わくわくさん。

「いちばんになりたい」

ひたすらにそれに向かって走り続けた約三ヶ月。
できることを全部やる。できないことも全部やる。
生き急ぎ、泥を喰らって前のめりに倒れて三ヶ月。
みんなが口を揃えて「いちばんだ」と言ってくれ、本人も「伝わったと思う」と感じた二日間でした。本当に感謝でいっぱいです。



7年前、2017年3月25日(土)に開催されたオーディションに登場したその人の第一印象は『首ながっ』『デコひろっ』(骨格がいいと褒めています)『めっちゃ震えてるやん』でした。「当時うちに所属していた高校の先輩に憧れてて、お近づきになりたい。」とか「元々アイドルが好きで」とか。

動機。めっちゃ普通。不純すぎるくらい普通。

「普通の人きたー!」と思いました。が、応募要項は白紙。この辺の矛盾さが面白かったのを覚えています。『すごくちゃんとした正論言うけど、時折り信じられないくらい雑』そういう人です。たぶん今も。
でも(でも?)すごい普通な感じなのに目が「アイドルやるからにはやるんだ」という感じがしてたんですよね。その辺が『決めたからにはやる』という親譲り(かどうか知りませんが)の頑固さは昔からそうだったのかもしれません。

メンバーになった人達にはだいたい当て書きでストーリーを作ります。
《きっとこう云う性格だろうから、入ってからこう云うコトを言い出して…それがこうなって…、ああなって。そう云う人たちが集まってるから3年後くらいにこんな感じになるかなぁ》みたいな、僕だけが楽しむヤツです。ストーリーって言いましたがこれ、妄想ですね。怖。あんま外れません。怖。
全員に当て書いてるんですけど、わかだけは想像できなかったんですよね。これはハッキリ覚えてる。僕の27年間の人生のルート上にあまり存在しないスタイルの人。同じ系統は過去に1人だけいるんですが、はぐれメタルくらい出現しないのでまぁまぁのレアキャラです。これ、なんで出てこないかっていうと、たぶん『生き方』の問題だと思ってるんですが、生き方のベクトルが全然違うから(僕みたいなもんに)近寄ろうと思わないんだと良い風に解釈してます。だから、当時は本人的にも大冒険だったんじゃないかなぁと思います。聞いてないから知らんけど。

特典フォトブックのインタビューにもありますが、だから逆に「こういう人が大舞台の板の上に立った時に見る景色は一体どう云うものなのか」「その時一体なにを思うのか」という事にはすごいワクワクしたし「そこまでたどり着くといいなぁ」とも思ってました。これは後に当時のマネージャーにも言った「辞めなければ、わかがNUANCEの柱になる」と言った言葉(noteのどこかに書いてあるはず)にも繋がってます。この言葉はまだnuanceが始まって2年もしない時に話した会話なので、この物語自体もまだ全然序盤すぎて描き終わらないまま4月を迎えそうだと思っています。ジョバンニ。

『自我を出す』

これが、わかに必要だったキーワードだったと思っています。
基本的には「私のことは別にいい、他の人がそれでいいならそれ“が”いい」というタイプで冒頭の『雑』は『=自分事』に繋がります。
たぶん、この先の彼女の人生の中で《リーダー》を率先してやることはないと思います。社会の命令か、また僕みたいな人が現れて(かわいそう)唆されて気がついたらリーダーにさせられていた。みたいなことが無い限り。
むしろNo.2でNo.1をいい感じに調子に載せて自分の理想の流れに持って行かせるのが得意なタイプです。たぶん。だからここでリーダーを経験してもらいたくてリーダーに襲名しました。その方が余計にNo.1転がせやすいですからね。で、なったらなってしまったで、the責任感の人なのでこなすんですよねー。おもしろいんですよ(ひどい)。

ストーリーがある程度見えてる場合は、それに沿った経験を組んで落とし込むんですが、わかの場合は“どっちにも転ぶし、どっちにも転ばない”感じ(まぁ単純に嫌いなんだと思います)だったのでとりあえず《全部乗せ》しました。だからハマったコトもあれば「おおい!そっち行くんかい!」みたいなコトもありましたね(遠い目)。

