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私が書いている漫才台本は,"フィクション漫才"というジャンルになるらしい。例えばこんなネタ

私には,「"フィクション漫才"を書いている」という意識はまったくなく,「これが普通の漫才だ」と思っていた。でも時々,「もっと現実感があったほうがいい」と言われることがあり,「なんでそんなふうに思うのだろう?」と不思議に思っていた。「漫才ならなんでも話せる。どんなことでもまるで現実であるかのように話せる。本当の自分ではない自分も本当の自分であるかのように演じられるし(それが実は潜在的な本当の自分だったということも結構あるのだが),どんなものにでもなれる。これこそが漫才の醍醐味なのになぁ」と

ある方の見解によると,「"フィクション漫才"は,中田ダイマル・ラケット,Wヤングで途切れており,今は後継者がいない時代」らしい。この話を聞いて,長年抱いていた謎が解けた気がした。今の時代には"フィクション漫才"というものがあまりないから,「もっと現実感があったほうがいい」と言う人が結構いるのかもしれない

なれるものなら,"フィクション漫才"の後継者になりたい


あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】