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ぼくのこと「関係人口」って言わないで(「関係人口という提案@神戸」イベント全文書き起こし)

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今日は「関係人口」という言葉がキーワード。みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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1月10日(木)に『第4回「関係人口」という提案』というイベントが「はっぴーの家ろっけん」(六間道)で行われました。尼崎ENGAWA化計画のインターン生がイベントの書き起こしをしてくれているので、みなさんにもぜひお読みいただければと思います。

ファシリテーター:田中輝美さん
ゲストスピーカー:首藤義敬さん・藤本遼
グラフィックレコーディング:丸川正吾さん

▼ゲスト
田中輝美さん

島根在住の「ローカルジャーナリスト」。
『関係人口をつくる−定住でも交流でもないローカルイノベーション』を出版したことから、本イベントに関わることに。

藤本
———見えていない価値や可能性にうまく光を当てていく、そんなことをしています。
尼崎在住の28歳。尼崎ENGAWA化計画代表。
”まちづくり”や”コミュニティデザイン”と言われる仕事を、25歳からフリーランスで行っている。学びを基軸にして地域に関心を持つきっかけづくりをしたり、尼崎城を起点とした地域活動の支援、沿線活性化プロジェクト、ミーツ・ザ・福祉、徳島県上勝町のスギ材でつくったつみきの販売などを行ったりしている。

首藤義敬さん
———ぼく、人生の中で、一人で暮らしたことがないんです。
0歳から92歳という幅広い年代が暮らすシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」の大家さん(本イベント会場)。
「中2で学校に行かなくなり、高校に行ったら退学になり、そこから10年ずっと誰かのヒモになるという人生を送っていました。だから人生の中で、一人で暮らしたことがないんです。ずっと誰かに依存するという人生を送ってきました(笑)。そこからこの家にも依存するようになりました(笑)。」「ここがなんなのかと言われても、ぼくも説明できないんですよね。あえて看板をつくっていません。というのは、みなさんがここにきて感じたことがはっぴーの家だと思っています。そんなふうに“役割を決めない“ということをしています。」「施設的な機能を持っている場所で、ぼくは子どもたちと暮らしています。こんな暮らしが面白いよねってことで全国・世界から人が集まってきます。この前はなにを勘違いしたのか、国連の人まで来ちゃいましたけどね。」

▼フリートーク
〜弱さと課題〜

田中:どうしてここ(はっぴーの家ろっけん)でイベントをやろうと思ったのですか?

藤本:なんか面白いじゃないですか。尼崎で5年くらい活動しているのですが、だんだんと愛着が湧いてきて「尼崎、面白いな」と思うようになりました。でも、尼崎以外だったらどこが面白いか?って言われると、なんかここが思い浮かぶんですよね。ちょっと嫌だけど、好きみたいな(笑)。なんかちょっと似てるよね。

田中:お二人はどれくらいのお付き合いなのですか?

藤本・首藤:2、3年くらいかな。

首藤:ぼくがこのシェアハウスやろうと思ってるときに、この近くのコミュニティスペースで出会ったんです。

田中:そもそも、なんでシェアハウスを?

首藤:「子育て」のためかな。ぼくは今、33歳なんですけど、うちの子が小学校1年生の時(3年前)に子育てに悩んで、あらゆる育児書をその辺の教育マニアより読んだんです。でも、答えがなかった。自分の経験では、本を読んだ時と人に出会った時に一番成長した。だから初めは年間200人くらいの大人と暮らせる環境をつくろうって。そしたら、今では週200人くらいの大人がくる環境になってしまって。あとはもう、勝手にしたらって感じですね(笑)。

田中:自分の子どもを他の大人に育ててもらえたらいいってことですか?

首藤:そういうことです。子どもにとってもいいってことは、ぼくらにとってもいいってこと。すごく単純なロジックです。

田中:なにか大切にしていることは?

