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[180824|インタビュー]ナイツ塙宣之「関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?」感想

集英社新書:ナイツ 塙宣之インタビュー
関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第1回】
関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第2回】
関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【最終回】

M-1と寄席は別物?

M-1の審査員をしていた島田紳助さんに,昔,「ナイツの漫才は寄席の漫才だから勝つのは難しいよな」と言われたことがあります。持ち時間が,寄席は15分あるのに対し,M-1は4分しかない。中距離層と100メートル走くらい違いがあるんです。寄席に慣れ切ってしまった体でいきなりM-1に出たら,たぶんアキレス腱とか切っちゃいますよ。M-1は,もう完全に別物ですから。4分の場合は,勢いよくしゃべるしゃべくり漫才の方が笑いの回数も増えるので印象がいいんです。

塙さんの言うとおり,最初は「M-1と寄席は別物」と考えて取り組まないと,うまくいかないと思います。認知度が低いコンビは特に。でも,コンビとしての完成度がすでに十分で,その漫才の認知度が高い場合は,「別物」というより,「M-1用のショートバージョンでアドリブ少なめ」という感覚でやれるとコンビもいる思います。ただ,結成15年以内でそこまでの完成度と認知度に達するコンビは限られてくるとは思いますが…

「M-1優勝」への近道は,優勝を目指さないこと?

芸人にとって一番よくないのは,コンテストのことを意識し過ぎて,自分の持ち味を見失ってしまうことですから。コンテストはモチベーションの一つにはなりますが,そのためにやっているわけではない。僕は何組もの若手に「M-1は優勝を目指さないほうがいいよ」ってアドバイスをしたんです。心からそう思えるようになったとき,初めて自分らしさが出ますから。

これは強く共感しました。「自分の持ち味」「自分らしさ」というのがまさに,わたしがイメージしてしている「コンビとしての完成度」です。

漫才で重要なのは,「自分たちの持ち味」「自分たちらしさ」をいかに出せるかだと思います。これを追求することが,結果的には「M-1優勝」への近道だと思いますし,優勝できなくても漫才は一生できます。M-1に取り組んだことは必ず,その後の漫才に活かされていきます。

一方,「M-1で優勝するための漫才」を目指し,万が一優勝できたとしても,そこで漫才の道は終わるというか,行き詰まると思います。売れるためだけに漫才をしているのであれば,「優勝できるればそれでいい」と思うのでしょうが,塙さんは,「ずっと漫才を続けてほしい」という思いもあってこう述べているのだと思います。わたしも同感です。

関東の芸人が優勝する唯一の方法は「漫才コント」?

M-1の歴史の中で,関西弁以外で160キロを投げたのは,アンタッチャブルと,サンドウィッチマンと,パンクブーブーの3組だけでしょうね。いずれも優勝してます。まあ,アンタッチャブルなんかは,バケモンみたいなコンビですから。それと3組に共通しているのは「コント漫才」なんですよ。「じゃあ,おまえコンビニの店員やって。俺が客やるから」みたいな形式の。コント漫才は,関東の芸人が優勝する唯一の方法だと思いますよ。

「アンタッチャブルなんかはバケモンみたいなコンビ」。これも強く同感しました。この域までくれば,関東も関西も関係ないですね,きっと。サンドウィッチマンもその域に近いと思います。

そんなアンタッチャブルとサンドウィッチマンなら「しゃべくり漫才」でも優勝できると思います。今なら。二組とも,M-1に出ていた頃はまだそれほど「しゃべくり」はやっていなかったと思うので。でもそれを言うのであれば,フットボールアワーもM-1は「漫才コント」で優勝し,その後「『しゃべくり漫才』が開花しさらにおもしろくなった」という印象があります。

「漫才コント」で優勝できるほどの実力があるコンビであれば,「しゃべくり漫才」でも優勝できると思います。ですからこれは,「漫才を始めるとき,『漫才コント』の方が作りやすいので,『漫才コント』から始めるコンビが多い」という話のような気がします。そして,「『しゃべくり漫才』が浸透している関西よりも,関東の芸人の方がより『漫才コント』から始めるコンビが多い」という話ではないかと。関東の芸人でも,最初から「しゃべくり漫才」に取り組むコンビが増えれば,「しゃべくり漫才」で優勝するコンビが出てくると思います。

ネタで勝負しろ!

