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■必死に生きる【第三話】

■喘息持ちの方、もしくは喘息を患っているお子さんのご両親の方へお伝えしたいメッセージ

 小学校3年生の夏、それは昨年の夏とも、さほど変わらない、毎年同じように迎える平凡な夏になるものと信じていました。この大きな出来事が起きるまでは。喘息を治したいと少し前向きな気持ちが芽生え始め、学校の担任の先生からの勧めで、スポーツ少年団に入団することになり、ソフトボールとバレーボールを放課後に毎日やることになりました。喘息の発作が起ないように参加する時間帯を調整するなどの工夫をしながら初めてスポーツに打ち込むことができたのです。補欠ではあったものの試合にも出してもらったりと、充実した学生時代を過ごすことができたことは、私の人生においてとても貴重なことでした。スポーツにも慣れてきた頃、小学校3年生の夏、「そういえば、最近ズボンのベルトが閉まらなくなってきた。」と母親に打ち明けたことを覚えているが、それ以降のことを覚えていないのか、殆どを思い出せない。それは、このあと起きる大きな出来事が原因だ。 そして、私の人生においてもっとも波乱な出来事が起きるのです。周囲の誰もが想像すらできなかった。
 私は、骨肉腫という、骨の中に出来るガンになった(私の場合、右足の付根部に発症)。そして、腹部が異様なまでに腫れてきた。当時は、この病気になるとほとんどの場合足を切断するか最悪の場合、命を失うことになる重い病気であった。私は、わずか10歳で命を終える危機に直面した。「私はどこまで病気に悩まされるのか。」喘息、そして骨肉腫にまでも、患ってしまった。そして、お医者様からは、ガン告知をされ、「右足を切断する可能性が高い」と告げられた。

第4話に続く

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