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「おもしろい」と「おかしみ」の使い分けとは?

「『おもしろい』と『おかしみ』をどのように使い分けているか」というご質問をいただいたので書いてみますが,正直,意識して使い分けてはいません。それで,わたしの台本の中から「これは『おかしみ』だな」と感じる例を挙げることにしました。

和牛のお二人で勝手に当て書きした Air iPad というわたしのオリジナル漫才台本の冒頭部分なのですが…

水:これです
川:「これ」ってどれ?
水:「どれ」ってこれや
川:「これや」ってどれや?
水:だからこれやて

こういう軽妙な掛け合いをわたしは「おかしみ」だと感じます。声に出して笑うわけではなくても,「二人の掛け合いを見ているだけも楽しい」と感じるようなやり取りです。そしてそれに続く…

川:「これや」って,何も持ってないやないか
水:これやこれ。エアーiPad
川:エアーiPad?iPad Airやなく?
水:エアーiPadや
川:それはつまり,「持っていない」ということですよね?
水:これさえあればなんでも調べられますからね

何も持っていないのに「iPadを持っていると言い張る様」や,「これさえあればなんでも調べられると思っている様子」も,わたしは「おかしみ」だと感じます。これも,声に出して笑うわけではなくても,その滑稽な様子が「おもしろい」と感じる部分だと思います。

ということで,「声に出して笑うわけではないけどおもしろい」ものを「おかしみ」と呼んでもいいような気がします。

ただ,同じものを見ても,声を出して笑う方もいれば,声は出さずニヤッとする方もいれば,まったく無表情なのに心の中では実は「おもしろい」と思っている方もいれば,顔の表情通り「全然おもしろくない」と思っている方もいます。そもそも「おもしろい」という感覚は主観的なもので人それぞれですし,かなり好みもありますから,何がおもしろく何がおもしろくないか,何がおかしみで何がおかしみではないかを定義するのは難しいと思います。

ということで,「『おもしろい』と『おかしみ』は特に意識して使い分けてはいない」という回答になってしまい,あまり答えになっていませんが,どうかお許しください。

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落語や漫才のあらゆるオチを誰よりも先にNFT化し,落語や漫才やコントなどを作る際の元ネタとなる令和版『醒睡笑』を作っています 脳トレ&遊びながら落語NFTがもらえる『オチ当てクイズ🎯ゼツミョー大賞🏆』という企画もやっています