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「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない。ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる.

ナイツの塙さんはなぜこの本のタイトルを「言い訳」にしたのでしょうか。

プロローグを読むと,「M-1で優勝できなかったことの言い訳」をしているように思えるのですが……

……この本は,ぶっちゃけ,言い訳です。ナイツがM-1で優勝していたら,何を言ってもカッコいいのですが,そうではない。おまえが偉そうに何を言っているんだという話です。
もっと言えば,負け惜しみです。青春時代,恋焦がれたM-1に振られた男が腹いせで本を書いているくらいに思っていただければ幸いです。
では,言い訳を始めます。

この本を最後まで読み切ると,もっと大きな言い訳,「漫才の王道である"掛け合い"が苦手でうまくできないことの言い訳」をしているような気がしてきます。

掛け合いが苦手なのは塙さんです。相方の土屋さんはおそらく,掛け合い漫才ができると思います。これまでずっとナイツの漫才を引っ張ってきたのは塙さんですが,ここからさらにナイツの漫才を進化させるためには「掛け合い」が必要であり,「今足を引っ張っているのは,掛け合いが苦手な自分だ」と思い始めている塙さんの心情が綴られているのではないかとさえ思ってしまいました。考えすぎかもしれませんが……

この本は"現代漫才論"というより,掛け合いが苦手な塙さんの視点で書かれている"掛け合い漫才が苦手な漫才師のための現代漫才論"だと思います。

掛け合いが得意な漫才師にとっては,参考になる点はたくさんあるものの,「漫才バイブル」のような本ではなく,掛け合いが苦手な漫才師にぴったりのアドバイスを鵜呑みにしてしまうと,痛い目を見る可能性さえあると思いました。

そこで,この本の中の「掛け合いが苦手だからこそ生まれた文章」を抜粋し,掛け合いが得意なコンビの場合はどう考えるべきかについて書くことにしました。結論を先に言ってしまうと,関東芸人がM-1で勝つために必要なのは「掛け合いのうまさ」であり,それを活かすためのネタの作り方は「普段の会話を漫才にすること」です。

では,掛け合い漫才が苦手な塙さんの「言い訳」から見えてくる「関東芸人がM-1で優勝するために必要な20のこと」をご覧ください。

01.「練習しないほうがウケる」というのは天才漫才師の発想。優勝したいなら死ぬほど練習すべき

Q4.よく「練習しないほうがウケる」と言いますよね?
……中川家は,練習し過ぎないようにしているようです。僕もそこは同意見ですね。というのも,ネタ合わせをしないでやったネタのほうが,本番で断然ウケるんです。
……練習しなくてもいいネタは,ネタそのものがおもしろいし,そもそも自分たちに合っているんです。逆に練習しなければならないネタは,ネタがつまらないか,自分たちに向いてないんです。それに気づいてからは,練習しなくても成立しそうなネタを考えるようになっていきました。

塙さんが言っている「練習しないほうがウケる」というのは,掛け合いが苦手なコンビの場合の話です。

ナイツが得意とするのは,「塙さんがひとりでしゃべりながらひたすらボケ,土屋さんはそれについていくかのようにひたすらツッコんでいく」というスタイルです。この漫才スタイルであれば,一回目(一回も練習していない状態)が一番おもしろいという場合さえあると思います。ボケるほうも新ネタですから新鮮な気持ちでしゃべれますし,ツッコむほうは初めて聞くわけですから,本気で真剣に聞き,リアルなリアクションができます。その結果,フリートークのようなライブ感のある活き活きとした漫才になります。練習すればするほど慣れてきて,また飽きてきて,このライブ感が出せなくなってしまうので,「練習しないほうがウケる」という状態になります。

塙さんは,「練習しなくてもいいネタは……そもそも自分たちに合っている」と言っていますが,「自分たち」ではなく,「掛け合いが苦手な自分(塙さん)に合っている」というのが実際のところではないでしょうか。また,練習しなければならないネタは,「つまらないネタ」であるとは限らず,ただ単に「塙さんには練習が必要な掛け合いのネタが向いていない」ということではないでしょうか。つまり,掛け合いではないスタイルのほうが塙さんには合っていて,そのスタイルの場合は「練習しないほうがウケる」のであって,通常の掛け合い漫才にはこの考え方は当てはまらないと思います。

掛け合い漫才で「練習しなくてもいいネタ」というものがあるとすれば,それは「アドリブ漫才」「漫才風フリートーク」です。フリートークが得意なコンビの場合,「大変な思いをして漫才を作るより,フリートークで勝負したほうがいい」と考えるようになるケースが少なくありません。

中川家が「練習し過ぎないほうがいい」と言っているのは,中川家の漫才が「アドリブ漫才」に近いスタイルだからだと思います。アンタッチャブルもこのスタイルに近く,「箇条書きできる程度の筋だけ決め,あとはアドリブでやる」というスタイルです。これができるコンビであれば,そもそもそこまで練習する必要がありません。ですから,中川家と塙さんは同じようなことを言っているように見えて,実は違う意味で「練習し過ぎないほうがいい」と言っているように思えます。

