『僕のヒーローアカデミア』の「丸太」問題についての一考察

 この話を読んで、なんだかとてもモヤモヤした気持ちになっている。

 ネットでの反応のなかには「言いがかりだ」みたいなものも多々あるのだけれど、この「志賀丸太」というキャラクターは「人体実験などを行う悪役」なのだ。

 「731部隊では捕虜の中国人、朝鮮人、ロシア人などを『マルタ』の隠語で呼び、非人道的な人体実験を行っていた」という史実は日本でもかなり知られていると思うし(ただし、このマンガの作者が知っていたかどうかはわからない)、少なくとも、集英社の校正担当者や編集者が誰一人知らなかった、ということはありえないはずだ。

 僕個人の考えでしかないのだが、『ヒロアカ』の作者が悪意を持ってこの名前を付けたわけではない、とも思っている。

 子どもの頃や学生時代に聞いた731部隊の話が作者の記憶の片隅に残っていて、「人体実験」=「丸太」みたいな発想だったのではなかろうか。

 あるいは、「丸太」という言葉をキャラクター名として用いることによって、昔の日本軍が行っていた残虐行為について、若い読者に思い起こしてほしい、知るきっかけになってほしいと考えていたのではないか。

 本来、なんらかのメッセージや批評性は存在していて、まったくの偶然です、というのは、ちょっと苦しい。

 それでも、「悪意はなかった」というのを証明するのは難しいし、相手に「不快に感じるのはおかしい」とも言えないので、「気づかなかったことにして謝罪するのが最も波風が立たない方法」だという結論に達したのかもしれない。それはそれで、致し方ない判断ではある。

 僕は、この騒動で、こんな作品を思い出したんですよ。


原爆ドームの空に“ピカッ”で『Chim↑Pom─ひろしま展』中止となった問題を考える|Chim↑Pom卯城竜太氏、広島市現代美術館のコメント、そして19名のアンケート結果を掲載 - 骰子の眼 - webDICE

http://www.webdice.jp/dice/detail/1103/

 このパフォーマンス、広島に住んでいたことがある僕としては、「原爆を売名行為に利用するなよ!」という不快感はありました。
 ただ、やっていた人たちは、悪意からではなかったんですよね。

「問題提起」のつもりだった。
 それでも結局、これは大きな批判にさらされて、彼らが広島市現代美術館で開催予定だった展覧会が中止になったのです。

 もし、『ヒロアカ』で、人体実験の被験者の名前が「丸太」だったら、「加害者と被害者を勘違いさせるわけではない」から、批判されなかったのだろうか。

 それとも、「歴史的な悲劇(というか戦争犯罪、人道の罪です)」の犠牲になった人たちを加害者たちが蔑視してつけた呼び名を口にすることそのものが禁忌なのか。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の「加納クレタ・マルタ」姉妹も不謹慎なのか。

「尖ったアート」なら見逃され、あるいは評価されても、「みんなに愛されなければならない『週刊少年ジャンプ』のマンガだからダメ」だったのか。

 歴史的な悲劇は、悲しいBGMのもと、ドキュメンタリーで語られる以外の方法では、取り扱ってはいけないのか。

 そうやって忌避することは、忘却にしかつながらないような気もするし、その一方で、忘却したい、というのもまた事実ではあるのでしょう。

 被害を受けた側からすれば、「もう触れてほしくない」というのと、「忘れてほしくない」の両方の気持ちが入り乱れている。

 一昔前まで、海外の映画では「蘇ったヒトラー」とか「ナチスの残党」なんていうのが「悪役の定番」として登場していたけれど、ヨーロッパでは、「ヒトラーやナチスは悪役としてなら、エンターテインメント映画に出てきてもOK」なのだろうか。

 ああ、でも「アンネ」って名前の人が収容所で人体実験をやったり、虐殺を指揮したりする映画があれば、「それはひどい」って僕も思う。「丸太」は日本では一般名詞だけれど、海外からみれば「人体実験の被害者を指す、『名前で呼ばれることすらなかった人たち』のこと」なのだろうし。

 今回のキャラクター名に関して、僕は「改名は妥当だ」と考えている。あえてこの名前にした、という作者の意思表示が無いのなら、なおさらのことです。でも、これをきっかけに、どんどん「連想型不謹慎」探しがエスカレートしていって、「戦争に関して語ることそのものがリスク」あるいは「紋切り型の悲劇的な語りしか許されない」というふうになっていくのは、好ましくないことだな、と危惧してもいるのです。

 「名前」って、本当に大事なんだよね。人は誰かの「人格」を奪おうとするとき、まず、その「名前」を奪い、番号や役職で呼ぶようになるから。

 もし、キャラクター名に込めた想いがあったのであれば、『ヒロアカ』の物語のなかで、それを活かしてほしいと僕は思っています。



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