誰かに、伝えたい。
伊集院静さんの『許す力』というエッセイ集を読んでいる。
この中に、「京都の競輪場で出会った、ヤンという男の話」が出てくるのだが、それを読んでいて、「ものを書く意味」みたいなものを、考えずにはいられなかった。
ネットでものを書くことに対して、「素人なんだから、何を書いても自由だろ」などと言う人がいる。
それは、たしかにそうだし、他人が書くものを制限する権利も意思も僕にはない。
ただ、そういう人が書いているものが、往々にして、他者の顔色をうかがいすぎているもののように感じられることがあるのだ。
僕自身は、誰かに伝えたいこと、自分が死ぬ前に言い遺しておきたいことを書きたいと思っている。
それは、誰かから伝えられたこと、でもある。
そんな重い話じゃない。ただ、「読者」の顔色をうかがって、ウケそうなものを書くよりも、僕が書くべきことを書いて、それを受け取ってくれる人が、ひとりでもいてくれたらありがたい、ただ、それだけのことだ。
いや、誰も受け取ってくれなくてもいい。褒めてくれなくてもいい。
それでも、伝えたいことを瓶に入れて、海に流し続ける。
そんなことを書きつつ、やっぱり「伝わってますよ」って、誰かに言ってほしい自分も、いるのだけれども。
お金を稼ぐことが最大の目的の人は「稼げる文章」を書けばいい。
それはそれで、簡単なことじゃないだろうけど。
僕は僕にしか書けないこと、自分が経験してきたことを、稼げなくても書きたい。
誰かに、伝えたい。
お金にならなくても(いや、お金にならないようなものだからこそ)、自分でネットの海に流して、多くの人に読んでもらうことができるようになったのは、「伝えたい人間」にとって、すばらしい変化なのだ。
そのありがたさを、忘れないようにしたいと思う。
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