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漫才論| ¹⁶¹自分が「ボケ」なのか「ツッコミ」なのか迷っているみなさまへ。「ボケとツッコミは分けるもの」という考え方は, もう古いです

時々,自分が「ボケなのかツッコミなのか」迷っている人を見かけます。迷っている時点でその人は,「『完全なるボケ気質』もしくは『完全なるツッコミ気質』ではない」ということだと思います。実際,「完全なるボケ気質」や「完全なるツッコミ気質」の人はそこまで多くなく,普段の会話では「ボケることもあれば,ツッコむことある」という人のほうが多いです

その場合,「ボケかツッコミか」を選択するのは難しいですし,そもそも,「ボケかツッコミか」を確定する必要はありません。「ボケとツッコミは分けるもの」という考え方が定着してしまったために,無理やりボケとツッコミを分けようとして迷っているだけだからです

ではまず,「自分がどんな『気質』なのか」という点について考えてみましょう


普段の会話を分析すると
自分の「気質」が見えてくる

完全なる~気質

誰と話していても基本ボケる人は「完全なるボケ気質」,誰と話していても基本ツッコむ人は「完全なるツッコミ気質」です

比較的~気質

話す相手によってそれが変化する場合,相手が変わってもボケ率が高い人は「比較的ボケ気質」,相手が変わってもツッコミ率が高い人は「比較的ツッコミ気質」です

二刀流気質

話す相手によって,ボケ率が高い場合もあれば,ツッコミ率が高い場合もある人は,「ボケとツッコミの二刀流気質」です

ボケとツッコミを分けた漫才
になる組み合わせ

「完全なるボケ気質」の人と「完全なるツッコミ気質」の人がコンビを組んだ場合,大抵はおのずと「ボケとツッコミを分ける漫才」になります

自分が「完全なるボケ気質」でも「完全なるツッコミ気質」でもない場合は,相方の「気質」によって自分の役割は変わります。相方が「完全なるツッコミ気質」ならボケに,「完全なるボケ気質」ならツッコミに回り,その結果「ボケとツッコミを分けた漫才」になる場合が多いと思います

ボケとツッコミを
分けなくてもいい組み合わせ

二人とも「完全なるボケ気質」でも「完全なるツッコミ気質」でもない場合,ボケとツッコミを完全に分けるメリットはほとんどありません。どちらも自然とボケたりツッコんだりする気質なのに,ボケとツッコミに完全に分けるのは無理がありますし,自ら芸の幅やネタの幅を狭めているようなものです

ですから,「自分はボケなのかツッコミなのか」と考えている人の多くは,「完全には分けようのないものを完全に分けようとして迷っている」という状態です。実際,「ボケとツッコミは分けるもの」という考え方は古くなりつつありますから(最近の銀シャリやかまいたちの漫才をみればそれが分かります)この考え方はさっさと捨てたほうがいいです

この記事で考えたように,「ボケとツッコミのバランス」というのは,相方との関係性によって決まります。また,普段の二人の会話を分析すると分かりますが,会話の内容によっても,二人の「ボケとツッコミのバランス」が変化することがよくあります。この二人の関係性,この二人の会話をいかに漫才に反映させ,漫才に"昇華"させるかが,これからのネタの作り方の鍵になると思います

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みんなで作る漫才の教科書とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです

THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】