中川家やアンタッチャブルのような天才的な漫才師でない限り,掛け合い漫才をやるにはかなりの量の練習が必要ですし,「練習しなければならないネタはつまらない」ということはありません。練習量が見え見えの漫才を嫌う方がいるのは事実ですが,あれはそもそも「練習量」の問題ではなく,「演じ方のうまさ」の問題だと思います。「二人とも天才漫才師」というコンビでない限り,M-1で優勝したいなら死ぬほど練習するしかありません。

02.関東芸人がM-1で優勝するための近道は「掛け合いのうまさ」と「アドリブ」

Q5.やはり「紳竜の研究」は観ましたか?
ネタ合わせをしないもう一つの理由。それは新鮮味がなくなるから。
ただでさえ毎日,寄席の舞台に立っているので,それ以上やってしまうと自分たちの中で鮮度が薄れていってしまうんです。その「飽き」が本番でも出てしまう。ともすれば,機械がしゃべっているような感じになってしまうことがある。
……島田紳助さんも同じような理由で練習しないほうがいいと話してました。

ナイツのように毎日寄席の舞台に立っていれば,ネタ合わせをする必要はどんどんなくなってくると思います。ただ,飽きてしまったり,機械のようになってしまうのは,「ナイツがあまり掛け合い漫才をしない」ということが関係していると思います。

もちろん,掛け合い漫才でもそのような状態に陥ることはありますが,掛け合いがうまいコンビは,同じセリフでも自然と毎回言い方が変わり,ガンガンアドリブを入れるので,ライブ感や鮮度を保ちやすく,本人たちも毎回飽きることなく楽しんで漫才をすることができます。また,練習すればするほど,元の台本を自由自在に崩して演じることができるようになるので,うまいコンビは,たくさん練習しているのに練習量が見え見えではない漫才ができます。

M-1などの賞レースでは,アドリブなどの遊びや余裕を入れる漫才ではなく,持ち時間ギリギリでガチガチの漫才をするコンビが多いですが,台本を気持ち短めにして,ガンガンアドリブを入れて本人たちがめちゃくちゃ楽しんで漫才をすることも,関東芸人がM-1で優勝するための近道ではないかと思います。

03.練習量が多ければ多いほど賞レースでも漫才を楽しめる

Q6.第二回大会の王者,ますだおかだもしゃべくり漫才でしたね
……岡田さんはネタ中に絶対に笑わないのです。あの姿勢は,お客さんに安心感を与えます。
自信がない人ほど,ネタ中に,思わず笑ってしまいましたみたいな笑い方をするものです。そうすると,観ているほうも,つられて笑ってしまうことがあります。
この世界では,それを「誘い笑い」と呼んで,年配の人ほど嫌います。油を差すような感じで,1,2回程度ならいいのですが,やり過ぎると自作自演っぽくなり,あざとい印象を与えかねません。

ますだおかだの「岡田さんはネタ中に絶対に笑わない」と書かれていましたが,これは増田さんの間違いではないかと思います。以前の増田さんは,「漫才中は死んでも笑わない」と決意しているかのような顔で漫才をしていました。でも最近は,岡田さんを泳がせ,すべらせ,増田さんがそれを見て笑うという漫才が増えてきました。これは「誘い笑い」ではありません。岡田さんのすべり芸を,増田さんが本気で楽しむようになったのです。

「誘い笑い」が嫌われるのは,わざと笑っているからです。最近の増田さんのように,漫才中に思わず本当に笑ってしまっている姿を「あざとい」と思う人はあまりいないでしょう。むしろほとんどの人が微笑ましく思うのではないでしょうか。

掛け合いがうまいコンビは,「相方を笑わせたい」と思って漫才をしている場合が少なくありません。実際,その時々の言い方やアドリブなどで,思わず本気で笑ってしまうことがあります。わざと笑う「誘い笑い」はあざといですが,真剣に本気で「相方を笑わせたい」と思って漫才をしているコンビが,漫才中に思わず笑ってしまう姿は,通常プラスに働きます。二人が本当に漫才を楽しんでいるのが伝わるからです。そして,ライブ感が生まれ,活き活きとした漫才になるからです。

最近のM-1で「足りないな」と思うのがこれです。賞レースなので,楽しむよりも,しっかりネタをこなそうとするコンビが多いように感じます。ここで物を言うのが練習量です。練習量が多ければ多いほど,緊張や「ネタを飛ばしてはいけない」という不安に打ち勝つことができ,楽しんで漫才をすることができるからです。決勝の大舞台で楽しんで漫才をすること,これは関東芸人がM-1で優勝するための欠かせない要素だと思います。

04.優勝できるネタを作るためには「自分たちの言葉」で漫才をするしかない

Q8.ツッコミは関西におけるマナーなのでしょうね
関東に住む僕からすると「なんでやねん」は,魔法の言葉です。表面上は攻撃しているようで,その実,相手を慈しんでいるようでもあります。関東の言葉で言えば,「なんでだよ」になるのでしょうが,その言い方だと包み込むというよりは突き放している感じがしてしまいます。

塙さんは,「漫才においては関西弁が圧倒的に有利である」と考えているようです。確かに,「関西弁のほうが多少有利かな」という気もしなくもないですが,優勝できるかどうかを決めるほど大きな要素ではないと思います。

