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漫才論| ¹⁵³かまいたちと銀シャリは「途中でボケとツッコミが入れ替わるスタイル」に変えたのか❓

先日の「ザ・ベストワン」でトップと2番手だったのがかまいたちと銀シャリでしたが,どちらも,「途中でボケとツッコミが入れ替わっていてすごい」と思った方もいらっしゃいました

どちらのコンビも,「ツッコミもボケるようになった」というよりむしろ,「ボケ側のほうが変化してきた」という印象があります。それはどんな「変化」なのでしょうか?

かまいたちの場合

かまいたちの場合,ツッコミの濱家さんは「ボケている」というより,「反論している」というパターンが多いです。山内さんは大抵「ボケ」という形でかなり面倒臭いことを言いますが,「ただの変なこと」ではなく「正論」が含まれていることが多いので,それに反論しようとする濱家さんのほうがより"変"な発言になり,それが結果的に「ボケ」にもなっているというかんじです

こういう「パターン」や「傾向」は以前からありましたが,それに対する山内さんの反応の仕方がだんだん変わってきているように感じます。より「ツッコミらしいツッコミ」をするようになった気がします。以前は,濱家さんの「反論的ボケ」に対して,「ツッコむ」というよりは「キレる」という反応が多かったと思います。「ボケの人がツッコむ」という感覚があまりなかったのかもしれません。「キレるよりちゃんとツッコんだほうがおもしろい」と思ったのか,自然と変化していったのかは定かではありませんが,山内さんも「ツッコミらしいツッコミ」をするようになったので,「途中でボケとツッコミが入れ替わっている」と感じる人が増えてきたのかもしれません

銀シャリの場合

銀シャリの場合,ツッコミの橋本さんは「ツッコミの皮をかぶったボケ」と言ってもいいほど,元々ボケまくっていました。それでも,ツッコミというていをとっているので,「あれは完全なるツッコミだ」と思っている方も結構いました(無意識のうちにそう思っている方も含めて)

この橋本さんのスタイルはそこまで変わっていませんが,明らかに変化したのがボケの鰻さんです。以前は,橋本さんの「ツッコミ的ボケ」に対してそこまで反応しなかったり,受け流していることも多かったですが,いつからかそれに対して鰻さんがまともなツッコミを入れるようになりました。橋本さんもいつからか,「『ボケもツッコミも関係ない』と思うようになった」というようなことを言っていた記憶がありますが,鰻さんも「それやったら俺もツッコむわ」と思ったのかもしれません【想像】その結果,「途中でボケとツッコミが入れ替わっている」と感じる人が増えたのだと思います

「ボケとツッコミは固定すべき」
という固定観念からの解放

かまいたちや銀シャリにかぎらず,普段の二人の関係性においては「ボケとツッコミが完全に固定されているわけではない」コンビのほうが多いと思います。それなのに,「ボケとツッコミは固定すべき」という固定観念があって,「自分はボケだからツッコまない」という感覚になってしまい,「ツッコミがボケっぽいことを言っていて,それにツッコんだほうがもっとおもしろくなるのにツッコまず,自分たちの可能性を殺してしまっている」というケースが非常に多いです

「ボケとツッコミは固定すべき」という固定観念にとらわれず,自分たちに一番合ったスタイルを模索したほうがいいです。「普段の二人の会話」でのボケとツッコミの割合を分析すると,何かが見えてくると思います。かまいたちや銀シャリのように,「ボケとツッコミは固定すべき」という固定観念から解放されれば,より「自分たちらしい漫才」ができるようになります

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