見出し画像

MANZAIが日本文化として最強な理由

昨日、こんなことを書きました。

読み返すと(あまり推敲もせずに投稿しているので)、いろんなことを盛り込んでしまい、論点がいくつかブレているなと思いました。

なので、コアなところに絞って書いてみます。

ダウンタウンは、当初、横山やすしに「チンピラの立ち話」と言われたのは有名で、それを根に持った松本が「ごっつ」で「やすしくん」をやった等の話は今回関係ないので割愛しますが、その「チンピラの立ち話」がその後、漫才の主流になっていき、さらに「M-1」というシステムの中で4分間でどれだけ笑いが取れるかという手数の多さというのを競うような方向に漫才が進化していくのも、島田紳助とダウンタウンが仕掛けた流れの一つです。この短時間で多くの笑いを詰め込む手法の進化というのが、現在のMANZAIの主流であり、そのあり方が極めて現代日本的だと思うのです。

ここのところですね。

80年代のTHE MANZAIの時代に生まれた漫才がそれまでの漫才と異なって画期的だったのは、スピード感と時代へのライブ感覚でした。

エンタツ・アチャコの「早慶戦」というネタが現代漫才の始まりな訳ですが、このネタを聞くと、当時では新鮮なスピード感と言葉遊びと展開の意外性があります。それでもやはり、M-1のスピードに慣れた私たちの耳には、まだるっこしい。もうちょっと短く突っ込まんかい、というツッコミが聞こえてきそうです(後藤の声だったり、礼二の声だったり、色々な声でね)。

今、中田カウス・ボタンを聞くと、まあ遅い。ネッチョリした漫才を未だにやっています。でもあれが、70年台のトップ漫才だったわけです。そうした時代に現れたのが、THE MANZAIに出演する若手漫才師でした。

B&Bや紳助竜介が持ち込んだボケとツッコミの応酬のスピード感、やすきよのボケとツッコミが自在に変化する変幻自在さ、のりお・よしおやザ・ぼんちの異様さ、そこに挟まった巨人阪神の安定感、そうしたバランスが全体を面白いものにしていたわけですが、その中でも一秒間に喋る言葉数の多さという意味で、B&Bは突出していました。

関東から星セントルイスやおぼん・こぼんが出てきたのも、それまでの東京の漫才を超えたスピード感と毒舌、風刺の感覚に支えられたものでした。

関西の笑いに必要なのが違和感(のりお・よしお、ザ・ぼんちの人気の秘密ですね)だとすると、関東の笑いにはインテリが必要なんですね。そこをツービートやセントルイスが突いたという感じがします。

もう一つこの時代に紳助竜介が持ち込んだのが、スーツではない舞台衣装でした。

ダウンタウンも当初はスーツでしたが、衣装も含めてだんだんと「チンピラの立ち話」になっていくわけです。それでも、紳助竜介がツナギで舞台に立つという画期がなければ、いまだにどうなっていたかわかりません。

今でも、特に吉本の漫才コンビでは誂えのスーツが多いですが、前回書いたように、漫才の衣装がスーツになったのは横山エンタツがアメリカから帰ってきて持ち込んだもので、いわば横山系統のスタイルになります。その意味で正当な後継者は孫弟子にあたる横山やすしであり、やすきよのスタイルです。

そうしたスタイルに真っ向から立ち向かったのが紳助竜介であり、島田紳助という芸人でした。そのすごさは、このDVDに凝縮されているので見ていただきたいです。

あとは今はもう古本でしか手に入らない、この本ですね。

異常な値がついてますが、これは凄い本です。スタートアップの社長さんとかは是非読んで欲しい本。

今でこそ反社会的勢力との交際で引退した島田紳助さんという扱いですが、まあ、これだけ考えて漫才をして、自分を世に出した人もいないと思います。その一つのアイディアが、漫才におけるスピード感でした。

その話は、神竜の研究の中でB&Bの島田洋七が語っています。

さらに、島田紳助の考えを松本人志が継いでいることは間違い無くて、こんな本もあります。

二人でやっていた深夜番組は今や伝説のようになっているんですね。

その中で、紳助が俺の話が一番わかっているのは松本だから、と言っていたのを覚えています。

つまり、THE MANZAIの画期を作った紳助から、日本のお笑いの歴史を大きく変えた松本人志、という流れがあるわけです。そしてこの二人が作ったのがM-1グランプリという漫才コンテストでした。

そこでは、4分間という時間制限の中に、どれだけ笑いのタネを仕込めるかという新しいMANZAIのスタイルが生まれます。そこで磨かれたのが笑い飯のWボケというスタイルだったり、パンクブーブーやノンスタイルのスピード感だったり。今ではあまり漫才ネタを見ることがないブラックマヨネーズやフットボールアワー、アンタッチャブルも当時は抜群のスピード感でやってました。4分間しかありませんから、素早くネタの世界に観客を引き込む必要があり、それには設定はSF か「あるある」が有効です。理解に時間がかかると共感が得られず笑いにくいからです。そこで、ライブ感が必要になります。

笑いの難しいところは、見ている人と共感が得られる設定の中で、前提となっている常識を外していくという作業が必要なところで、昔に比べて、みんなが共通認識として持っている前提が少なくなっている社会状況の中で、何を共通認識として成立させるかが重要になります。

そこが、現代日本文化を背景にしないと漫才が成立しにくい所以です。落語は、江戸時代や明治時代を背景にするので、ある程度前提となっていることを知らないと笑いにくい。それでも表情や口調、普遍的な人間の真実に紐づけることで笑いに変えていく落語家のすごさというのはあります。

しかし、そうしたスピード感とライブ感、現代日本の生活の変化に敏感にフィットさせてきた芸能が、漫才、いやMANZAIなのだと思います。

だから、現代日本文化において、MANZAIが最強なのではないかと思う次第なのです。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。