これも,掛け合いが苦手な塙さんだからこそ強く感じていることなのかもしれません。掛け合いが苦手だと,「関西弁でのやり取りへの憧れが強くなる」ということが考えられます。一方,掛け合いが得意な関東芸人であれば,自分たちは「関西弁にも負けない掛け合いができる」という自負があるはずです。

関西弁には関西弁の良さがあり,他の地方の言葉には他の地方の言葉の良さが必ずあるものです。どちらにしても,優勝できるネタを作るためには「自分たちの言葉」で漫才を作るしかありません。自分たちの普段の会話を漫才にする方法さえマスターできれば,自分たちにしかできない自分たちに合ったネタが作れます。これこそが,優勝できるネタを作る一番いい方法だと思います。

「関西弁のほうが有利」というのはまさに塙さんの「言い訳」だと思います。言葉の違いによる有利不利が多少あったとしても,それを軽々と超えいくネタを作らない限り,M-1優勝などできるはずがないからです。

▶︎普段の会話を漫才にする方法

05.互いの持ち味を十二分に引き出し合えれば,「二人にしかできない独特の漫才スタイル」が完成する

Q13.ウケ量は「数」と「大きさ」,どちらがより重要ですか?
数に関して言えば,物理的に持ち時間が4分しかないわけですから,勢いよくしゃべるほうが有利です。早口なら,それだけたくさんの笑いを詰め込めますから。
ただ,その芸当は,関西弁というフォームだからこそできるテクニックでもあります。関東の日常言葉でそれをやろうとすると,どうしても無理がある。
…… 中略 ……
しゃべくり漫才の母国語は関西弁なわけですから,関東の言葉でそれをやろうとすることは,言い換えれば,日本語でミュージカルやオペラをやるようなものなのかもしれません。無理ではないけど,どうしたって不自然さは残ります。

掛け合い漫才やスピード感のある漫才ができない人が,そういう漫才に憧れる気持ちはよく分かります。でもそれは,「関西弁というフォームだからこそできるテクニック」であるとは限りませんし,「関東の言葉でやろうとすると不自然さが残る」ということもないと思います。これも,掛け合いが苦手な塙さんの「言い訳」だと思ってしまいます。

スピード感のあるしゃべくり漫才をするためには,二人ともそれができなければなりません。「自分はできるのに相方がそれについてこれない」という理由で解散したコンビも結構いるのではないでしょうか。どうしてもスピード感のある漫才がしたいのであれば,それが向いている相方を探すしかありません。ハイスピード漫才が向いていない相方を特訓し,無理矢理早口でしゃべらせても,大抵うまくいきません。無理をしてもおもしろくはなりませんし,無理は長続きしません。辛くなっていく一方です。

もちろん,特訓によって潜在能力が開花するというケースがないとは言い切れませんが,人にはそれぞれ自分に合ったしゃべりのテンポというものがあり,それを活かした漫才こそが,そのコンビにとっての「一番おもしろいスタイル」であり,「二人にしかできない独特のスタイル」になります。

自分の勝手なイメージに合わせるよう相方に強要するなら,それは解散の原因にもなりかねません。独りよがりの理想は捨て,互いに相手の持ち味を十二分に引き出し合えるスタイルを見つけること,これがM-1優勝への近道だと思います。これを見つけるためのヒントは,普段の二人の会話の中にあるはずです。

▶︎「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法

06.ストーリー性のあるしゃべくり漫才で勝負すれば,関東芸人にも勝機はある

Q14.「宮崎駿」のボケは37個だとのことですが数えたのですか?
僕もM-1で勝つには,兎にも角にも笑いの数を一つでも増やさなければならないと思っていました。今でも出場者の9割以上が,そう思っているのではないでしょうか。

賞レースにおいては,ボケの数はある程度多いほうが有利です。だからといって,「一発ギャグをたくさん詰め込めばいい」というわけではありません。それだと「漫才」としてはレベルの低いものになってしまいますし,「そんなの漫才ではない」とさえ思われてしまうかもしれません。昨年優勝した霜降り明星のネタは,個人的には「ギャグ漫才」という印象を受けてしまいました。

ナイツの場合は,塙さんが一つの話をし,ことごとく言い間違えるという方法で,ボケの数を増やすことに成功しました。一発ギャグのようにボケが独立した状態ではなく,ちゃんとした「ストーリー」があり,その流れの中でたくさんボケるという方法は効果的です。ストーリーがあれば,そこにそのボケがある必然性が出てくるので唐突なかんじにはなりませんし,一発ギャグとしてはおもしろくないものでも「その流れで言われるとおもしろい」という状態を作り出せますし,ボケ同士の相乗効果も期待できます。

しかし,「ことごとく言い間違える」というこの方法は,ボケの数を増やすにはかなりいい方法ではあるものの,単調になりがちですし,ボケとして弱いので,「言い間違い」だけで優勝するのはなかなか厳しいのではないでしょうか。

これを踏まえて,優勝できる漫才を作るためには,ストーリーそのものをおもしろくする必要があると思います。起承転結があり,オチが綺麗で,そんなストーリーの流れに乗るようにしてできるだけたくさん多彩なボケを繰り出す漫才。「ストーリー」は漫才コントのほうが作りやすいですが,これをしゃべくり漫才でできれば,関東芸人でも優勝できると思います。

▶︎「しゃべくり漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」

07.去年の決勝進出者の中で「最強の漫才スタイル」を確立していたのはギャロップだった?

