見出し画像

■必死に生きる【第ニ話】

■喘息持ちの方、もしくは喘息を患っているお子さんのご両親の方へお伝えしたいメッセージ

 幼少期の私は、とにかく発作がとても辛くて、情けなくなり、よく泣いていました。友達と同じように遊んでるだけなのに、すぐに発作が起きる。そして、数日間夜も眠れないほど、発作に苦しむのです。特に夜間の発作が酷かったため、明け方まで苦しみ、明け方から寝付くわけです。ですから、小学校に行けるわけがありません。そんな日々を繰り返すのです。日中、両親は勤めに行ってますから、基本的に私は一人です。しかし、特に発作が酷い時は通院か、お医者様に訪問問診をお願いしなくてはいけないため、母親は仕事を休んでくれました。この時ばかりは、孤独感がかなり薄れます。そして、母親に甘えるわけです。とても幸せな瞬間です。昼過ぎの3時頃になると、小学校の友達が学校の給食のパンと牛乳、そして宿題のプリントなどを持ってきてくれていました。ちょうど、昼食後の薬の作用でぐっすり眠っている時間です。私の場合、一週間の内、2日くらいしか登校できませんでした。お医者様がおっしゃるには、病院に入院するレベルとのことでした。私は入院を頑なに拒否し続けました。喘息は孤独感を招く病院です。入院なんてしたら、さらに孤独感が強くなり、私自身、想像するのも恐ろしく感じたことを思い出します。その時代には、喘息の発作がある子供たちが通常の生活をしながら共同生活をする施設がありました。親元から離れて、同じ喘息持ちの仲間たちと喘息に負けない強い体力を付けて喘息を自然治癒することを目的とした施設があり、お医者様がすすめてくれたことを覚えています。その施設で頑張っている同世代の子供たち。親元から離れて喘息と戦っている。そんな話を聞いた頃から、「僕も喘息治したい。」そんな前向きな気持ちが芽生えてきたのが、小学校3年生くらいだったのです。 しかし、小学校3年生の夏、私の人生においてもっとも波乱な出来事が起きるのです。周囲の誰もが想像すらできなかった、その波乱な出来事がその後の私自身の人生を大きく変えました。 第3話に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?