首藤:全部自分でやっちゃわないってこと。ぼく、世の中の経営者の中で一番タスク能力が低いと思っています(笑)。ここは医療施設も介護施設もあるんですけど、最近車椅子のたたみ方を教えてもらいましたもん。多分、日本の中で介護の資格を持っていない介護施設の経営者は自分くらいなんちゃうかなって思ってます(笑)。奥さんは絵描きです。

田中:実は、関係人口で大切なことって、「弱さ」や「課題」だったりするんですよ。スーパーな(強い・すごい)地域ではなくて、穴だらけの地域や人に人が集まる。そっちの方が隙(すき)があって、うまく地域が回る。その話とつながる話だなと思って聞いていました。

〜それぞれの関係人口って?〜
田中:みなさんにとって関係人口のイメージは?

藤本:尼崎で活動をしているのですが、市内の人や市外の人が主体的に関わってくれています。関係人口、ぼくからすると「仲間」って感じですかね。

首藤:ぼくはどこの地域に住んでいても、ここの地域の概念やイメージが好きなら受け入れて一緒に仲良くする。ゆるくて場所にとらわれない関係なのかな。

田中:社会は大きく「内」と「外」に分かれていて、学術的には関係人口は「外」の人たちを指す。住んでないけど、関わっている。重要な概念なんですね。今までは中で住んでいる人こそが、地域のことに口を出せる「共同体」という意識が強かった。島根県の全人口って68万人なんです。少ないでしょ?大正時代より人口が減ったくらい人口減少率が大きい。島根が主体的に「関係人口」をはじめたのではなくて、本当に困ってたんです。自分たちだけでいろんなことができなくなっていく。困っている、誰か助けて!って。昔は「自前主義」(地域のことは地域の住民が行う)だったけど、そうやって「関係人口」が生まれたってことなんですね。「関係人口」は、一緒に何かをやっていく仲間であるという点が観光客と違うんです。昔は、移住か観光客しか求めていなかった。「関係人口」という概念が生まれたことによって、住まないけど、関わりたい人の行き場所ができたということなんです。

田中:昔から尼崎は「関係人口」がいたのですか?

藤本:どうなんでしょうか。雰囲気は徐々に変わりつつあるのかなとも思っています。尼崎って、高度成長期のときに沖縄やその他の地域からたくさん人が来たりしていた。受け入れる土壌が“地の力”としてあったんじゃないかなと。その中で、ぼくたちの活動がはじまったことで、また新しいタネがどんどん広がっていった、みたいな感覚はありますね。

田中:最初から「外」の人も受け入れようと思っていたんですね。

藤本:そうですね。最初は小さなイベントをやっていたのですが、あるときに商業ビルの中にある空きスペースをみんなで改装して、いわゆるコミュニティスペースみたいなものをつくったんです。いろんな人に尼崎に関わってもらおうと思ってやったときに、いろんな地域からのべ200人くらいの方が集まってくれて、そこからまた広がっていって。いろんなプロジェクトを立ち上げていく中で、いろんな地域の方が集まっているという感じですね。

首藤:ぼく、ここ(六間道)と尼崎は似ていると思ってて、勝手に「姉妹都市」って呼んでるんですけど(笑)。今日みなさん、ここまで安心して歩いてこられたと思うんですけど、数年前まではちゃいましたから!尼崎もそういうイメージ。でも、そういった弱さのある地域ってなんか今、面白くなってるなって感じ。弱さを活かすにはどうしたらいいのかを考えたときに、もともといろんな人もいるし、いろんな人に関わってもらったらいいかなって。この六間道もすごく柄が悪くて外国人も多いって言われていた。でもそれって逆にダイバーシティじゃない!?って。マイナスをプラスに見せるっていうことを今しています。

〜弱みの開示〜
田中:今、各地方では、地域PRの動画がつくられている。でも、動画で「すごいだろう!?」って言われても、人は関わろうとは思わないんです。それよりも「弱み」を見せることが大切なんですよ。

首藤:ぼくは「できない」っていうことを毎日、何回も使いますもん。この場所自体、「できない」の集まりやと思ってます。どの施設も融資をもらっている限りは、経営陣が綿密に事業計画を立てるもの。だけど、ここでは全くやってない。事業計画書も一年くらいワークショップを開きながら、地域のお母さんたちが行っていた。だから、目の前のニーズを形にしただけなんです。

田中:「できない」というのは怖くないんですか?

