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袖振り合うも多生の縁

仕事帰りにスーパーに寄った。
かごから袋に詰める台の真上の照明がいつもより明るい。
色も青白くなってよりまぶしかった。
電球入れ替えたのかな?なんて思いながらかごの中身をエコバッグに詰めていたら、となりに来たおばさんが私と同じように照明の明るさに気づき、なにやら言いたそうな顔をしていたのでじっと見た。
「なんかいつもとちがうねぇ」とおばさんは言う。
照明の明るさがちげぇわなきっと電球を入れ替えたんだろうなと言いたかったが疲れていたので「ねぇ~」と答えるにとどめた。

関西だけだろうか。
このようにたまたま居合わせた人と何気ない会話をすることはよくある。
スーパーの果物をながめていたらおじさんに突然「ぶどう高いなぁ」と言われ「マンゴーなんか三千円すよ!」と答え『ガハハハハハ』と二人で笑い合ったりするのだ。


娘がまだベビーカーに乗っていて、息子がまだこの世に登場していなかったころ、洗濯機が突然壊れ買いに行った。
自動販売機で買ったジュースを娘に飲ませていたら、きれいな身なりのおばあさんに話しかけられた。
娘のことを可愛いねと褒めてくれ、娘がジュースを飲んでいるあいだ他愛もない話をした。
おばあさんは持っていた高級なお菓子をくれるという。
断ったが、「わたしが食べるよりあなたのお子さんに食べてほしくなったの」などと言うので頂くことにした。
「なんにもお返しできずすみません」というと、おばあさんが「お茶しにいくのは無理かしら?」という。

洗濯機を買う以外とくに予定もなかったので、ご一緒することにした。
近くのカフェに入り私はカフェオレ、娘はさっきジュースを飲んだばかりだったので持ち帰れるパックのリンゴジュースを頼んだ。
おばあさんは一人暮らし。
正月に孫(成人済み男性)がひさしぶりに会いに来てくれるというので、料亭で注文したお重に入ったおせちやご馳走をたくさん用意して楽しみに待った。
なのに孫から前日急に来れなくなったと連絡があったという。
高級料亭のおせちはとてもじゃないけどひとりで食べきれる量ではなかったので泣く泣く捨てたらしい。
とうに冬は終わった季節だったが、そのことが悲しいままでずっと誰かに話したかったのだという。

会計はおばあさんが払ってくれた。
連絡先を交換するでもなく別れようとしたので「お名前だけでもお伺いしていいですか?」とわたしが尋ねると苗字を教えてくれた。
それ以上は聞いてくれるなという顔をしていた。
だからわたしはそれ以上なにも言わなかったし名前も忘れてしまった。
おばあさんは元気だろうか。

それからそのおばあさんに会うことはなかったし、もしどこかですれ違っていても気づかないでいるだろうと思う。
それでもわたしにはそのときの、おばあさんが広い部屋でひとり悲しく食べたおせちを一緒に味わったような記憶が残っている。


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