三四郎も含め関東の中堅どころで,そこそこ人気もあるぞという芸人に共通した弱点があるんです。若い人が集まりがちなライブハウスとかでやることが多いせいなんでしょうね,「テレビに出るようになって、おまえ調子にのってんな」とか,同じ事務所に所属している違うコンビの名前を出して「だから事務所は〇〇の方を推してるんだよ」とか。それって全部内輪ウケのワードなんです。けれども,ライブとか営業では異常なほどウケるんです。だから癖になる。(中略) M-1の舞台で同じことをやったとして,もしかしたらウケるかもしれないですよ。でも,それはネタの中でのことではないので,ウケても弱い。本ネタがつまらないと,そのつまらなさが一層浮き彫りになるだけなんです。アンタッチャブルとかサンドウィッチマンは,そういうワードは使わずに本筋のところでお客さんを爆発させてたじゃないですか。(中略) 落語を聴いているとよくわかるのですが,ウケてる人ほど余計なことは言わないんです。古くから受け継がれてきた古典落語は話がしっかりしてますからね。ちゃんと稽古を積んできた人は,ネタを信頼している。だから,少々笑いが起きないなと思っても,その時間をじっと待てるんです。M-1の舞台は,この1年間,ネタを本当にちゃんと作ってきたかどうかが如実に表れる。三四郎は,そういうところを脱却できないと無理でしょうね。本筋のネタをもうちょっと面白くしないと。ウエストランドとかも人気がありますけど,その傾向があるんだよな。関東のライブハウスでは,2軍ではホームランを打ちまくってるけど,1軍にくると通用しないバッターみたいのがすごく多い。1軍のお客さんは,そんな甘いボールは投げてくれないよ,ってことなんです。やっぱり本ネタで笑わせないと,1軍で通用する技術は身につかない。

かなり長くなってしまいましたが,ここが一番好きなコメントなので,これでも中略しつつ引用させていただきました。ポイントが二つあります。「内輪ウケ」と「ネタの完成度」です。

内輪ウケ:「内輪ウケ」するネタは当然うけます。異常なほど。だから癖になる。塙さんのおっしゃる通りだと思います。塙さんはそれを野球に例えて,あえて「2軍」という言い方をしていますが,あえてそのフィールドで,「内輪ウケ」メインでやるというのも,別に悪いことだとは思いません。漫才師としてそういう選択肢もあると思います。ただ,本物の漫才師であれば,「これはあくまでも内輪ウケだ」という自覚は持っていた方がいいと思います。

ネタの完成度:「ウケてる人ほど余計なことは言わない。ちゃんと稽古を積んできた人は,ネタを信頼している。だから,少々笑いが起きないなと思っても,その時間をじっと待てる」。このセリフはしびれました。ここで塙さんは,「古典落語」を引き合いに出してそう述べておられますが,これは,現在の漫才ではそこまで完成度の高いネタがあまりないからだと思います。この現状についてはかなり言いたいことがあります。「ネタの完成度を高めるためには,漫才作家を育てる必要がある」ことなどについてです。今回のテーマから外れてしまいますのでここには書きませんが…

興味のある方は以下の記事をご覧ください。
「古典漫才」の確立を目指しています
「古典落語」はエキサイティングな保存法
漫才作家だけで食べていくために,「オチを売る」というシステムを模索中

圧倒的におもしろいネタを作れ!

僕の中で「うねり」って呼んでいる現象があるんです。要するに,客席が爆発する感じです。M-1は,うねるかうねらないかなんです。カミナリは二度目からは,どうしても見たことあるぞ,ってなっちゃうじゃないですか。パターンを持ってるコンビは,決勝初進出のときに優勝しないと無理なんですよ。

「パターンを持っているコンビは決勝初進出のときに優勝しないと無理」というのは確かにそうかもしれませんが,この前の部分で言っていた「本ネタで勝負する」という話とは多少矛盾しているような印象を受けました。「本ネタで勝負する」ということには,「ネタ」つまり「台本」そのものが圧倒的におもしろいかどうかが大きく関係しているはずだからです。

自分たちの「パターンありき」でネタを作ると,なかなか「圧倒的におもしろいネタ」はできません。それこそ「見たことあるぞ」という印象を与えてしまいますし,「パターン」のせいでネタのアイデアの広がりや発想が制限されてしまうからです。

これを打開するのは,まず「おもしろい発想ありき」でネタを作るしかないと思います。そのためには多くの場合,自分たちでネタを作るだけでなく,いろいろな作家に書いてもらう必要があると思います。シンガーソングライターが楽曲を提供してもらうことで幅が広がるように,漫才においてもそれは成長につながると思います。オール巨人さんも自らの経験から,これと似たようなことを言っておられたと思います。キングコングの西野亮廣さんも「漫才作家を復活させた方がいい」と言っておられましたが,その話は進んでいるのでしょうか…