Q19.ギャロップも自虐ネタで上沼さんにこき下ろされていましたが
知名度もそこそこあって,ファンも付いてるので,そのアドバンテージで笑ってもらえる。そのぶん,ネタの作り込みが甘くなる。だからM-1決勝という大舞台では,まったく通用しなかったのです。

ギャロップに対するこの評価はまったく賛同できません。

ギャロップは昔から掛け合いがうまいコンビで,「もう一歩,いや…もう半歩ネタが突き抜ければ,M-1決勝にも行けるんじゃないか…」という印象でした。そして,「ついにネタが突き抜けた!」,そんな漫才をみせてくれました。去年のM-1では,ギャロップが最も正統派のしゃべくり漫才だったと思います。とにかくうまい!

M-1では「自虐ネタだ」と言われかなり低い評価でしたが,あれは「自虐ネタ」というより「会話を漫才に昇華したネタ」だと思います。ボケとツッコミが自由自在に入れ替われる最強のスタイルです。会話を漫才にするわけですから,等身大の自分が漫才に反映されるのは当然です。つまり,林さんが「たまたまハゲていた」というだけの話です。それを「自虐ネタだ。発想が安易だ」という評価は,まったく納得がいきません。

ただ,せっかく「ボケとツッコミが自由自在に入れ替われるスタイル」なのに,決勝のネタの構成だと,毛利さんがボケでもツッコミでもなく「ただ合コンに誘っているだけの人」という役割になってしまい,本来の「うまさ」が見えにくくなってしまったのはもったいないと思いました。

でもギャロップは,この最強のスタイルに辿り着いたわけですから,漫才師としての未来は明るいと思います。一生漫才を続けてほしいです。

そしてここに,「関東芸人がM-1で勝つ道がある」と思っています。つまり,「会話を漫才に昇華したボケとツッコミが自由に入れ替われる漫才」です。天才的な漫才師「横山やすし・西川きよし」「太平サブロー・シロー」「オール阪神・巨人」などがやっている,ネタによってボケとツッコミが逆だったり,ネタの最中に役割が入れ替わったりするという最強の漫才スタイルです。この3組はみな関西の漫才師ですが,関東芸人がこのスタイルで素晴らしい掛け合いの漫才を魅せることができれば,優勝が見えてくると思います。

08.「会話を漫才にする」スタイルに替えることでチャンピオンになれたブラックマヨネーズ

Q23.漫才で人間味を出すという言い方をしますが,どう出せばいいのですか
……おそらく私生活でも,(ブラックマヨネーズの)二人はこういう性格で,こういう関係性なのだろうなと想像してしまいました。
もちろん,そこに嘘が混ざっていても構いません。兎にも角にも,お客さんにリアルに二人の人間性を感じてもらうことが大事なのです。

ブラックマヨネーズはまさに,「会話(フリートーク)」を漫才に昇華する方法を見いだし,M-1チャンピオンになったコンビです。それまでのブラックマヨネーズといえば,奇抜な衣装を着て,よく分からない変なネタをしていました。「変なネタよりも,ラジオなどでのフリートークのほうがおもしろい」ということに気づき,「これを漫才にできないか」と考えるようになったのです。

普段の会話を漫才にした結果,ボケとツッコミの役割分担が曖昧なスタイルができあがりました。「吉田さんがボケで,小杉さんがツッコミでしょ」と思われるかもしれませんが,漫才の中での役割としてはその限りではありません。入りは,「細かいことを心配しすぎる」という形で吉田さんがボケ,それに「まともな提案をする」という形で小杉さんがツッコんでいますが,まともな提案を受け入れようとしない吉田さんに対して,小杉さんの提案がどんどんとエスカレートしてハチャメチャなことを言い出し,ついにはそれがボケとなり,それに対する吉田さんの返答のほうがいつの間にかツッコミになっています。

無理矢理人間味を出そうとするのではなく,会話から漫才を作ることによって,普段の二人の話し方や関係性が漫才に反映され,自然と人間味も反映されていきます。結果的にボケとツッコミが入れ替わることもあり,二人にしかできない独特な漫才スタイルになります。関東芸人がしゃべくり漫才で優勝できるとすれば,このスタイルではないかと思います。

▶︎普段の会話を漫才にした台本サンプル

09.掛け合う技術がなかったナイツ

Q25.漫才は「三角関係が理想」とよくおっしゃっていますよね
その頃,僕は漫才中,一度も土屋の顔を見ていませんでした。ずっと,お客さんの方だけを向いていたのです。
……ツッコミとボケだけのつながり,二人の線だけでやっているコンビはけっこういますが,ボケとツッコミとがまったくからまないというのは,新しいスタイルでした。……。
当時の僕は,あのスタイルがベストだと思っていました。斬新だし,ボケ数も増やしやすい。ただ,裏を返せば,それが僕らの限界でもありました。掛け合いたくても,掛け合う技術がなかったのです。

ナイツのネタはおもしろいと思っていましたが,とにかく不満だったのがこれです。「掛け合わない」こと。漫才なのに塙さんが土屋さんと全然絡もうとしない。

でもこれは,あくまでも「M-1対策」として仕方なく,割り切って,M-1で勝つためにあえてこのスタイルでやっているのだろうと思っていたのですが,まさか「あのスタイルがベストだ」と思っていたとは!?