首藤:「できない」ことを「できる」っていう方が怖いなっていう感じです。

藤本:ぼく「余白」ということばがすごく好きで、ずっと使ってるんです。「できない」ことは「余白」であって、その「余白」があるからこそ、人は関わることができて、仲間になることができる。障害のある人と一緒にイベントをつくっていまして。ミーツ・ザ・福祉は、もともと尼崎市が主催で35年くらい「障害(者)の啓発事業」としてやっていた。昔は今よりも予算がたくさんあったんですが、どんどん削減され、マンネリ化していくという流れがありました。啓発事業なのに、当事者と関係者しか来ていないという状態から、少しずつ状況が変わっていっている。そうした流れや現場を見て学んだのは、障害者も健常者も一人一人違って、それぞれできることとできないことがある。だからこそ、できることをもっと伸ばしたいし、やりたいことをもっと伸ばしたらいい。そして、できないことは補い合いながらやればいいん。そうした雰囲気が、イベントやプロジェクトの中からつくられていって、かなり面白い形になってきているって感じです。

田中:「余白」は「関係人口」の中でも重要視されています。今、島根にきた若者になんで島根に来たの?と尋ねたら、課題という魅力があるからと言うんです。課題解決をするってことが自分たちの役割だと。今は、できないことを開示して一緒につくっていくという流れ(地域づくり・まちづくり)ができているんですね。

〜数字ではない、ものさし〜
田中:今、他の自治体では、移住定住につなげるために関係人口を使うという考え方がすごく広がっている。関係人口を増やして、移住定住の人数をどれだけ増やしたの?という議論に持っていかれてしまう…それはどうしたらいいんでしょう?

藤本:「成果をいかにして測るのか」という話ですよね。人数は可視化できる「ひとつのものさし」だけれど、それだけに集約されてしまうのは面白くない。ぼくたちにとっての「成果」というのは、一人一人の声、一人一人の意識がどう変わったのかということ。例えば、ミーツ・ザ・福祉に参加したある女性が言ったことなんですけど、「今までは全然福祉に興味がなかったのだけど、障害のある人と出会って、いろんなものさしがある(いろんな社会の見方やそれぞれ個人のスタンスや生き方がある)ことに気づき、生きるのが楽になりました」と。そんなところを、どんな風に可視化して、社会にどのように訴えかけていくのかということをぼくは考えています。数に集約されてしまうのが面白くない。

首藤:なにか分かる指標っていうのは、数字じゃなくて、ライフスタイルとかの概念なのかなと思っています。「関係人口」という概念が広がることによって、良かったことは、いろんな人の暮らし方や働き方が発信されるようになったこと。これからは、ライフスタイルで将来を考えることができる時代、それが楽しいなあと思ってます。

田中:課題だらけのマイナスの局面で、数字を出してしまうとしんどくなってしまう。数字だけじゃなく、課題解決のためには、質的な部分に目を向けるべきなんですね。

藤本:首藤くんとぼくは、課題解決っていう部分をあまり意識していない(笑)。そういう意味では、行政と我々がやっていることの乖離はあると思う。仕方ない部分ではあるけれど。

首藤:そもそも、マイナスのことをマイナスと思ってないんですよ。日本って、どこのまちでもおんなじことしかやってない。極論言えば、消えるまちがあってもいいと思っています。関係人口っていうのは、そのまち自体の魅力を掘り出す作業だと思っていて、数字でも課題でもなくて、自分たちのまちってそもそもなにがいいんだろう?って考えていくこと。人がいなくてもいいよね、自分たちらしさがあればってことかなと。