自分たちだけでバラエティに富んだネタを作り出すのは容易ではありません。どうしても「得意のパターン」でやりたくなってしまいますし…。その点ナイツの塙さんは,自分でネタを書き,うける一つのパターンを編み出したにもかかわらず,その後も様々なスタイルの漫才に挑戦し続けているところが本当にすごいと思います。これができる漫才師はなかなかいないと思います。

ですから,「パターンを持っているコンビ」は,そのパターンの中にいる限り,「決勝初進出のときに優勝しないと無理」ですし,そこで優勝したらしたで,漫才をやめてしまう可能性も高いと思います。

圧倒的におもしろい発想

M-1がうまさを競う大会になりつつあるという話をしましたが,松本さんだけはずっとぶれてない。M-1の定義は,新ネタ発表会だと思ってるんですよ。新しいことをやらないと意味がないと。だから,他の審査員と1年ぐらい評価のズレがあるんです。06年に優勝したチュートリアルのネタも,05年の時点で,すでに松本さんはものすごく高く評価していた。1年経って,そこにうまさが出てくると他の審査員も追随するようになる。僕らも09年は,松本さんの評価は下がりましたけど,紳助さんはうまくなったと前年より高得点だったんです。紳助さんは松本さんとは対照的なところがあって,昔からM-1は漫才のうまさを評価する大会だと思ってるところがあったんです。

2005年のチュートリアルのネタは忘れもしません。「バーベキューの串に何をどの順番で刺すか」というネタです。あのネタは本当に良かった!何が良かったのかというと,「発想」です。

松本人志さんの評価が高かった理由も,あの「発想」ではないかと思います。ネタの「発想」は良かったのですが,おそらくチュートリアルの徳井さんはまだあのネタにそこまでの自信がなかったからではないかと思いますが,「バーベキューの串に何をどの順番で刺すか」ということとは関係のない小ネタを挟んで笑いを取ろうとしていました。ところが翌年は,そのような小ネタを挟まず,一本ネタで勝負し優勝しました。2005年は「余計な小ネタ」のせいで,ネタ全体の完成度が低くなってしまい,他の審査員の点数が伸びなかったように思います。松本さんはそれでもその「発想」そのものが「圧倒的におもしろい」と感じ,高得点を付けたのではないかとわたしは思っています。

この大会ではもう一組,「圧倒的におもしろい発想」の漫才をしたコンビがいました。それがブラックマヨネーズです。ブラックマヨネーズはこのネタに(二本とも)相当自信があったはずです。圧倒的におもしろく,圧倒的に完成度が高かった。

塙さんの言う「うまさ」には,ネタの完成度も含まれているのかもしれませんが…

ツッコミの概念が変わったのはいつ?

山ちゃんが出て来てから,ツッコミの概念が変わっちゃいましたから。ツッコミで笑いを取るっていうのは,あそこから生まれたんだと思うんです。ただ,南キャン以降,野球で言うと「クセ球」が増えてしまった。ツッコミが,まともなストレートを投げてこなくなってしまったんですよ。

「ツッコミの概念が変わった」のは,南海キャンディーズの山里さんからではなく,おぎやはぎの矢作さんからではないかと思います。

おぎやはぎの漫才は衝撃的でした。おぎやはぎが得意とするのは,小木さんが「変なことを言う人(小ボケ)」で,矢作さんは「ツッコミという形を取りながらメインの笑いを取る(本ボケ)」というスタイルです。おぎやはぎは自分たちの活かし方がよく分かっていたのだと思います。「誰かみたいな漫才」ではなく,「自分たちらしい漫才」をしたら,結果的にああなった。二人が対等であり,二人とも活きる漫才。

塙さんはこういうツッコミには多少文句があるようですが…

土屋さんのツッコミについて語る

ボケのタイプにもよるんでしょうけど,ツッコミのワードでボケが潰されていることもたくさんありますよ。今,現役バリバリの漫才師の中では,いわゆる本格派のツッコミをしているのはサンドウィッチマンの伊達さんくらいじゃないですか (中略) 僕のボケって,基本的にそれだけで点を取りにいくボケだから,「うるせえよ」くらいでいいんです。相方の土屋は根が優しいので,「塙さんね,こんないい加減なこと言ってますけど,本当はすごく真面目な人なんです」とか言っちゃう。どっちかっていうと,山ちゃんタイプなの。そうすると,こっちも「ん?」って固まっちゃうんです。