今なら「掛け合う技術がなかった」という言葉の意味がよく分かりますが,当時は,あの塙さんがまさか掛け合いが苦手だなんて思いもしませんでした。

やはり,掛け合わない漫才でM-1優勝はないと思います。「それほど掛け合わない漫才」でこれまでにM-1チャンピオンになれたのは,霜降り明星くらいではないでしょうか。

▶︎「掛け合いがうまい漫才」の作り方

10.かまいたちの山内さんには「絶対漫才感」がない?

Q27.かまいたちの評価がやや低いように感じるのですが,なぜですか?
主張とは本来,黙って耳を傾けるものです。したがって,ツッコミの濱家君も「わかるけどな」とか「思うか!」程度のことしか言えず,掛け合っているようで,掛け合っていませんでした。……。
山内君は客席に同意を求めたり,「M-1史上最悪の客」といじったりしていましたが,客席を見ながら漫才をするというのは,そういうことでもないと思うのです。
つまり,相方とも,客席とも,結ばれていない漫才,つまり「点」に見えてしまいました。……。
…… 中略 ……
そういう僕らも,M-1に出ていた頃は,掛け合いができなかったんですけどね。掛け合いをごく自然にやって,さらには客席も巻き込んで三角形を作るということは,奇跡と呼んでもいいくらい難しいことなのです。

去年のM-1でのかまいたちの最大の敗因は,わざとお客さんと絡もうとしたことだと思います。

かまいたちの漫才をみていていつも思うのは,「山内さんは漫才があまり得意ではなく,濱家さんのほうがうまい。漫才の雰囲気を作っているのは濱家さんだ」ということです。そこで,山内さんは漫才師としての「うまさ」をどうにかして出そうとして,「わざとお客さんに向けて話す」という方法を使ったのではないかとわたしは思っています。

掛け合いがうまい漫才師は,「わざとらしく」ではなく「ごく自然に」お客さんに話しかけます。「ここでお客さんに話しかけよう」と決めてそうするというかんじではなく,ごくごく自然に。おそらくそれができない山内さんは,「ここでお客さんに話しかけよう」と決めてそれをやってしまったので,わざとらしいかんじになってしまったのだと思います。

掛け合いが苦手な塙さんからすれば「掛け合いをごく自然にやって,さらには客席も巻き込んで三角関係を作るということは,"奇跡"と呼んでもいいくらい難しい」と感じるのかもしれませんが,掛け合いが得意な漫才師にとってはそれほど難しいことではありません。ごく自然にできることです。この力のことを塙さんは,「絶対漫才感」と呼んでいるのだと思います。

漫才というのは単なる二人の会話ではなく,それを聴くお客さんがいます。それはちょうど,「三人で会話している感覚に近い」のだと思います。「三人のうちの一人が非常に無口で,二人がメインで会話をし,時々無口なもう一人にも振ってみる」というかんじです。これができれば,三角関係が作れます。

この感覚は,練習やイメージトレーニングによっても培えるとは思いますが,自然とこの感覚を身につけている人,それこそ「絶対漫才感」がある人でなければ,M-1優勝は難しいのではないかと思ってしまいます。

▶︎しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる

11.和牛がM-1で優勝するために必要なこと

Q43.20分以上のネタをやらせたら,ナイツは日本一です
2019年,和牛がM-1に参戦するかどうかはわかりませんが,僕は,スタイルを変える必要はないと思います。……。
……いちばんやってはいけないことは,M-1を意識し過ぎるあまり,自分の持ち味を見失ってしまうことです。

和牛はM-1のためにスタイルを変える必要はないと思いますが,ただ,これまでのように,普段劇場でやっている10~15分くらいの長尺漫才を縮めるという方法ではなく,最初からM-1用の4分ネタを作ったほうがいいと思います。長尺漫才を縮めて4分ネタにすると,和牛の良さがかなり損なわれてしまうからです。

M-1での和牛の漫才は「機械のようだ」という印象を受ける方が結構おられます。これも,長尺漫才を縮めて4分ネタにすることによって生じた弊害です。劇場での漫才をみると分かりますが,和牛は普段から機械ような漫才をしているわけではありません。アドリブ満載で,二人ともとにかく楽しそうに漫才をしています。ところが,そのネタを4分でやろうとすると,ギチギチに詰めなければならず,機械のような漫才になってしまいます。それでも持ち時間をオーバーしてしまっているという現状は見過ごせません。それに,つかみがなかったり,ボケ数が少ないと,なかなか優勝にまでは辿りつけません。

