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2019年は僕にとって「お金」の年だった。


 2019年もあと1時間くらい。『紅白歌合戦』をチラ見しつつこれを書いています。「誰か倒れるんじゃないか」と見てしまう欅坂とか、けん玉チャレンジのBGMとして毎年使われている人とか、中島みゆきさんの『糸』を歌わされる人とか、本人たちはどんな気持ちなんだろうなあ、それでもやっぱり『紅白』に出たいのかなあ、なんて思うわけです。僕は毎年「音楽」というものを聞かなくなっていて、『紅白』で聞く曲のうち半分くらいは、「はじめて耳にするもの」なんですよね。

 さて、2019年なのですが、個人的には、仕事は順調というか、なんとか大過なく1年過ごして給料もらえた、というところで、私生活も、大きな変化もなく過ぎていきました。まあ、よかったのではなかろうか。そうそう、降圧薬と胃薬を定期で飲むようになりました。3年前に回転性めまいを発症し、1週間ほど寝込んでしまって以来、自分の健康に自信がない。いや、自信がある人のほうが少ないんだろうけどさ。最近はアルコールは2〜3ヵ月に1回飲む程度で、野菜をけっこう食べています。あとは運動なのだが、リングフィット・アドベンチャーは売り切れでなかなか買えません。

 生きるっていうのは、なかなか難儀なものではありますね本当に。

 まあでも、若い頃よりは、「消えてしまいたい」なんて思わなくはなりました。今くらいの自信と開き直りが20歳くらいのときにあれば、また違った人生があったのではなかろうか。ないかやっぱり。

 2019年、僕にとっての大きな変化は、この年齢(40代後半)になって、株をはじめて、「経済」というものをあらためて勉強しはじめたことでした。医者の家に生まれて、紆余曲折ありながら自分も医者になってしまった僕にとっては、お金というのは、普通に働いていればそれなりにあるものだし、カネカネ言うのは人としてみっともない、と思っていたのです。「医は算術なり」なんてしたり顔で言われると、「何言ってんだよ!」ってムカついていましたし。正直、僕が欲しいものって、本とかゲームとかパソコンとかで、キャバクラで散財したいともブランドもので自分を飾りたいとかクルーザーに乗りたいとも思わない。田舎暮らしなのでタワーマンションも買わなくていい。どちらかというと、なんだか人生に波風を立てたくて、株を買ってみたのです。株なら、現物でやれば、そんなに大負けもしないだろうし、競馬みたいに、外れたらいきなりゼロにもならないし。

 しかし、株というのはものすごく難しかった。というか、わけがわからなかった。株価の上がり下がり、というのは、僕の予想を裏切りまくりです。決算の数字が良くて、「これは上がるな」と思うと「それはもう株価に織り込み済み」とかで、急落していくことがあるし、決算が悪くて、こりゃダメだ、と思ったら「悪材料出尽くし」とかいって株価が上がる。ニュースとかで「これは、この企業の株が上がるぞ」と株価を確認したときには、もう上がり尽くしていて、みんなが利益を確定しており、株価が停滞したり下がっていったりするフェーズに入っている。ものすごい勢いで上がっていって、ストップ高間違いなし!のはずだったのに、ストップ高の直前で突然反転して、ドスーン、という音がしそうな急落をみせ、むしろスタート時よりマイナスになっていく。株価は、人の行動は(あるいは、機関のプログラムなのか?)本当にわからない。わかるのは、僕が買った株は下がり、売った株は上がる、ということだけ。