まさに「ボケのタイプによる」と思います。小木さんには矢作さんのボケで大正解だと思います。小木さんのあの独特のキャラクターを活かせていますから…

土屋さんのツッコミに対する評価が意外でした。塙さんには,土屋さんのツッコミが絶対に必要だと思います。本当にいいコンビです。「あえて褒めたりはしない」だけなのかもしれませんが…。たぶん,「うるせえよ」くらいだったら今のナイツの人気はないと思います。

「こっちも『ん?』って固まっちゃう」ことによって,ナイツのあの雰囲気が生まれるのかなとも思いましたが,個人的には,「土屋さんのツッコミに思わず笑ってしまう塙さん」をもっともっと見たいですね。

今回のインタビューの話し方だと,塙さんは「ボケの方が上」と思っているような印象を受けてしまいましたが,塙さんがもし本当にそう思っているとするなら,それは違うと思います。漫才は二人が「対等」であるのが一番おもしろいとわたしは思います。実際,M-1で優勝しているコンビは,漫才において「対等」な関係にあるコンビがほとんどです。塙さんの本心を知りたいです。

僕が松本さんや,くりぃむしちゅーの有田さんの番組に出たとして,ボケの大先輩でもあるこの二人の強力フォワードは絶対に下がってくれないじゃないですか。彼らのボケを生かすためにも,こっちが下がるしかない。松本さんや有田さんにいいパスを出せないと,僕らはフューチャーされないんです (中略) 強力なフォワードがメインを張ってるテレビに出るためには,みんなミッドフィルダーになるしかないんです (中略) 今のテレビ業界は,松本さんを筆頭に「スターボケ」の層が厚い。未だに松本さんを中心に日本代表が成り立ってるみたいなところがありますから。

そもそも漫才師のみなさんは,みんな「テレビに出たい」と思っているのでしょうか?中には,「漫才だけをしていたい。漫才だけで食べていければ幸せ」という方もいると思います。わたしも以前漫才師として活動していた時期がありますが,「テレビに出たい」とか,そういう意味で「売れたい」と思ったことは一度もありません。「漫才だけで食べていけたらなぁ…」とは今も思っていますが…

漫才協会副会長の塙さんには,「漫才だけで食べていける環境づくり」にも取り組んでいただけるとありがたいです。「古典漫才」についてどう思うかも,ぜひ聞いてみたいのですが…

ナイツが変われた理由はここにあった!

M-1は僕らがコンビを組んだ2001年に始まったんですけど (中略) あの頃,みんな自分たちがどのぐらいおもしろいかわかってなくて,全員が決勝に行くつもりでいたと思うんですよ。ところが,2,3年やると,俺ら今,1000位くらいだなとか,800何位くらいだなということが肌でわかってくる (中略) そういう意味で,すごくいい大会だったなと思うんです。僕らも決勝に進むまで,結局,8年かかりましたからね。でも,M-1に出続けたことで自分たちの立ち位置がわかってきて,「浅草の星」というキャッチフレーズも生まれて,自分たちで自分たちをプロデュースできるようにもなった。極端な話,M-1がなかったら芸人を辞めてたかもしれないですね。M-1のお陰で,モチベーションを維持できたし,新しいネタも作ることができましたから。

ナイツは,「塙さんが小ボケを連発する」というスタイルに辿り着くまでは,「ふわふわしていて自分たちの形がない」という印象が強かったですね。どういう漫才がしたいのかが見えない「自分たちの持ち味が分からず迷っている」というかんじがしていました。M-1のおかげであの「スタイル」を見つけ,そこからさらに新しい「スタイル」への道が開けた,というのは知りませんでした。

漫才に点数や順位をつけるのは個人的にはあまり好きではありませんが,「順位を競うことのによって漫才が磨かれる」ということは当然ありますから,ただ「売れる」ためだけではなく,一生漫才を続けたい漫才師にとって,M-1などの大会には大きな意味があると思います。

ナイツ塙,M-1の審査員に立候補!?

[一部では笑いを点数化すべきではないという意見もありますが] 笑いは語るものじゃない,とかね。でも,語るもんじゃないって言ってる時点で,もう語ってますから。そういうやつって,要はかっこつけてるんですよ。東京の芸人はなかなかM-1の審査員を受けたがらないそうですが,僕はオファーがあったらぜんぜん受けますよ。日本代表の将来を担うエムバペのような天才ボケを発掘したいですから。

この終わり方はすばらしい!言うことないです。

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落語や漫才のあらゆるオチを誰よりも先にNFT化し,落語や漫才やコントなどを作る際の元ネタとなる令和版『醒睡笑』を作っています 脳トレ&遊びながら落語NFTがもらえる『オチ当てクイズ🎯ゼツミョー大賞🏆』という企画もやっています