのかわからなかった。夜中にうるさくされるのが嫌なだけなんじゃないか、そう思ったりもした。そのときは、父親から望んでいた返事をもらうことはできなかった。

今まで失うものがたくさんあった。でも心の底からだれかを思うことなんて一度もなかった。だれかに自分のことを思ってもらえた気もしなかった。リクはずっと孤独だった。常に周囲にだれかがいたからこそ、その孤独感はより一層リクに迫ってきた。そしてリクは、その孤独感を母親との関係や家族のせいにしていた。自分は悪くない。いや、だけど本当はだれも悪くない。めぐり合わせが悪かったし、仕方のなかったことなんだと自分に言い聞かせた。

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相変わらず母親との関係はうまくいっていなかった。というよりも5歳から会っていなかった。

大学から帰る途中の駅までの道のりは、同じ大学の学生で溢れていた。テニスサークルに入っているであろう人、一人でいそいそと帰る真面目そうな人、カップルで楽しそうに手をつないで帰る人、今から大学に向かう人。その喧騒の中で一本の電話が鳴った。

「もしもし」

「はい、もしもし、リクです」

「わたし、だれかわかる?」

「あ、いえ、すみません。どちらさまでしょうか」

「あなたの母親です」

記憶の彼方にいる母親から電話があったのは20歳のときだった。いや、記憶にすらほとんど残っていなかった。記憶に残っていたのは、なぜか3歳くらいのときに「メガネー!」と言いながら、母親の目を突こうとしてしまって本気で怒られたことと、また、4歳くらいのときに豚肉を食べるのが気持ち悪くなってしまって、母親がつくってくれた焼きそばを拒んだことだけだった。それ以上に母親との思い出はなかった。

厳密に言うと、母方の祖父が亡くなるとき、母親と一度だけ再会している。しかし、そのときの記憶もほとんどない。リクは、病室で祖父がどんどん弱っていく様子を見ていた。だけど、なにも思わなかった。むしろ、祖父の排便と病室の潔癖なにおいが、リクに居心地の悪さを感じさせた。

「どうしてじいちゃんの死に目にだけ会わせるのだろう」

両親が離婚した理由はわからない。自分からだれかに聞いたこともなかった。だけど、母方の祖父が大きな借金をしたらしいことは大人になってから知った。

そういえば、父親はもうすでに家にいなかった。リクが高校に入るくらいのときに父親は家を出ていた。事前に何も聞いていなかったが、部屋の荷物がなくなっていたのでもう帰ってこないのだろうと思った。

そのことに気づいたときは寂しかったような気もするし、何も感じなかったような気もする。でもリクの心は確かに傷ついていて、高校の頃は荒れた。静かに荒れた。親の都合で浮き沈みさせられることにも嫌気がさしていた。

その後、母親とは定期的に会うようになった。けれど、うれしいともなんとも思わなかった。あったのは「母親と名乗る人」と会っている感覚だけだった。二人でおいしい料理屋さんに行き、おいしい酒を飲んだ。いつもごちそうしてくれた。彼女のことを母親だと思うことはなかったが、定期的に会う「仲の良いおばさん」として関係を再び築いていった。

(続く)

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