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漫才論| ²漫才とコントの決定的な違いとは❓

「漫才とコントの違い」というのは,「あれは漫才なのか」という漫才論争の主要な論点なのではないかと思います

漫才には「漫才コント」というジャンルがあり,「漫才でもあり,コントでもあるもの」だと思うので,そうなってくるともうどこで線を引けばいいのか分からなくなってきますが,「違い」のポイントとして挙げられるいくつかの点について検証してみたいと思います

センターマイクがあれば漫才?

「センターマイクがあるのが漫才」で「ないのがコント」とよく言われます。しかし,センターマイクがない状況で漫才をすることもありますし,センターマイクの前でコントをする場合もありますから,センターマイクがあるかどうかは関係ないと思います

の自分が出ていれば漫才?

漫才の特徴の一つは,「素の自分を演じる」ということです。しゃべくり漫才であっても,台本にあるセリフを「素の自分ならこんなかんじで言う」という感覚で演じます。漫才コントの場合でも,「素の自分がコンビニの店員だったら」「素の自分が医者だったら」という感覚で演じるのが普通です

一方,「何かの役になりきって演じる」のがコントです。役によっては,そこに「素の自分」がかなり出る場合もあれば,素の自分が全然出ない「まったくの別人」を演じることもあります

ただ,素の自分をあまり出さない漫才(漫才っぽくない漫才)をする人もいますし,素の自分のままの役しかしないコント(漫才っぽいコント)をする人もいますので,これで区別するのもなかなか難しいところです

途中で役から出れば漫才?

「漫才コント」という形で,コントをわざわざ漫才としてやるメリットはここにあります。漫才であれば,ネタの途中で役から出て,素の自分としてのリアクションをとることができます。特にツッコミは,役に入ったままだとその役の人物がするであろう反応しかできなくなり,ツッコミの幅が狭まってしまいますが,役から出てしまえばおもいっきりツッコむことができます

しかし実際には,役から出てツッコむコントも結構あるので,これも「決定的な違い」とは言えません

決定的な違いはこれ!

漫才とコントの決定的な違いは,「掛け合い」だと思います

漫才の「間」と「掛け合い」は非常に独特です。漫才は,一人が話し終わるか終わらないかのタイミングでもう一人が話し始め,そのやりとりをずっと繰り返すという,普段の会話では絶対にありえないテンポの掛け合いをします

一方コントは,普段の会話に近いテンポで話します。コントで漫才のような掛け合いをするならあまりにも不自然になってしまいますし,コントでそんなことをするメリットはほとんどありません

ところが,漫才コントであれば,役に入ったままでも漫才の「間」と「掛け合い」で話すことができ,コントでは不自然になってしまうスピード感でみせることが可能になります。これは,コントをわざわざ「漫才」という形でみせる大きなメリットと言えます

「コント」という形では表現できない「漫才ならではの『間』と『掛け合い』でみせるネタ」,それが「漫才コント」なのではないかと思います

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