そこで,長尺漫才を縮めるのではなく,むしろ最初から短めの,「つかみ」と「コンスタントなボケ」を入れたM-1専用のネタを作り,そこにアドリブを入れつつ,いつものように「楽しくて仕方がない」というあの雰囲気で,本当の和牛の漫才を披露することができれば,文句なしで優勝できるのではないでしょうか。

12.本気で優勝したいなら,「漫才は関西弁のほうが有利」という考え方は捨てたほうがいい

Q46.関東の日常言葉は感情を乗せにくい。漫才に不向きなのでは
東京の日常言葉はまず,誰もが聞き取りやすいよう発展してきたのだと思います。そして,もう一つ,諍いが起きないよう感情を読み取られにくい言葉として変化を遂げてきたのでしょう。
漫才をする上で,今の東京言葉が勢いをつけにくく,かつ感情を表現しにくいのは,そういう背景があるんじゃないかな。……。
だから僕もヤホー漫才のように気持ちを入れない機械的な漫才に行きついたのだと思います。

「関東の言葉は感情が乗せにくい」ということはないと思いますし,「漫才に不向き」ということもないと思います。機械的な漫才に行きついたのは,関東の言葉の問題ではなく,塙さんが掛け合いが苦手だからだと思います。

「漫才は関西弁のほうが有利」という考え方は捨てたほうがいいと思います。そんな「言い訳」のような「逃げ道」のような考え方を持っている関東芸人が,M-1で優勝できるとは思えません

13.「しゃべくり漫才」の作り方がよく分からず「漫才コント」を選ぶ関東芸人

Q53.非関西系のM-1王者は全てコント漫才。なぜですか?
……関東芸人からすると,言葉のハンディがだいぶ軽減されます。しゃべくり漫才と違って,そもそも作り物という設定なので「漫才とはこうあるべき」という固定観念から自由だし,関東言葉の不利もさほど気にならない。

ここでいう「非関西系のM-1王者」とは,アンタッチャブル,サンドウィッチマン,パンクブーブーを指しているようです。

アンタッチャブルは,当時しゃべくり漫才もやっていたと思うのですが,メインは漫才コントでした。でもそれは,「関東言葉のハンデを軽減するため」ではないと思います。アンタッチャブルのように二人とも天才的な漫才師であれば,「『関東言葉がどうの』といったことなど一切関係ない」と言っても過言ではありません。アンタッチャブルほどの実力があれば,しゃべくり漫才でもM-1を獲れると思います。

サンドウィッチマンは,元々漫才ではなくコントが得意なコンビです。M-1を一気に駆け抜けたあの大会で初めてサンドウィッチマンの漫才を見たとき,「コントをほぼそのまま漫才にしたネタなのかな?」という印象を受けました。それでも,とにかくネタがおもしろかったですし,人間味のある二人には「漫才」というスタイルが向いていたのだと思います。ですから,サンドウィッチマンの場合も,「言葉のハンデを軽減するために,漫才コントでM-1に挑んだ」というわけではないと思います。サンドウィッチマンも,しゃべりの技術的にはしゃべくり漫才でも十分通用するコンビだと思うのですが,ネタ作成者の富澤さんがしゃべくり漫才を作るのが苦手なのか,テレビではいまだに漫才コントが中心です。

パンクブーブーは,しゃべくり漫才も漫才コントも両方できるコンビです。M-1で優勝した年は2本とも漫才コントでしたが,翌年の決勝ではしゃべくり漫才のような新たなスタイルを披露し,最終決戦に残ります。最終決戦も1本目とあまりにも同じスタイルの漫才だったために惨敗したものの,「2本とも同じパターンでやる」というのはその年のパンクブーブーのこだわりだったようです。2本目に得意の漫才コントをやっていれば,初の2連覇を達成できたかもしれないのに……。それはともかく,パンクブーブーに関しても,関西弁ではないことのハンデは一切感じられません

関西のほうが有利な点があるとすれば,「掛け合い漫才の作り方を心得ている」ということかもしれません。関西では,普段の会話が掛け合い漫才のようだからです。この感覚が薄いその他の地域の芸人は,しゃべくり漫才の作り方が分からず,作りやすい漫才コントをメインでやっているというパターンは結構あると思います。

14.「漫才に下ネタは欠かせない」というのはおかしな話

Q58.下ネタもそうですが毒も扱いが難しいですよね
下ネタも,毒も,漫才における薬味だと思うんです。……お寿司にはわさび……,うどんには七味,ホットドッグにはマスタード,ピザにはタバスコと,どんなものにも少し辛味がないと物足りなく感じてしまう。
それと同じように,漫才にも下ネタや毒は欠かせないと思うのです。

毒はともかく,「漫才に下ネタは欠かせない」というのはおかしな話だと思います。「下ネタが嫌い」というお客さんは必ずいるからです。それが分かっているのであれば,「そういう方にも心から笑ってもらえるネタをやりたい」と思うのがプロではないでしょうか。それとも,「下ネタが嫌いな人は見に来るな」という感覚があるのでしょうか。どうしても下ネタがやりたいのであれば,単独ライブでやればいいと思います。下ネタが嫌いな人はそのライブには行かないでしょうから。

