「絆」は「傷」を含んでいる。絆(きずな)と絆(ほだし)。

特に、東日本大震災以降に言われるようになった、絆(きずな)という言葉。ぼくはその言葉に対して、言い表せないなにかを感じていた。

絆(きずな)。美しい言葉。しかしその美しさが、抗いようのない正しさが、ぼくに迫ってきて、首根っこを押さえてくるような感じがする。居心地が悪い。

けれど、昨年その感覚が大きく変わった。それは「絆(きずな)は傷を含んでいる」という言葉に出会ったからだった。

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NPO法人抱樸(ほうぼく)。30年ほどにわたって、北九州の地でホームレス支援の活動をしている。

■NPO法人抱樸
http://www.houboku.net/

先日ご縁をいただき、その団体の活動見学に行った。少しそのときの記録を残したい。


9:00 仕分け・清掃
金曜日には毎週、支援物資(主に衣類)の仕分け作業が行われているそうだ。その仕事をしているのは、過去、ホームレス状態にあったおっちゃんたち。ぼくは、彼らと一緒に話しながら作業をさせていただいた。ジャージという言葉を「ジャッジ」と言うおっちゃんがいた。

10:00 抱樸事業説明
団体のあゆみや理念、事業の全体像を聞かせていただいた。

13:00 奥田伴子さんお話
理事長・知志さんの奥さんである伴子さんのお話。ホームレス状態にあるたくさんの方を自宅に受け入れてきたそうで、そこでの面白さや葛藤の話を聞かせていただいた。「どのようにして《傷ついた人》とうまく関係をつくっていくのですか?」との質問をさせていただいたが、「なにをするでもなく、ただ一緒にいる時間が重要」ということを聞かせていただいた。

14:00 ドキュメンタリー視聴
団体の理事長である奥田知志さんがNHKのプロフェッショナルに出演された際の動画を見せていただいた。ホームレスの方との関わり。築いてきた信頼関係。すごいなと思った。

15:00 奥田知志さんお話
奥田さんもぼくと同じく「かぞく」の編み直しをされている方だと思った。僭越ながら、自分の活動ともオーバラップする部分がたくさんあると感じた。それぞれの持っている可能性をどう実現するか、最大化するかということに苦心されている。そして、その中でどう社会をつくりなおすのか、制度を変えていくのか、仕組みをつくっていくのか。そんなことを愚直にずっとされてきた方なのだなと思った。

18:00 生笑一座観劇
ホームレスのおっちゃんたちが取り組む一座。彼らの経験や体験を面白おかしく、ときには涙もありながら話したり、歌や芸を披露したりする。彼らならではの体験を提供することで「価値の転換」が起こる。支援(スタッフ)と被支援(ホームレス)ではなく、相互的な場がそこに生まれていく。まさに自分のやっていること、やりたいことがそこに現れていた。

20:00 炊き出し・パトロール
残念ながら、藤本は時間のため尼崎に帰ってきた。

24:00 帰尼


貴重な経験をした。インプットが多く、まとめきれない。しかし、動いた気持ちや感情のことはきちんと残しておきたい。

ホームレスのおっちゃんたちが、優しく、かわいらしい感じの人が多くて驚いた。しかし、驚いたということは、逆のイメージがあったということでもある。

そうした(間違った)イメージは、深く関わったことがなかったことによる「怖さ」によるものであった。関わったことはあったにはあったが、その深度が浅かった。

また、ホームレスの方と関わることが「自分の中にある弱さ」を見つめることのような気がして避けていたのかもしれない、ということに気がついた。いろんな背景があって、依存症になったり犯罪に走ったりしていたおっちゃんもたくさんいた。だけど、自分も状況が整えばいつでもどうにでもなりうる。そんなことを考えることは、怖いことだと思う。だから避けたい。そういう心理が自分にあったように思う。

今回、たくさんの方(ホームレスを経験した方)と一日中関わらせてもらって「個人」を知ることができたように思う。それが結果として、ぼくの抱いていた「ホームレス像」を変化させてくれた。視点が変わった。本当に貴重な経験であった。

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絆は傷を含んでいる、と言ったのは奥田知志さんだった。ぼくはその言葉に触れてしびれた。そうだ、絆というのは美しいばかりの言葉じゃない。そして、絆を結ぼうなどと大きな物語として語られるものでもない。絆の中にはドロドロとした人間の汚さや弱さがある。それでも、いや、それだからこそ人間は絆を結んでいく。面倒で、大変で、やめてしまいたい関係性をそれでもつくっていく。つながり続けていく。絆とはそういうことだったのかもしれない。

絆(きずな)は、絆(ほだし)とも読む。ほだしは、足かせや自由を妨げるもの、の意味がある。


人を生かすのも殺すのも、また絆なのだろうか。


最後に、NPO法人抱樸さんが運営する「抱樸館」(無料低額宿泊所)に書かれている、抱樸館創立の由来文を引用して終わりたい。

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みんな抱(いだ)かれていた。眠っているに過ぎなかった。泣いていただけだった。これといった特技もなく力もなかった。重みのままに身を委ね、ただ抱かれていた。

それでよかった。人は、そうしてはじまったのだ。ここは再びはじまる場所。傷つき、疲れた人々が今一度抱かれる場所 - 抱樸館。

人生の旅の終わり。人は同じところへ戻ってくる。抱かれる場所へ。人は、最期に誰かに抱かれて逝かねばなるまい。

ここは終焉の地。人がはじめにもどる地 - 抱樸館。

「素を見し樸を抱き」-老子の言葉。「樸(ぼく)」は荒木(あらき)。すなわち原木の意。「抱樸」とは、原木・荒木を抱きとめること。抱樸館は原木を抱き合う人々の家。

山から伐り出された原木は不格好で、そのままではとても使えそうにない。だが荒木が捨て置かれず抱かれる時、希望の光は再び宿る。

抱かれた原木・樸は、やがて柱となり、梁となり、家具となり、人の住処となる。杖となり、楯となり、道具となって誰かの助けとなる。芸術品になり、楽器となって人をなごませる。

原木・樸はそんな可能性を備えている。まだ見ぬ事実を見る者は、今日、樸を抱き続ける。抱かれた樸が明日の自分を夢見る。

しかし樸は、荒木である故に少々持ちにくく扱い辛くもある。時にはささくれ立ち、棘とげしい。

そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。

樸のために誰かが血を流す時、樸はいやされる。その時、樸は新しい可能性を体現する者となる。私のために傷つき血を流してくれるあなたは、私のホームだ。

樸を抱く―「抱樸」こそが、今日の世界が失いつつある「ホーム」を創ることとなる。

ホームを失ったあらゆる人々に今呼びかける。「ここにホームがある。ここに抱樸館がある」。


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