私が退職する理由

職場の方に私のtwitterのアカウントが知られてしまい退職することがバレてしまったのですが、みんなに説明するのが少し面倒なのでいっそここに退職に至る流れを書いて、気になってアカウントみた人が「そう言うことだったんだ〜」って完結してもらえる様に、ここにその経緯を書き記したいと思います。

私は7月より神奈川県の訪問看護ステーションに転職することとなりました。

〜始まりは婚約破棄から〜

私は2018年9月に当時婚約していた婚約者に婚約破棄を食らうという人生でもなかなかのイベントを体験しました。

なぜ婚約破棄になったのかまではここには書きませんが、単にお互いの結婚に対する意識の相違だと思います。

プロポーズをした時は、このまま一生今の病院で働いて、ここ福井を終の住処にしようと思っていました。

しかし婚約破棄となった時点で、自分には何にも無いな〜これからどうしよう、と考えていた時、自分がやりたかったことをやればいいじゃないかと思い至ったわけです。

忘れかけていた自分がやりたかったこと、それは

「自分で訪問看護ステーションを経営する」

ということでした。

訪問看護師をする、ではなく、経営です。

しかし私はただの看護師、看護師は訪問看護ステーションの管理者となれることは看護師なら知っている人も多いかと思いますが、経営するとなると少し話が変わってきます。経営者なら看護師じゃなくてもできます。実際多くの訪問看護ステーションは看護師ではない人や企業が経営をしています。

看護師として訪問看護ステーションの看護管理者になるのはそれほど難しいことではありません、訪問看護ステーションに就職してそこで頑張っていれば自ずと管理者の道は開けるからです。

経営者になるということと訪問看護ステーションの管理者になるということは思っている以上に大きな違いがあります。もちろん私は経営の勉強などしてこなかったので、今のままでは経営など夢のまた夢なのです。

実際訪問看護ステーションの経営というのはそう簡単なものでは無く、平成28年度のデータでは、この年

訪問看護ステーション数:9,070事業所

新規開業数:1,234事業所

廃止数:462事業所

休止数:224事業所

と実に新規で開かれるステーションが多くあるのに対してその半数近くの数のステーションが廃止・休止に追いやられている事実があるのです。

理由はその新規参入のハードルの低さが大きく影響しています。訪問看護事業所は看護師常勤換算2.5人いればそのへんのアパート借りて開業できてしまうので、簡単に開いたのはいいのに、人材の確保や利用者の確保がうまくいかずに続かないというケースが多く見られます。

つまり私みたいに

なんの実績も知識も無いのにとりあえず看護師で経営できるなら開いちゃおうなんて思って事業を開いても生き残れる確率は極めて低いのです( ;∀;)

〜目標達成のためにいろんな人に話を聞いて回る日々〜

自分は素人ですし、とりあえずいろんな人に話を聞いて回りました。

・男性看護師で訪問看護ステーションを開いた人に話を聞きに行ったり

・福井の訪問診療の第一人者である紅谷浩之先生に突撃して話を聞いたり

・県庁の介護保険事業の担当部署に突撃(アポなし)して今の福井の訪問看護事業の実情やどのようなステーションが求められているのかを聞いたり。

ホント思いつく限りの行動をしていました、これが2018年の10月ごろの話です。

ちなみにこの頃師長さんにも相談しようとして面談を希望していましたが、3回くらい言って毎回適当にはぐらかされてしまっていたので相談するのをやめました。

そもそも病院側である師長さんに相談しても自分の求めている答えは教えてくれないと思ったのもあります。

なぜなら師長さんは看護師としてはプロ中のプロですが、訪問看護ステーションの経営者では無いからです。

相談する人を間違えるな、これは私が常々自分に言い聞かせていたことです。

人間正しい人に相談して、言われた通りに行動すれば大体うまくいきますからね。

~自分の目標も変わっていった~

ちなみに紅谷先生との話の中で、自分の目標自体も変わっていきました。

訪問看護ステーションを経営したいのは何故か、自分のミッションステートメントは何か、これを突き詰めた先には

「今後増える在宅の看取りに対応するために、患者さんが安心して最期まで住み慣れた家で過ごせるようにしたい。」

これが目標だと認識させられました。

訪問看護ステーションの経営は目的ではなくあくまで目的を叶えるための手段でしかないわけです。

自分が経営者となれば、目標に繋がるために色々とやりたいことが出来る可能性が広がる、訪問看護はその手段のひとつに過ぎないのです。

介護保険や医療保険も年々改訂がかかります。今の制度の中での在宅医療だけを見て訪問看護ステーション経営を目指すのは幸せじゃない。これは紅谷先生から言われて心に刺さった言葉でもあります。