藤本:課題ありきで考えてしまうと、課題がなくなってしまった時に、そこに貢献できなかったり、関われなくなったりしてしまう。どちらかというと、その人の内にある感情や過去の体験からコトを起こしていくことの方が永続性があるのかなと。その人の人生にもすごくつながっているという形でプロジェクトをつくっています。課題解決っていうのは、ある種リテラシーが高い言葉であり、概念だと思っている。まちづくりも、地域活性も。なので、極力その言葉を言わないようにしています。なんか遊びだし、人生の一環としてちょっと楽しみが増えたなあみたいな感覚でいいのかなと。楽しくないとはじめたくないし、続かない。それらの楽しみを生活のスタイルの中でどれだけ新しく創造することができるのかっていうことが大切なのかなあと。

〜誰かと何かを一緒にするということ〜
田中:地域の人に厄介者扱いされてしまうことがある。みなさんは、関わる人を選んだりするんですか?

首藤:経験の中でビビっとくるものがあるっていうのが結論なんですけど(笑)。もしかしたらプロジェクトのつくり方に問題があるのかもしれないですね。そのまちの文化的な遺伝子を拾っていくと、上手くいくプロジェクトは、まちのマイナスのものをプラスにしている。そのまちの歴史を紐解くことが大切なんですね。例えば、この六間道のこの場所にシェアハウスをつくったのは、ここにいろんな複雑な思いを持っている人たちが住んでいるからなんですよね。だから、この場所でシェアハウスをつくることは本当に社会的意義があるなと、だからこの場所でつくりたいと思ったんです。

藤本:同じまちで暮らしていくということにおいては、人を選ぶことはできない。ぼくがやっていることは、プロジェクトでもあり、暮らしでもあり、結構線引きが難しいんですね。ぼくのやり方が気に食わない人から、否定されることもあるんですが、一緒にどう暮らしていくのかっていうことが結構大切だよねと。

首藤:めっちゃ分かる。絶対はじめはね、なにしてても反発されるんです。でも、クレーム言ってくる人ってこっち側がめげずに向き合っていると、絶対にファンになってくれるんですよ(笑)。理解してもらう必要はないけど、地域でやっていると絶対に文句言ってくる人が出てくるんです。でもそれが、自分的にも地域的にもハッピーで、まちの地域的文脈を解決することができるんだったら、ついてきてくれる人は絶対ついてくるっていう考え。100人に理解してもらう必要はないっていう前提ですね。

藤本:関係人口の難しさって、その地域に関わる必然性があるとは限らないということかなと。ある種、いつ退いて、いつ帰ってしまってもいい。その辺の難しさがあると思うんですけど、どうですか?

田中:自分が役立っているか?っていう感覚がないとお互いにマッチングしないのではないか?って思っています。下手するとスーパーヒーロー待望論になる。まちの人がそのまちの課題を解決してくれるヒーローに依存するようになってしまうと、まちのみんなが関わらないようになってしまう。一緒に成長するっていう形がいいのかなあと思います。最初はなにか言われると反抗的になってしまっていた部分もあるけれど、最近では、新しいことを言うこと自体人を傷つけてしまうんだと気づき、尊敬の念を大切にするようになりました。お二人も変化みたいなものはありますか?

