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川の足跡

今の土木工事はいろんな構造物を作っていて、なかなか凄いものがあるけれど、昔の人たちはそのスケールが凄いと思います。特に川に関しては面白いと思います。
車や鉄道が無い時代、川は物流のインフラとして活用されてきました。でも、川が氾濫すると周辺地域が被災したり、『まち』の分断要素にもなっていました。昔の人はそんな川を埋めたり、掘ったりしながらいろいろ付け変えていたようです。

例えば、神戸では湊川や生田川がそれになります。

昔の湊川は今の新開地商店街になっています。地図をよく見ると道路が川っぽく見えます。特にJR付近は河口っぽいですよね。そして、僕が注目してほしいのは『福原』です。男の殿堂だから注目してくれ!という下世話な話ではなく、道路の『角度』なんです。よく見ると周囲と違いますよね。

これってどういうことかというと、昔の湊川はまちの郊外にあって、その川沿いに遊郭として福原ができました。だから福原は商店街と平行に道路が出来ているんです。でも、東からの開発が進展してきて周囲が開発されたとき、周囲は幹線道路などを基本とした道路線形を取ったために福原だけが違った形で取り残されたようになったそうです。また、湊川は河川の氾濫などから埋め立てられ西側に開削されました。

まあ、ここまではネットで調べればある程度分かる事かな~と思います。で、実際に行ってみると商店街周辺だけが周囲より小高くなっています。この辺が、堤防の名残なのかな~なんて思わせますよね。

書きながら思い出しましたが、姫路の外堀川も人工河川です。今の姫路城を作った池田輝政が姫路城下と播磨灘を繋ぐためにつくりました。だから川が直線なんです。そして、掘った土は土提として周囲に積み上げられていましたが、山陽電鉄を通すときに大量の土が必要となったので、大部分がそちらに持っていかれたようです。ただ、市役所の東側にある庄田天満神社は土提の上に建っていたので、周囲は近隣より小高く昔の名残を感じることが出来ます。

そんな、歴史に触れながら『まち』を歩くのも面白いな~と思います。

そして、宣伝ぽいですが、庄田天満神社の近くの公園でゴールデンウィークにワイン会をします。気持ちよく外で飲みたい方、よかったらどうぞ~

全部で946文字でした。(タイトル除く)

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