訪問看護事業を収益のひとつにしながら、目標に繋がる色々な活動をしていきたいと思うようになっていきました。

〜上京するという選択肢が生まれる〜

なんで突然神奈川県となったのかというと、色々な人に相談している中で看護師として訪問看護ステーションの経営を目指すなら、まずは頑張って看護管理者を目指すべきという統一された答えがあったことが1つです。

しかし、福井で看護管理者を目指すとなると、たかだか看護師歴3年の私が管理者になるにはかなり時間がかかってしまいます。

福井は訪問看護ステーションの事業所数自体が多くありませんし、どこの訪問看護ステーションも長く訪問看護を経験していたり、そもそも病棟での看護師歴の長い人が管理者をしているケースが多かったので、その席を奪うためには時間がかかりそうだと思いました。

そんな中でとある人から言われたのが「都会の看護ステーションなら場所によっては結構早く管理者になれるかもしれないよ」という言葉です。

都会の訪問看護ステーションは福井のような地方の看護ステーションと違いドミナント経営というコンビニのようにある地方に集中して事業所を展開する戦略が取られています。

福井は基本的に一つの事業所から車でかなり広い範囲を回るのでサテライト事業所があってもせいぜい2〜3箇所くらいですが、東京では多いところなら30箇所以上の事業所を開いている企業もあります。それら全てに管理者がいるので、それだけ管理者数も多いということになるのです。

特に訪問看護ステーションを開いて間もない事業所であれば、早ければ2〜3年で管理者を任せられるケースも多くあるということでした。

私は末っ子ですし結婚もしてないので、別に福井に留まっていないといけない理由も無いですし、全然ありな選択肢だと感じたのです。

また学会や研修なども地方に比べると圧倒的に多くて看護師としてのスキルアップをするのにも有利ですしね。

〜家族のこともあった〜

あと家族のことも一つ大きな理由としてあります。これをここに書くのもどうかと思ったのですが、うちの両親は籍こそ抜いていないけどもう10年近く生活を共にしていません。元々父は兄貴夫婦が、母は私が将来の面倒をみるという話になっていたのですが、東京にいる姉貴夫婦が待機児童問題で子供の面倒を見て欲しいという理由で母は2年ほど前から姉貴夫婦と東京で生活しています。

ただ姉は嫁入りしている身なので、いつまでも姉貴夫婦のところに母がいるのは難しい訳ですし、母の面倒をずっと見させる訳にも行かないとも思い、なるべく近くにいてあげたいという気持ちがあったのも大きな理由です。

〜転職サイトの利用と大きな巡り会い〜

そういう理由で私は自分の目指すべき転職先として

・東京近郊の

・割と立ち上げて間もない事業所で

・経営の勉強もさせてくれそうなところ

を探して見ようと思いましたが、もちろんそんな自分にぴったりの職場を福井から自力で探すのはほぼ不可能だと思ったので、あまり気は進みませんでしたが転職サイトに登録して転職先を探してもらいました。