首藤:ぼくもやっと最近気を遣うようになりましたね(笑)。でも、ある程度の域まで出る杭が出てしまうと、文句を言われなくなってしまうんですよ。でも、お互い歩み寄れるところはあるよねって。最初は医師会系の会になんか絶対出えへんって医者のことディスってた(否定していた)けど、4年経ってだいぶ変わりましたね。

藤本:そうですね。誰かの否定をするつもりがなくても、意思表明をすることが勝手にだれかを否定していることになる、ということが結構あるんだということに気がつきましたね。だからこそ、まったく違う立場や状況にいる人たちとどうコミュニケーションをするのかということをすごく考えるようになりました。でないと、それは「まちづくり」や「地域づくり」ではなくて、好きなもの同士がただ集まるサークル活動になってしまう。ぼくはそれをやりたいわけじゃない。消えていってしまいそうな声や、見過ごされそうなだれかとなにか関わっていくことができたらなあと思っています。そのあたりの見えにくくなってしまうもの、聞こえにくくなってしまうものを大切にしていきたいなあと。

▼質疑応答
Q:距離が近い人ほど、何回も会うことができる。そんなふうに物理的距離間が大きいと、心理的距離感を縮めることができない。どうすればいいか?
藤本:どんなまちにもキーマンがいる。そのまちですでにつながりを持っているキーマンにそのまちや人を紹介してもらって、知るっていうことが一番かなあ。

首藤:まちの中でも、キーマンが集まるような場所と、まちを構成する主要な人々が集まる場所っていうのは違うと思っています。例えば、銭湯ってまちの溜まり場になっていて、そこに定期的に通うことによって、リアルなまちの人と知り合うことができる。ぼくがはじめに意識したのは、このまちの喫茶店を全部回るっていうことと、銭湯に通うっていうこと。今なんて、週5で銭湯に通ってます(笑)。

田中:「関係人口」は、住んでナンボからの解放。でも、今は、通ってナンボって言われている。私は、通わなくてもいいと思うんです。通えなくてもできることはたくさんあるし、通うだけじゃない関わり方はたくさんある。

藤本:ぼくは、月一回県外に行くようにしています。年に一回しか訪れていない場所でも自分にとってはホームになっていたり。そういう関係性って、会った時にどれくらいの密度で話すことができるかということかなと思っています。その短い時間でどれだけドロッとした人生をぶつけ合うことができるか、そういう話を自分からできるかということかなと。それはある種「弱さ」の開示にも関わってくると思うんですけど、それを一発目にバッとできると相手にも覚えてもらえるし、相手のことを知るっていう点でもすごく強いと思う。

Q:地域に関わりたくても、自分に能力がなかったら難しいのではないか?
藤本:いるだけで価値があるんじゃないんかなと。一緒にいることで笑顔が増えたり、違う世界に出会うことができたりが絶対ある。それだけでいい。

田中:学術的にもそう。よそ者はよそ者であることが価値。

Q:関係人口の一人として、関わったもので、自分たちがいつか退くことになる。その引き継ぎってどうしたらいいんですか?
首藤:命を引き継ぐことが大切。そのときに「この人のためにやってよかったな」っていうのが一番の成果。自分に関わっている人が幸せになってくれたらという思いでやっている。目の前の人が好きなら、おんなじものを好きな人もきっとどこかにいるだろう、そんなふうに関係人口って広がる。目の前のできることをやる。目の前にいない人のためにするんではないかなと。

藤本:引き継ぎのときに大切にしているのは、その人にとってそのことにどんな意味があるのかをきちんと彼らと接続することです。あなたが生きてきたストーリーと今やっていることがどうつながるのか。うまく接続できるためには、自分の話をしなければいけないし、相手の話もじっくり聴かないといけない。うまく接続されたときに自分がやっていくわ、私がやっていくわって感じで主体的になっていく。コミュニケーションを重ねていくことが大切。

田中:なぜ、引き継がなければいけないのかから考える。それが解決されたときは終われば良いし、やる必要があるなら続ければ良い。

藤本:一つ付け加えると、成果を出さないといけないと思った瞬間に、関わっている人がモノに見えるというか、記号に見えるんです。で、そういう風に見られてしまうと、その人は嫌になる。その人は人間じゃなくって、引き継ぐための道具になってしまう。その辺のセンシティブな感覚を持つであったりとか、人をどういう眼差しで見たりするのかっていうことが大事。逆説的なんですが、だからこそ成果を出すために遊んだり、楽しんだりする。そうすることによって主体性も生まれていくのかなと。

