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漫才論| ¹¹³なぜ今, 「くだらない」と思えるネタが"ウケている"のか❓

昨年のM-1王者マヂカルラブリーのネタは,「くだらない」という点では意見がほぼ一致しているのに,それが「おもしろいのか」という点では意見が真っ二つに割れています。「くだらないから"つまらない"」と感じる人と,「あのくだらなさが"おもしろい"」と感じる人がいます

マヂカルラブリーのネタのよさが分かる人は「お笑いつう」というわけではなく,単なる「好み」の問題だと私は思っていますが,マヂカルラブリーからの流れなのか,今年のM-1決勝でも,「くだらない」という点では意見が一致しそうな漫才をするコンビが何組かいます

なぜ今,「くだらない」と思えるネタが"ウケている"のでしょうか?

ネタ以外で漫才師の""を
見る機会が増えた

昔は,漫才師の"素"を見る機会はあまりありませんでしたし,「"素"を見せたくない」と思っている漫才師も結構いました。見せるべきなのは"芸"であり,「すべては『漫才』を見て判断してほしい」という感覚なのだと思います。そもそも「漫才」というのは自分たちの"素"がかなり出る芸ですから,漫才で十二分に"素"を表現できていれば,それ以上の"素"を見せる必要はないのかもしれません

しかし,時代は変わりました。今は,M-1の「アナザーストーリー」などもものすごく人気ですし,漫才師本人がSNSやYouTubeなどでいくらでも"素"を見せることができる時代です。それによって,漫才師が本気でM-1に取り組んでいる姿や,普段の本当に"素"に近い姿を見ることも可能になりました

以前ならネタだけをみて,「くだらない=つまらない」と感じていたものが,漫才以外のところで漫才師の"素"や"人柄"に触れることにより,「あのくだらなさがおもしろい」と感じる人が増えたのかもしれません。これは,「内輪ウケ」の感覚に近いです。こういう"内輪ウケ感"が好きな人と,「『芸』のうまさを好み『芸』の部分でおもに評価したい」と思う人とで,かなり感じ方が変わってくるのだと思います。これは「好み」です

「真剣に」の部分を
映像で見せることの是非

「真剣に『くだらない』ことをする」というのは,ある意味「漫才の本質」だと思いますが,これまでは,「真剣に」の部分は人には見せず,「芸」という形で見せていました。しかし今は,「真剣に」の部分も映像で見せていますし,そういうトーク番組もかなり人気があります。「真剣に」の部分を見れば見るほど,舞台上での「くだらない」がおもしろく感じるようになります

私もそういうトーク番組は大好きですし,こういう見せ方が「悪い」とは思いません。ただこの流れで,「くだらない」と思えるネタをやる漫才師が増え続けて飽和状態になるとすれば,いくら「真剣に」の部分を見せても,今のようにはウケなくなる時期がくるような気がします

「真剣に」の部分を見せてもいいですが,結局残るのは,「それを『芸』という形で見せる漫才師」だと思います

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あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】