2018年10月に相談をして、転職先候補を5箇所ピックアップしてもらい、スケジュールも合わせて12月に1週間の休みをもらって面接をしに行きました。

正直この時東京で転職するかどうかは五分五分くらいの気持ちでした。まずはどんなところがあるのかを知りたいというくらいの気持ちで話を進めていました。

この5社のうち内定を3社からいただけました、うち1社は自分が初めから第一志望していたところで自分の目的に合った場所だったのでそこに決めようと思っていました。

しかし結果としてこの全ての内定を蹴ることになります。

そしてそれまで頑張って動いていただいていた転職サイトさんの利用もここで終了させていただきました。これに関しては当時の担当者さんには申し訳ない気持ちです。

〜運命に乗っかってみようと思った〜

内定を蹴った理由を話す前に話しておかないといけないことがあります。

面接に並行して、実はもう一つ東京で別の目的がありました。

それはクラウドファウンディングで投資した看護師のための場所作りをしている看護師さんと会うということです。

この頃自分のブログの収益を増やすためにtwitterで看護師のアカウントをフォローしまくっていたのですが、その中でたまたま見つけたのが

とある看護師コミュニティの立ち上げのためのクラウドファウンディング

でした。

詳細はここではあまり書きませんが、簡単に言うと

・看護師の働き方の多様性を伝えたい

・病棟でツラいツラい言っている人に他の可能性もあると知ってもらい、看護師という仕事をもっと好きになってほしい

・様々な働き方をしている看護師の集まれる場を作って情報共有ができる場、居場所を作りたい。

という目的で投資を募っていたの二人の看護師さんのことを知って、私はなんて素晴らしいことをしているんだろうと間髪入れず1万円を入金しました。

結果としてこのクラウドファウンディングは目標金額に達し、投資者に達成のリターンしていたのですが、福井に住んでいる私にはあまり実益のあるリターンはありませんでした。

そこで、リターン要らないんでよければ今度東京に行く時に会ってお話しだけでも聞かせてもらえませんか、と提案したところ、快く了承していただけました。

実際こんな行動的な看護師さんってどんな人なんだろうと言う興味が大きかったですし、そんな方と知り合いになれるだけでも十分なリターンだと思ったからです。

そして東京での面接が終わった日の夜、このお二人とお会いしてお話をさせていただくことになりました。

実際このお二人は本当にすごいなと思いましたし、知り合えて本当によかったと思えるような人でした。福井ではまずこんな看護師さんには会えないと思います。

その際、その日たまたま看護師の集まりがあるからよければ来ないかと言われ、そしてそこに東京の訪問看護にめちゃめちゃ精通している人がいるから紹介するよと言われたのです。

東京で訪問看護するなら会っておいて絶対損はないよと。

そこで紹介していただいた方、実は、私がtwitterでフォローしまくっていた看護師さんの中の一人で、

「へーこの人すごいなぁ、こんな人になれたらいいなぁ。」

と思ってツイートを見ていた人でした。

他にもそこの集まりには同じように私がフォローしていた面白い活動をしている看護師さんが3人ほどいて、「え〜あの人!!!?」みたいな話になったのを覚えています。この時なんだかすごく感動していました。

そしてその方に就職先について相談すると

・今面接した会社の裏話や

・もっと自分に合ったところを紹介できるということや

・転職サイトは使わない方がいい理由など

を聞き、めちゃめちゃ心が揺れました。

その方は面接した企業の社長さんとラインでメッセージのやり取りをしちゃうほどの人でしたし、めちゃめちゃ凄そうな人でしたが(実際後からわかったのですが本当にすごい人です。)

当時の私からしたら、ここ2ヶ月間かけて転職サイトのエージェントさんと相談して計画も立てて5社面接までしてさぁここにするかとまで決めていた時に、

突然紹介された黒ずくめの人の言うことを鵜呑みにして面接を蹴るか否かという判断をしないといけなくなったわけです。

ホントこの時はめちゃめちゃ悩みました。

もしかしたら自分はとんでもない過ちを犯しているのかもしれないとも思ったのですが、ブログを頑張ろうとして始めたツイッターから驚くような出会いもあり、自分が応援したいと思えた看護師さんがすごい人を紹介してくれていいところを紹介してくれると言う、なんだか信じられないような流れをなんだか運命のようにも感じて、運命に乗っかってみようと思い内定を蹴ることになったのです。

〜結果として信じて本当によかった〜

この人を信じようと決めて、その後いくつか候補を探しておくから2月くらいにまた上京してきてよ、という話になりました。

そして転職サイトさんにはごめんなさいの電話をしました。直前まで就職する前提で話をしていたので、一体どうしたのって反応でした。本当にこればっかりはごめんなさいとしか言えません。