何を不快と感じるのかには個人差があるので難しいところですし,最近ではむやみやたらと規制をかけようとする動きもあり,それもどうかと思いますが,下ネタに関してはわざわざ漫才に入れなくてもいいと思います。下ネタは一切やらないけど爆笑をとれる漫才師のほうがかっこいいと思いますし……

15.普段の会話は漫才のネタの宝庫

Q61.芸人は,ネタ,ネタ,ネタですね
内輪話や自虐ネタを封印し,信頼できる強いネタを作ること。自分にしかない武器を見つけるためにも,関東芸人は,まずそこから取り組むべきです。

大事なのは「スタイル」や「システム」ではなく,「ネタ」だと思います。ネタの内容や完成度です。

スタイルは,普段の二人の会話や関係性を漫才の形にしたものであるべきだと思います。それが最も自然でスムーズで,結果的には二人だけの独特のスタイルになるからです。

「強いネタ」に関しても,鍵を握るのは普段の会話です。普段の二人の会話は,漫才のネタの宝庫です。自分たちにはそれがもはや普通の会話なので,「それが漫才になる」ということにすら気づいていない場合がよくあります。「どの会話が漫才になり得るか」というアンテナを張り,「これは漫才になるかも」と思ったものをメモしましょう。問題は,その会話をどうやって漫才にすればいいのかということなのですが……

▶︎普段の会話を漫才にする方法

16.「新しい漫才スタイル」に執着すると迷走する

Q62.M-1の遺伝子は,やはり「新しいもの至上主義」ですよね
「経験」より「新しさ」。そうなんですよ。……M-1の初期設定は新人賞レースです。……。
経験には目を瞑ってもらう代わりに,出場者は,新しいものを見せなければならない。
新しいものへの飢餓感は,M-1のDNAに組み込まれた意志のようなものなのだと思います。
…… 中略 ……
……少なくとも第一期のM-1は新しいことに挑戦する者には優しく,進化を拒む者には容赦のない大会でした。

「新しい」といっても,多くの人は別に「新しいスタイル」を求めているわけではなく,「ありきたりのネタだとつまらない」と感じるだけだと思います。

2010年のパンクブーブーの例を見ても分かるように,1本目だとみんな「新しいスタイルだ!」と感動しますが,2本目も同じスタイルでやると「また同じパターンか…」と早くも飽きてしまいます。

重要なのは「スタイル」や「システム」ではなく,「ネタ」です。「こんな話は初めて聞いた」と思えるようなストーリーで,内容がとにかくおもしろければ,スタイルが新しいかどうかは問題ではありません。お客さんはみな「ただおもしろい漫才がみたい」だけで,「新しいスタイル」になど執着していないのです。

「新しいネタ」はどうすれば作れるのかというと,これもやはり「普段の会話」です。普段の会話は,そのときの内容によってボケとツッコミの比率が自然と変わります。互いの得意なテーマ・不得意なテーマなどによって,どちらが主導権を握るのかなどが変わってくるからです。この自然な会話を漫才にすれば,漫才のスタイルはネタによって変わってきます。それによって,「あのコンビはボケとツッコミが入れ替われてすごい!」と評価されるかもしれませんが,普段の会話ではそれが普通です。「ボケとツッコミが完全に固定されている会話」のほうがむしろ不自然です。

ですから,「新しいスタイル」を探そうとするあまり迷走し,奇抜な方向に走るのではなく,普段の会話をベースにすれば,二人しにしかできない漫才スタイルに自然と辿り着くことができます。

▶︎「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法

17.何年も迷走したあげく解散してしまうコンビを減らす方法

Q65.ただ,チュートリアルは本当におもしろかったですね
冷蔵庫に何を入れるかに異様な関心を示す男と,チリンチリンを盗まれたことに異常なまでに同情する男。
あのキャラクターで4分間,逃げ切るとは。とても人間業とは思えません。

M-1で優勝した年に完成したチュートリアルのネタは,「会話」に近いスタイルです。普段の自分たちの会話とはまったく別のネタを作ろうとするからうまくいかないのであって,人それぞれ自分の特徴(徳井さんの場合は妄想癖)をそのまま漫才にするのはむしろ自然なことだと思います。自分が話したいことであれば,4分という時間は短いくらいですから

つまり,多くのコンビが,「会話を漫才にする」という最も自然な方法を取らず,「会話とはまったく別のネタを作る」という不自然な方法でネタを作ろうとしていて,その結果迷走しているのです。

漫才は「まずは会話から作る」というのを基本にしたほうがいいと思います。そうすれば,無駄に何年も迷走したあげく解散してしまうコンビを減らせるからです。

18.関東芸人がM-1で優勝するための基礎は「話芸を磨く」こと

Q75.ハライチ岩井さんの「M-1は古典落語の大会」というのはわかる気がします
岩井はM-1で自分たちのネタを披露することを,古典落語のコンクールで新作落語を発表しているようなものだと語っていたことがあります。
うまいことを言う。それは関東芸人の多くが抱いているジレンマだと思います。

