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「日本文化」と言いつつ、ウダウダと何を言っているのだ、俺は。

色々書いてきましたが、結局何をやっているかというと、日本でオリンピックやるから日本文化を世界の人に知ってもらおう、とかいうけど、日本文化を一番知らないのが現代日本人なんじゃねーの? というすぐにでも浮かぶ疑問とか揶揄とか非難とかに対して、じゃ、なんでそうなったの、とか、今あなたがいう日本文化ってなんなの、とか、色々な返しを自問自答しているわけです。

ということで、自分でもこんがらがってきたので、一旦、整理します。

スタートはこれですね。自分で浴衣を着て深川を歩くという行為から、現代における日本文化の状況を肌感で書いてみました。

そのうち、それを色々説明したくなったので、こんなことを書きました。

その前に、前提となる「日本文化」というのをどう考えるのか、これについては、いわゆる日本文化としてあげられる「歌舞伎、能、狂言、落語、日舞、等々」に対して、いやいや現代日本を語る文化といえば、MANZAIなんじゃない? と言ってみました。

ここで「現代」と言っているのがミソで、「笑い」についてもっと考察すべきところはすっ飛ばして、現代生活と密接な文化的行為としての笑いというところを取り上げてみました。そうなると、日本において「日本文化」と言われる場合、もともとは担い手によって色々あったよね、ということも書いておかねばならず、断片的にこれを書いたわけです。

ここでも、文化の担い手がどう変わったのか、まで行き着かず、明治という時代について書かなければならなくなったわけです。

明治を考えるには、昭和37年生まれの私にとっては、2世代上の話で、これは、令和生まれの人たちがあと20年後に私たちの生まれた頃のことを考えるくらい難しい話です。

いや、令和から昭和を考える方が生活の変化を考えると難しいですね。

そうなんです。文化について考えるには、実は、生活について、つまり政治と経済の状況が何に基づいていたか、誰が担っていたかを考える必要があって、それには、今の生活を前提にしてはダメなんですね。

美術をはじめアートの世界は、文化と言われるものの中でも生活などを超越しているように思いがちですが、それでも生活とは切り離せず、生活を土台にしたり、ひっくり返したり、踏み台にしたりして成立しているものです。

芸術家の想像力と創造力がのちの生活を切り開くという関係もありますが、芸術家の想像も当時の社会規範や生活基盤をベースにしており、創造を支える技術的基盤は、その当時の科学力や経済力を背景にしていることも忘れてはならない側面だと思います。

日本文化が江戸庶民文化をベースにしているとして、だからこそ、今の日本の庶民から日本文化が遠くなっているのだという話は、この生活の変化、政治と経済体制の変化という点と切り離せない関係にあります。

そう考えるから、ウダウダと周りのことを書いてしまいがちで、グルグルと迷走してしまうのです。

まだまだ勝手な考察は続きます。


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