新田が辞め、ポニテが抜け、新メンが入って、程なく王が退座。
新メンからの流れは怒涛すぎて削れていく心を見ないようにしながら必死に争っていたのではないでしょうか。「みんなが好きでいてくれるヌュアンスを好きでいてくれるにはどうしたらいいのか」と、この頃から二人で問答する時間が増えました。リーダーとして、誰よりもヌュアンスが好きな自信がある人がヌュアンスを守り続ける方法をひたすら模索していた時期です。
そして県民。集大成。全員がヌュアンスでいた事を届けるストーリー。

「やりきった、全部やった。」

と、言いました。多くの人がここがわかの最終地点だろうと思っていたと思います。わかも思っていたでしょうし、そういうつもりで望んでいたと思います。が、まだまだ終わりません。もちろん僕の中でも区切りとしての可能性は考えていました。しかし『自我を出す』という僕の個人的目標に届いていなかったし「いや、あんた全然出し切って無いやろ」と思っていたので。

そしてリキッドルームワンマンに繋がります。
あー。長文すぎてダルくなってきましたね。でも、ここで《続く》にすると一生書かないので、もうちょっと頑張ろう。

「リキッドに向けて頑張るぞー」の矢先にヒナが抜け城戸が入ります。またドタバタしてます(人生)。城戸の話はまた別に書くことがあれば書くので割愛しますが「なんかヌュアンスにいそう」っていうだけで歌もダンスもてんんで出来ない人を入れたのは僕なのに、歌もダンスも全然出来ない事にめっちゃ怒られる(僕に)のを皆んなで支え合うことで新しい一体感が生まれた感はあります。もちろん作戦通りです。ええ、もちろん。何を言っているんですか、作戦通りです。

で、確かそのあたりの時期に、いつものように二人で作戦会議(酒の場)をしていたら「ヌュアンスはこれから先も続けてほしい」みたいな話があって。僕的にも大学院を経て建築士二級の資格を持っているにも関わらず、このままそれを使わせないわけにはいかない、という変な親心もあり最終地点を見定めていた頃で(その辺のコトもnoteのどこかに書いてある)「だったらアナタが培ってきたヌュアンスイズムを皆に継承させるためにあと半年駆け抜けてくれまいか」とお願いしたのが多分リキッドのあとだった気がします。だから、あのリキッドが最終地点だろうと思った人もいるでしょう。あながち間違いではないです。

でもって「最後にどうありたい?」と尋ねた問いの答えが。


「いちばんになりたい」


です。自我です。
これを聞いた時、すごくホッとしたのを覚えています。
「やっとかよ」という気持ちと「よし、まかせろ」みたいな感覚。
たぶん、7年間在籍してて初めて僕に言った、自分の意思のもとに発した「わがまま」です。

ここからの空前絶後の日々は皆さんもご承知の通りです。
この半年間、特に残りの三ヶ月は「今のNUANCEめっちゃいい」という声もたくさんいただきました。これは“ラストスパートに向かっていくエモい盛り上がり”ではなく、わかがヌュアンスを残るメンバーに継承できたこと、そして“きょ・はつ・みつ”がしっかりそれを受け取った事によるものと思っています。だって、エモいとか云ってられない活動&情報量だったじゃないですか。

それらの集大成があの二日間に集約されました。
川井わかが必死に守ってきたヌュアンスを出演者もスタッフも、そしてファンの皆さんが讃えてくれた二日間。なんか温泉みたいでしたね。

3月23日・24日に横浜の会場を押さえられたのは奇跡というか運命というか。「25日がオーディションだから24日に横浜できたら美しいなぁ」と思っていたら出てきたので、シンプルにご褒美だと思います。愚直にやってきた人には勝手にストーリーが付くもんです。


個人的には県民では終われなかった「やりきった」をやり切れたとは思っていて、決して大きいとは言えないけど、たくさんの風変わりな経験と一般社会では立つことが出来てない板の上に立ち続けた人が一体何者になるのかが楽しみです。
この日に向けてたくさんの人が手とチカラを貸してくれました、心より感謝したいところなのですが別に解散した訳じゃないので、このままさらにチカラを貸してくれないとダメです。どうか。カンパネルラ。


たぶん、これをわかが読んだら「全然違う」って言うと思うんですよ。
基本僕の意見に反対から始める人なので(たぶん僕と同意見だったのは7年のうち10日くらいだと思います)。
でもこれは僕のストーリーなので、これでよし。


おつかれさま。

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