そして私の条件に合いそうなところを3社ピックアップしてもらい、2月にまた上京しました。

結果として、この3社はどの会社も本当に本当に私の希望にピッタリすぎて、このとき本当に信じて良かったと心から思いました。

転職サイトがダメだとは言いませんが

・転職サイトのエージェントは看護師では無い

・転職サイトに依頼できる会社は体力のある会社に限られているので、始めて間もない会社を探すのは難しい。

というデメリットを本当にいい会社を紹介されて気付いた感じです。

大きくて経営の安定している企業を選びたいなら全然転職サイトを利用してもいいとは思いますが、私の場合はそうではなかったのです。

3社とも本当に魅力的だったのですが、住む場所なども考慮して2社に絞り、この2社さんからは「来月くらいにご飯でも行こうよ」とか「一回訪問についてきてみてよ」と言われたので翌月の3月にまた上京して色々お話させていただき、最終的に神奈川にある設立4年目の訪問看護ステーションに就職の内定をいただくことになりました。

ここの社長さんは私のやりたいことを汲み取ってくれて、将来地元に戻って起業したいという私を応援してくれるとまで行ってもらえました。

人間性にも大きく引かれ、この人についていけばきっと自分の夢に必ず近づけると思い、ここで働かせてもらいたいと伝えました。

この頃は2連休で東京に行ったりしてたので夜行バスで東京行って1日で話聞いてその日の夜に夜行バスで帰って朝から仕事行くとかしていたのでめちゃめちゃしんどかったですが、一歩ずつ自分の夢に向かって進んでいる感じがして本当にワクワクしながら毎日を過ごしていた覚えがあります。

〜更に決定打になった異動の話〜

ちょうどこの頃、2月の末にそんな状況だとも知らない師長より

「異動です、3月末に」

と肩を叩かれました。

異動先は希望していなかった内視鏡センターでした。

正直この時はかなり転職の気持ちが強かったのですが、まだ100%転職するとは決めていたわけではありませんでした。

理由は簡単です。

今の職場が最高に好きだったからです。

患者さんとの関わりも好きだったし、何より一緒に働いている人たちが好きでした。

もちろん全員とは言いませんし嫌いな奴もいましたが、男の看護師も多くて付き合いもよかったですし、本当に優しくていい人が多かったのです。

このままの職場ならここで一生働いててもいいなって思えていました。本当に働くのが楽しかったんです。

でも異動になると言われ、その瞬間に自分の心は決まりました。

病棟への異動ならまだしも、自分の希望していなかった外来部門、あれだけ嫌だって言っといたのに。

「組織である以上は飲み込まないと行けないよ」

と師長に言われた時、このままこの職場にいても、自分の描く未来への目標へは向かって行けないと思いました。

大きい病院にとって看護師は結局1つの駒に過ぎないんだな、と。

次の日師長に「異動嫌なんで辞めます、辞め方教えてください。」と伝えました。

結果として師長が気持ちを汲み取ってくれて異動の話は一旦保留、その後看護部長と話をして退職が受理されました。

結果として辞める6月末まで大好きな今の病棟にいれることになったので、そこは本当に師長と看護部長に感謝しています。

〜最後に同じ職場の皆様へ〜

この文章は他でも無い職場のみんなへ向けて書いています。

ただ誰がtwitterのアカウントを知っているかも分かりませんので誰がこの文章を見ているのかも分かりませんし自分から見てと言うつもりもありません。

本当に楽しかったです、みなさんと仕事が出来たこと、この職場に入れたことは本当に幸せだったと思います。

先輩も後輩もいい人ばかりでした、お局さんポジションの人も面白い人多かったです。

みなさんは俺のことどう思っているかは分かりません、けど俺はみんな好きでした(一人除いて。。。)

一応10年程度あっちで頑張って、40歳くらいまでには福井に帰ってきて福井で訪問看護ステーション(と言うか訪問看護ステーションに限らず福井の地域医療福祉に関わる事業をしたいんですけど)を必ず立ち上げます。

あいつちゃんと頑張ってたんだなって思ってもらえるようにして恥ずかしく無い姿で帰ってきます。

もしその時に会うことが出来たら声をかけて欲しいと思います。僕も必ず声をかけますので。

すごく長くなりましたが、こんな自分のためにクソ長い文章を最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

本当にみなさんに感謝しかありません。残りあと1ヶ月半ほどですが、立つ鳥あとを濁さずを目指して頑張りますので、いつもの様に相手をしていただけたらそれ以上のことはありません。

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