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現代日本人から遠いのが「日本文化」

日本人ですから、日本に生まれて日本に住んでいれば、日本文化に接するものだ、日本文化にまみれているものだ、と思いがちですが、意外に努力しないと日本文化に接することができないのが、現代日本だったりしますよね。

そんなこともあって、年に一度は浴衣が着たいよね、という仲間内の話題から始めたのが、夏の浴衣散歩。

8人から10人くらいで浴衣を着て散策をするというイベント。

当初は、浴衣で行くと割引になる納涼船で呑んだくれたり、20人くらいで屋形船を貸し切ったりもしたんですが、ここ数年は浅草とか両国とか日本橋とか、主に東京の東側サイドで日本文化に触れるテーマ設定でお昼から夕方くらいまで歩いて、最後はご飯食べて帰るというような流れで、そのセッティングを妻と一緒に仰せつかっておりまする。

その時に、普段あまり見ないものや、しないことを考えると「日本文化」にぶつかるという気がします。

先ほどリンクを貼った今年のイベントは、深川不動で護摩行を見聞し、富岡八幡にお参りし、深川閻魔堂でハイテク閻魔様を見て、清澄白河で深川江戸資料館に入ってボランティアガイドの説明を聞いて江戸時代に想いを馳せる。最後は両国で日本蕎麦屋のコースを食べるというもの。

こんな時でもないといかない場所=寺社であったり資料館であったり、そこで江戸に触れる。

2017年は、浅草合羽橋でカッパを祀っている寺に行き、盂蘭盆会のお参りに東本願寺に行き、浅草で江戸料理を食べる。

2016年は、両国の江戸東京博物館で「大妖怪展」を見て、回向院から吉良邸跡を見て両国橋を渡って柳橋の料亭街を通って浅草橋へ、蔵前の湯葉懐石の店で夕飯、という流れ。

2013年は谷中を回って全生庵で幽霊画などを見ている。

最後は笹の雪で豆腐懐石。

こうした散歩で触れているのは、いわゆる「日本文化」と言われるようなものだということは、感覚的にわかっていただけると思います。しかも江戸庶民文化に近いようなもの。

それは、まだ東京の東側(いわゆる下町)に行けば、こうしたものが現在まで地続きになっている場所が多いからなのですが、その限定性を考えると、それが珍しいものになっていることもわかります。

つまり「日本文化」は現代日本人にとって、実に珍しいもので、ある種日常を捨てて、臆面もなくアクセスするには、普段着である洋服を着たままではなく、浴衣というコスチュームを身に纏い、日本文化の人に変身する必要性を感じてしまいます。

こうして浴衣で下町を歩いていると、主に年配の女性(いわゆるオバさんやお婆さん)から「なんかの会合?」とか「珍しいわね」とか「懐かしいわね」とか声をかけられることがあります。外国人観光客から写真を撮られることもあります。

10人近くで浴衣で歩いていれば当然目立ちますし、花火会場のような特殊な場所ではなく、街中で今更浴衣で集団化するには何らかの理由があるだろうと思われます。それくらい、私たちの日常から遠いのが「浴衣」であり「日本文化」なのではないかという実感をするイベントになっています。

そんなことになったのは、高度成長期に日本人が何かを捨てて、現在につながる繁栄の道を選んだからだろうとは考えていますが、そうした原因探しは別にやるとして、経験に即した話としては、「日本文化」は現代日本人から遥か遠いものになっているなあと思います。

平成も終わり、令和になって、ますますその度合いは高まっている。日本に住んでいても「日本文化」とわざわざ呼ばなければならないくらい、私たちが普段接している文化は、西洋文化をベースにしたあるグローバル化した現代文化であり、さらにIT化された現在進行形の文明をベースにした文化なのだろうと感じます。

オリンピックで海外から来た人に日本文化を、とか言いますけど、日本人がますます「日本文化」から遠くなっている中で、「日本文化ってなんだろう」という問いから始めないといけないかもしれない。そんな実感があります。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。