メディア

『演劇』というメディアの強さ

こんにちは。
演劇の作家・演出家をやっています、藤原です。
COMEMOがnoteに移行してから、久しぶりの投稿です。

先日、世田谷パブリックシアター主催の
地域の物語2019『家族をめぐるささやかな冒険』の演劇発表会
を拝見したのですが、それがとんでもなく素晴らしく、改めて“演劇”というメディアの強度を思ったので、本日はそのことについて。

『地域の物語』は、募集によって集まって下さった方たちと、ワークショップを通じて作品づくりに取り組むプロジェクトです。特徴としてあげられるのは、劇作家や演出家をたてずに、参加者自身がグループで対話を進める中で考えを深めそこで出て来たアイデアや誰かに伝えたいと思ったことを、言葉や表現として紡いでいくということ。 
ー『地域の物語』当日パンフレットより

市民参加の演劇発表会? と聞くと、一つの物語を市民が演じる! というイメージが浮かぶ方が多いと思いますが、この企画は、そういったものとは少し違います。演じる、というのが目的ではなく、
あるテーマについて参加者が話しあう手段、そして最後にその話しあったことを発表する手段として“演劇”を用いるという企画なのです。

■身体で語られる強さ
今年のテーマは、『家族』。
冒頭からあるシーンにノックアウトされました。

《わたしとお母さんは、手を伸ばせば届く距離にある》
《わたしとお父さんまでは、がんばって手を伸ばしてやっと届く距離》
《お父さんとお母さんの距離は、手を伸ばしても届かない》

こういった、様々な家族の“心の距離感”が、舞台上に立つ人と人の実際の距離で表現されます。

《近くにいる兄弟よりも、近い距離に感じる死んだ両親》
《隣にいるのに、違う方向を向いているパートナー》
《親や兄弟よりも、近くにいるペット》

など、淡々と示される様々な家族の距離感を観ていると、“いろんな人の人生が身体に入ってきてしまった”感覚になり、そこにストーリーもなく、ただ距離について示されていただけなのに、自分でもびっくりするほど胸が揺さぶられてしまい、涙がとまりませんでした。

具体的な関係性の説明があるわけでもなく、その背景も、物語もありません。そこに、家族の距離感が生身の人間の声と身体の配置で、抽象化して表現されることで、その余白から様々な家族を自分ごととして想像し、“いろんな家族の距離感を体感する”という時間が生まれていたのだ思います。


■対話で作られる強さ

《発達障害の姉の方が、進学先を好きに選ばせてもらっていた。姉の方が優遇されていると感じてしまう妹。》
《親から塾にいかされるのは、ゲームで課金されるキャラクターになったようなプレッシャーを感じるという子ども。それは子どもの教育のためだと主張する親。》
《30年前に別れた夫と続いている友人関係。死の間際、友人としてホスピスに連れそうが、家族でないとホスピスへ入るサインができないと言われる。》

舞台上では、家族の《かたち》や《お金》について様々なエピソードが語られます。

実は、わたしはこの『地域の物語』を企画する世田谷パブリックシアターの学芸という部署(教育や演劇ワークショップにまつわる部署)で6年ほど働いていました。辞めてからも毎年『地域の物語』だけは欠かさず何かしらお手伝いしたりしていたのですが、今年は初めて、クリエーションの過程を見ずに、純粋なお客さんとして拝見しました。

『地域の物語』は、毎年集まった参加者が、テーマに関して自分の考えや、それにまつわるエピソードを話す時間がワークショップの大部分を占めます。そして、相手の口調も含めてペアになってインタビューしたことを書き起こす《聞き書き》や、参加者全員でテーマにまつわるお題でディベートを重ねながら、たくさんのアイデア、言葉が集められ、それを構成したものを最後発表、という流れになっています。

今回は過程を見ていませんが、全15回のそうしたワークショップを経て、
“家族”ってこうあるべき、と、ある答えを目指すわけでも、お決まりの物語にするわけでもなく、たくさんの人たちが集まり、現代の“家族”というものについて、意見をしてみたり、誰かのエピソードを演じてみたりして、コミュニケーションを重ねたのだと想像します。

発表からは、“家族”にまつわる苦悩も、期待も、疑問も、コンプレックスも、現実に人にはいろんな事情や状況があるけども、それを一つも排除しないという姿勢を感じました。だからこそ、排除されない声たちから、リアルな“家族とは?”という問が突きつけられたのではないかと思います。
こうした豊かな場づくりができるのは、ファシリテーターの方々の素晴らしい手腕ゆえだと思いますし、コミュニケーションやコミュニティーと切り離せない“演劇”を手段にした性質でもあると思います。

■反応を共有するという強さ
発表の劇場は、シアタートラムという200人規模の劇場。
劇場での発表は、一緒に観ている観客の空気も含めて共有されます。
目の前のものにどういうリアクションをするか、自分だけでなくまわりのお客さんの空気感も含めて体感するのが、演劇というメディアの特徴だと思います。

『地域の物語』では、近年“障害”や“性”をテーマにした企画が続きました。いわゆる障害をもつ当事者や性的マイノリティとされる当事者も毎年参加されていたのですが、ここ数年で感じたのは、いい意味で、観客がそうしたマイノリティの話題に触れることに“慣れてきた”という感覚です。

車椅子の人が舞台上にいるとき、自分は同性のパートナーがいるという台詞を誰かが語るとき、数年前は、今よりも、もう少しアンタッチャブルな空気が流れていたように感じます。ヒリっとするものを目撃する感じ、というか。

今回の『家族』の話でも、同性愛カップルのパートナーシップ宣誓についてのエピソードなどもあったのですが、数年前だったら、私はさっき例をあげたところにそのエピソードも取り上げなければいけない、という義務感にかられていた気がします。今年は、同性愛の話も、家族について語られる話の一つ、という印象に感じました。
それは、私含めた観客席という社会を通して感じた変化でした。


『地域の物語』には、ダイレクトに演劇のメディアとしての力を感じます。
今、日本のメディアのあり方が揺れていますが、
メディアが、未来を思考するために存在する媒介であるならば、
現実を見つめ、コミュニケーションしながら考える、
演劇というメディアは、今もっと注目されてもいいのではないか、と思いました。



と、ここまで書いて最後に宣伝を。
私が主宰をつとめる演劇創作ユニットmizhenの新作『小町花伝』が、近々吉祥寺シアターで上演されます。
能の『卒塔婆小町』に着想を得た、短編4本で構成した作品です。
シンクロ少女さん、という女性劇作家名嘉さんが主宰するカンパニーと同時上演、2団体観れてお得、という企画ですので、
ぜひご興味ある方はこちらから!
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=50616



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