岩井さんはつまり,「M-1は『古いスタイルの漫才』の大会だから,『新しいスタイルの漫才』をしてもあまり評価されない」と言っていることになります。

「掛け合い」というのは漫才の基本的なスタイルであり,決して「古いスタイル」ではないと思います。掛け合いがうまい漫才よりも,新しいスタイルの漫才ばかりが評価されるようになったら,M-1という漫才の大会が,漫才を破壊することにもなりかねません。漫才の大会でうまい漫才が評価されなくなってしまったら,話芸を磨くコンビがどんどんと減ってしまいます。すでに,うまい漫才師は昔より減っているように思います。

漫才の大会である以上,「おもしろければなんでもいい」というわけにはいきません。あくまでも「漫才」という枠の中に入っていなければならず,漫才の基本は「掛け合い」であるべきです。「これは漫才なのだろうか?」と思ってしまうようなコンビと,掛け合いがうまいコンビがいたとして,おもしろさはどちらも同じくらいで,どちらか一方しか決勝に進めないとするなら,掛け合いがうまいコンビが決勝に行くべきです。

M-1が漫才の大会である以上,話芸を磨くのは関東芸人がM-1で優勝するための基礎だと思います。新しさばかりを追求し,話芸を磨くことを怠るのは,本末転倒です。

19."売れる"ためだけにやっている奇抜な漫才に,正統派漫才で勝つために必要なこと

Q76.関東芸人にとってM-1は,いわば道場破りのようなものですよね
落語界で新作が不当に貶められているのと同じように,M-1もナニワのしゃべくり漫才こそが漫才で,突飛な発想の関東言葉の話芸は漫才とは似て非なるものだという向きは当然あると思います。

本格的なしゃべくり漫才であれば,「ナニワの」ではなくても,どこの言葉でも,M-1では評価してもらえるはずです。逆に,突飛な発想の話芸であれば,関西弁であっても「あれは漫才なのか?」という目で見られます。つまりこれは,「言葉」の問題ではないということです。

そもそも,なぜわざわざ突飛な発想の話芸をするのかというと,「普通の掛け合い漫才ができないから」ではないでしょうか。掛け合い漫才の作り方が分からなかったり,掛け合う能力がなかったり,他にも理由はあるかもしれませんが,掛け合いが苦手なコンビがM-1に挑戦する場合,大抵「突飛な発想の話芸」をなんとか漫才の形にして戦うことになります。

そのうちのどこまでを「新しい漫才」として受け入れ,どこからを「漫才ではない」と判断するのかは難しいところですが,普通の漫才ができないコンビが,ただ"売れる"という目的のためだけにM-1に参戦し,奇抜でハチャメチャなネタを披露することがあります。そしてそれが,意外にウケる場合があります。普通の掛け合い漫才ではなく,そのような奇抜なネタを大多数の人が求めるようになるなら,それはもう仕方ありません。漫才の定義(そもそも定義自体もはっきりしてはいませんが…)を変えるか,普通の掛け合い漫才を例えば「古典漫才」とでも呼んで,細々と続けるしかなくなります。

奇抜なネタをやるのは自由ですし,それもありだと思いますし,おもしろいネタもありますし,そこから「新しい漫才」が生まれることもありますから否定はしませんが,ここに,もう一つの戦いがあるのだと思います。生涯漫才師であることを願い,本当に漫才を愛している漫才師は,ただ"売れる"ためだけにやっている漫才に負けてはいけないのです。

どうすればこの戦いに勝てるのでしょうか。正統派漫才でありながら決して古くなく,ありきたりでもなく,おもしろく,どこか新しささえ感じさせる漫才を作ること,そしてその方法は,普段の会話を漫才にすること,これしかないと思います。普段の会話には「古い」も「新しい」もなく,そこにあるのは二人の関係性だからこそ生まれる独特の会話・雰囲気・空気感です。その「オリジナリティ」が,二人にしかできない漫才を作り,オーソドックスなスタイルでありながら「新しい」とさえ感じさせてくれるからです。

20.M-1王者にふさわしい漫才師とは?

Q88.オードリーは引き際が見事でした
芸人は,そもそも消耗品です。M-1は強烈なソフトだけに芸人を消費するスピードもめちゃくちゃ早い。……。

テレビや周りの大人たちに振り回されている限り,本当に「芸人は消耗品」になってしまいます。でもそれは,「仕方のないこと」ではなく,本人たちが自分で選べることだと思います。

テレビに出るために漫才をするのではなく,自分たちが本当にやりたい漫才を追求し,漫才だけで食べていく道を自ら切り開き,本格的なしゃべくり漫才が大好きなファンを獲得し,テレビ局側も「どうしても使いたい」と思うほどの人気になり,「ひたすら漫才をするだけの冠番組」のオファーがきてようやくテレビに出て,それでもその後も死ぬまで漫才しかしない。ネット時代の今なら,こういう生き方も可能だと思います。テレビや周りの大人たちに消耗されない真の漫才師としての生き方が。

これほどまでに漫才を愛する者たちこそ,「M-1王者にふさわしい漫才師」と言えるのではないでしょうか。

「普段の会話を漫才にする方法」を教えます。コンビの会話をもとに台本1本と解説を作成いたします。その方法を参考にして台本を書いてください。3本まで添削します。オチもつけます(計4本の新ネタが完成)「自分たちにしかできない漫才」を探しているコンビにおすすめ

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藤澤俊輔 (漫才作家/オチ屋)

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