▼最後にこれからやりたいこと
藤本:「出会う」ということで、色々変わっていく。人と人との間にやりたいことがあると思っているので、今年もいろんな人と出会いながら一緒にやっていきたいと思います。

首藤:関わっている人のために自分になにができるのか、その小さな積み重ねをしていきたい。直近で言えばこのシェアハウスの一階を旅館業にしていこうと思っています。

田中:わたしも「関係人口」をテーマにした博士論文を書いていこうと思っています。

▼インターン生・熊崎の備忘録
「楽しい」「おもろい」は魔法の言葉だなと。「楽しい」がないとはじめられないし、続けられない。「楽しい」に人は集まる。そして、そんな主体的な「楽しい」が集まって、自分も、まちもできていく。自分もまちも一緒に成長する。一緒に動いている。やっぱり。「楽しい」はいろんな原動力なんだと思いました。

わたしはまだまだ、いろんな物差しに出会っていないんだなあと思いました。「記号」の文脈でレポートをまとめていると、半年前(教育系の合宿をつくっていた時)のわたしは、記号しか見てなかったと思いました。イベントに何人集めることができるのか、もっとたくさんの人に集まってもらうために、スタッフのモチベーションをあげよう!とか、この人が入ってくれたらすごい集客につながるとか。イベントに来てくれる目の前の参加者に、自分が関わる人に目を向けることができなかった。目の前のニーズを形にしていく積み重ねをすることが大切、目の前の人が求めていることもわからないのに、目の前にいない人が求めていることがわかるわけない。半年前、そのことにイベント中気がついて、涙がこぼれた。それは、人と会うことの素晴らしさをその場面で痛感したからだと思ってたけど、そんな綺麗なもんじゃない。いや、わかってた。そのとき「私、今までなんでこんな冷めてたんやろう?何してたんやろう?」そう思ってた。感動じゃない、後悔、灰色ちっくなものが心臓あたりに刺さってた。今、半年前のイベントの光景を思い出そうとしても、参加してくれた人の顔がほとんど黒く見えてしまう。覚えてないんだ、見てなかったんだ、そんな私に関わってくれた人は楽しくイベントをつくることができた?絶対できてない。こんなことを振り返っていたからこそ、藤本さんと首藤さんがつくっている空間がちゃんとカラフルに思えた。いろんな人、要素を織り交ぜている。ああ濃い、って。わたしは黒一色。藤本さんの言う通り、私は本当の意味で人と向き合ったことがないのかもしれない。今回のイベントで受付をやっている時に「すみません」ばっかり言っている自分にびっくりした。あれ?わたしってこんなに重たい言葉しか発していなかったっけ?って。それは、今まで見てきた世界が、見ているようで見ていなかった世界が大きいからなのか、全然わかりません。なにが言いたいのかも少しわかりません。

今回のイベントを通じて、自分の中で美化して覆い隠してしまったどす黒いものを出すことができた気がしました。とっても性格が悪いです。全然周りのことが見えてなさすぎて悲しくなる。私はこのインターン、背伸びをしすぎたのかもしれないです。でも、やりたいです。これからは、ずっと先のことばかり見るんじゃなくて自分の足元からじっくり見て生きたいです。よろしくお願いします。トークイベントに行って本当に良かったです。

▼藤本の所感
首藤くんと対談できてよかった。楽しかったなあ。今年はろっけんや神戸にも関わっていけるといいな。よろしくお願いします。インターンのくまちゃんもナイスまとめでした。ありがとうございます。

あと、関係人口というキーワードのイベントだったんですが、ぼくは基本的に使わない言葉だなと思いました。だって、ぼくが関わっている人たちは関係人口ではなくて、仲間であり、家族だから。ひゅー。

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