 それでも、2019年は、日経平均の株価が20%くらい上がったらしくて、投資をやっている人にとっては、かなり「いい年」だったみたいです。こうして愚痴っている僕も、思い通りにはいかなかったけれど、少しはプラスになりました。しかし、僕が日頃みている身のまわりの日本の経済、というか、人々の暮らしぶりは「景気が良くなっている」ようには見えない。にもかかわらず、株価はぐんぐん上がっていく。これは、「バブル」ってやつなのか?でも、バブルって、1万円札を振ってタクシー停めるような世界だったよね。さすがにそんな感じはしない。東京ではそうなのか? ほとんどの人が「好景気」を実感していないのに、株価は上がり、お金を持っている人たちのところに、さらにお金が集まっていく。人口が減っていく日本が、このまま経済的に右肩上がりであり続けることができるのか。東京オリンピックが終われば、このミニバブルは弾けてしまうのだろうか。人口が減っていく社会では、不動産はどんどん余っていくのが当たり前だよね。そもそも、タワーマンションって、垂直方向や敷地内での移動距離が長いので、駅に近くてもそんなに便利とは言い難いのではなかろうか。住んだことないから、想像で言っているだけなのだが。AIやプログラムでさまざまな取引が行われるようになり、人間はもう、太刀打ち出来なくなっているのではなかろうか。最近は競馬をやっていても、締切直前のオッズと確定オッズがあまりに違うことに驚かされます。たぶん、締切ギリギリにプログラムなどから大口の「買い」が入るのでしょうけど、大概、的中馬券のオッズは僕が買ったときよりも大きく下がっていてがっかりする。仕組みからすれば「確定してみたらこんなに配当が上がっていた!」ってこともあって良いはずなのに、やつらは馬券がうますぎる。いろんなことがAIで予想されるようになってきているのですが、どんどん予想が立てられるタイミングが早くなってきている。人が生まれた時点で、その一生がAIで99%くらいの確率で予想され尽くしてしまう時代も、そんなに遠くないのかもしれない。ネットでさまざまな情報が一気に拡散されるようになったのだけれど、そのおかげで、「情報を早く知る優位性」みたいなものは、インサイダーでもないかぎり、ほとんど消失してしまっている。

 「経済」というものを考えれば考えるほど、人生って、結局、「何を買って(あるいは、何にお金を使って)、生きていくか」ではないか、と思えてくるのです。糸井重里さんが言っていたことは、正しかった。毎月、給料をもらって、いろんな支払いをして、トントンくらいの収支だと、「僕の人生というのは、税金と請求書を左から右に流すためだけのことではないのか」と、がっかりしてしまうことがあります。

 そういえば、父親が亡くなったとき、いろんな人がやってきて、いろんな請求書を持ってきたな。人が死んでも、借りた金は消えない。

 なんでこんなにみんな「お金がない」と言っているのに、株価は上がっているのか。老後のために2000万円必要、と言われて、他に思いつく方法もなく、やみくもに投資をしているからなのか、「お金をふやしたい」という望みだけが積み重なって、現実の経済とは乖離した「株高」を生み出しているのだとしたら、いつ大幅に株価が下落してもおかしくないはず。いや、いま投資をしている人たちで、イケイケドンドン、という気分の人はほとんどいないのではないか。いつ切れてもおかしくない蜘蛛の糸を、半信半疑で、「なんとか自分が登っているうちは切れないでくれ」と祈りつつ登っているのではないか。

 株や投資に関わっていると、世界情勢についても興味を持たざるをえない。アメリカと中国の貿易問題で、トランプ大統領のツイートひとつで、株価が大きく動くこともある。世界が平和であってほしい、僕のお金のためにも。

 その一方で、自分がそういう立場になってみると、こんな言葉が刺さるようにもなった。

「投資家というのは、大勢の社員がクビになると、『リストラで経営が効率化された!』と大喜びするような連中だ」

 世界は、綺麗事ばかりじゃない。世界を俯瞰しているつもりの人間は、自分もその世界の一員であることを、しばしば忘れてしまう。

 ネットでは、人は評論家になりやすい。だが、評論家のつもりで、本当はプレイヤーでもある自分にとって不利なルールを受け入れてしまうリスクは、知っておいたほうがいい。「人に迷惑をかけても良いじゃないか」という言葉に同調している人の多くは、「(自分には関係ない人が)迷惑をかけられてもいい」と思っているだけだ。

 想像力は大事だけれど、想像力は、人を迷宮におくりこんでしまうこともある。あまりに他者の立場を考え過ぎると、何も言えなくなる。

 僕は寿司屋の水槽で泳いでいる魚とか、焼肉屋の「モーたまらん旨さ」と呟いている牛の看板がずっと苦手だった。

 そんな人間でも、もう半世紀近く生きている。ネットでは、ものすごく強い人と、ものすごく弱い人が目立ちやすいのだけれど、僕は、その真ん中くらいで、たぶん、もうしばらく生きていく。

 2020年は、もう少しnoteで書いてみたいと思っています。

  


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